南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ジャカルタ4時間 2

2015-05-11 22:29:58 | 行動

 2306 家に着くまで、車から一度も降りていないし、路肩に停車もしていない。常に走っていたし、信号や渋滞で止まっている時も車列の中にいた。写真は、前、右、左と運転席から撮影した。渋滞で止まっていたり、のろのろ運転だったりしていたので、あまりぶれることがなかった。

 

 コタ駅前を過ぎると間もなく、グロドックに差し掛かる。路上、ビルとビルの連絡通路が通っている。1998年5月の大暴動の時、この左右のビルとこの通路は、真っ黒焦げに焼かれていた。その下から100m先の左側に、グロドックの商店街への入り口がある。東京の秋葉原的性格の商店街で、何でもアリだ。ここにない商品は、インドネシア中捜してないと言っていいし、ここに来れば、ほしいものは何でもあると言っていい。交換部品は、昔はここにしか無かった。欲しいものでここにない場合は、取り寄せをここで頼むことになる。しかし、今では、チカランやチビトゥン、タンブンにもコタの支店が進出しているので、地元で頼むこともできる。

 

 ガジャマダ通りなる。この辺り、吉野家を左側に見つけた。色々な店やショッピングモールがあって、大いに賑わっている。そして、“コタの方にブロックMより好いところ?があるよ”というのは、この辺りのことである。大通りから枝分かれした道の奥の方が、その、いいところだと思う、私は思うだけです。ずっと渋滞でした。間もなくS字カーブがあって、その先に、モナスが見えてくる。バスウェーが常に左側にあって、信号によってはそのバスだけが青という場合もあった。左に曲がれば大統領宮殿になる交差点を右側にカーブすれば、タムリン通りになる。左にモナス、右側に国立博物館など公共の建物が並んでいる。

 

何頭立てでしょうか、戦車のモニュメントがある噴水の向こうに日本銀行に相当するバンクインドネシアが見える。

 

左にインドネシア第一号だと聞いているデパート、サリナ、10何年か前にここで初めて、Ojek payungオジェック パユンというのを知った。バイクのオジェックのように、車という目的地まで、傘を貸して送るからでしょうね。

 

直ぐ右側に日本大使館、この辺りは、既に地下鉄の工事のための塀が巡らされ、その縁がバスウェーになっているので、道の狭さが気になってきた。ホテル日航、今は。別の名前?が左にあり、友好のモニュメントの噴水から、スディルマン通りになる、ジェンデラル スディルマンの銅像が見えてくる。ホテルやオフィスビルが林立し、ジャカルタの洗練された近代都市という印象を受ける。おそらく、地価がインドネシアでは一番高いのではないでしょうか。田中角栄がインドネシアに来た時に合わせて、日本製品排除のデモが勃発し、焼き打ちの対象になった、トヨタオートドゥアリブもここで健在だ。しかし、その脇道、裏道は、洗練の大反対で、ゴミだらけの混雑が現実だということを知る。そのまま南下すると、スマンギの高速道路の下をくぐる。

 

バナナの話 先ほど丁度いいサンプルを見つけた。バナナの木である。左側がジャントゥン ピサン(バナナの心臓、バナナの子供を包んでいた房)とその上にでてきたばかりのバナナの実が見える、その先端に黄色い花も見える。右は既にバナナの実の状態になっている。その下にある筈のジャントゥンがない、もう、取られた後なのです。野菜?として、食べられる。

グロドック 秋葉原 良いところ

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする