南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆竜宮城へ 

2014-04-19 22:54:21 | 旅行

1919 イースター、本日から三連休、久しぶりにパンガンダランにいる。前回は何時だったか覚えていない。知る必要はない。今回はチャガールアラムに一度入ってブンガ バンカイ(ラフレシア パトゥマ)を捜そうと思うが、その他の事では、あまり行動しないで、ゆっくり、浜辺でのんびりしようと思う。

 

5時半に家から出た、チカラン バラットからジャラン トールに入った。いきなり渋滞、ガソリンが少ししか残っていない、このまま渋滞の中にいては持つかどうか心配だし、途中のテンパットゥ イステラハッのガソリンスタンドの大渋滞だろうから、時間の無駄になると思い、デルタマスで下りてしまった。何と此処まで40分掛かった。ガソリンを入れて、直ぐ、ジャラン トールに戻っても、同じ渋滞の中に戻るだけでは、芸がない、何時間か後なら渋滞も解消しているかもしれないと、読んで、一先ず、まだ、仕事をしているはずの会社へ行ってみることにした。昨晩の製品を確認し、来週はシフトなし、などと話をした。

 

8時に会社から出発しなおした。無駄な読みだった。デルタマスからもまだ大渋滞、Sepangjang jalanスパンジャン ジャラン、全行程、芋虫運転、一度も休憩ない、車から降りなかった。何と、パンガンダランに到着したのが17;35でした。西海岸のサンセットもセットした後だった。

 

いつも泊まるホテル、フルだという。こんな事今までなかったのに。ちょっと高いがポンドック ダウンに潜り込んだ。ヘアーサロンへ行って、髪の毛を染め、部屋に落ち着いたのが、19:30Capekdehチャペッデー、疲れた~~、

 

タシクマラヤに入ったというゲートをくぐって、しばらく、行くと、此処に差し掛かる、真っすぐ行くとタシクマラヤの北側を通過して、チアミスに至る、その向こうがバンジャール、パンガンダランだ、真っすぐ行けばジャクジャにも行ける。ここを左に入ると、直ぐに右に曲がり、真っ直ぐの道の下をくぐって、対向車線と一つの道になり、タシクマラヤの中心に至る。右はタシクマラヤの町の方から来た車です。

 

それでもバンジャールからはパンガンダランに向かうバスや車は多かったが、渋滞は無くなっていた。雨季が終わりだが、道の凸凹は、雨季の足跡、チカランの酷いが、バンジャールまでは、予想通り、酷い凸凹続きだった。ところが、バンジャール、バンジャツ サリからパンガンダランまでは、昨年の暮れあたりに舗装しなおしが終わったのでしょう。凸凹なしの完璧な状態だった、それと、舗装幅が広げられていて、大型バスやトラックが片側の車輪を落とさなくても。すれ違えるようになっていた、追い越しも片輪を落とさなくても出来る。なんで、最初からこうしないのだろうか、と、思う。

 

その舗装が、続く両側は、広大な水田地帯である。雨水が引いていない水田が多かったが、収穫をしている田圃もあった。来るたびに普通の風景だが、写真を撮りたくなる懐かしい光景。

 

それにしてもマー君凄いですね。甲子園でハンカチ王子と騒がれた人の引き立て役をしていて、ほとんど、話題にされなかった若者が、今、世界の大舞台で注目を浴びている、片や、ほとんど使い物にならない状態らしい、人間、人生いつどうなるかわからないが、二人の極端な状況を見ると、人の評価などは当てにならないものだと思う。何年後かには、また、別の舞台で、注目度や評価が逆転しているかもしれない。

 

ま、とにかく、普通なら7時間半で着くのに、今回は9時間半掛かった。2時間半はキツイ、右足がつって、アクセルを踏むのに、相当意識をしなければならない、左足、左手は坂道の発進で半クラッチやサイドブレーキ発進を頻繁に使わざるを得ない。半クラッチやサイドブレーキ発進、って、何?と、日本の若者には、いわれるかも知れませんね。インドネシアでは、まだ、マニュアル車が主で、オートマチックは高い。私も安いマニュアル車を使っている。

渋滞 疲れ 人出 

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