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南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆いつか我が身にも

2011-09-15 17:57:21 | 試練

Tol Cipelaran?高速道路チカンペックからパダララン間の有料道路。約60kmでしょうか。この間谷に掛る橋が二か所ある。その他の谷は前後の山を削ってその土を谷に落として谷の深さを若干浅くし、山を若干低くした。トンネルは無し。バンドンへゆくとき、もっと先のタシク、ガルッ、チアミス、バンジャール、パンガンダラン、通り越してチラチャップやジョクジャカルタへ行くにもこの道を通る。私は何往復したか分からない。

できた当時にこんな高速道路を何故許可したのだろうか、疑問を書いたが、このレバラン休暇の時に大きな事故が頻発し、有名タレントが運転していて事故を起こし、新婚の妻を亡くした。

 明らかに、これが引き金になって、その高速道路の危険さが報道され始めた。急な登り下りの連続、カーブがきつい、舗装の状態が凸凹だし、アスファルトダッタリコンクリートだったりする。中央分離帯に出っ張った場所が何箇所もある。路肩が下がり過ぎているし、舗装されていない。日本では道路の状態に関する法律によって、こんな道路は許可されないと思う。インドネシアの法律は許しているらしい。どう考えても、無茶な道の設計だと思う。事実、登れないで、立ち往生しているトラックやバスは必ず見かける。それでなくても、のろのろ、喘ぎながら登っている車は多い。

道の事情とは別に、運転術が未熟なインドネシア人が多いので、チェンジの使い方に慣れていない、普通の乗用車でも、ちょっとした登りでも極端に速度が落ちる。追い越し車線でのろのろ運転になってしまう車が多い。なお、事故のもとになる。

 

 また、この区間は、山の中を走るので、風の吹き方が平地と違って、突風が多い。下りでスピードを出し過ぎて、横風にあおられ、中央分離帯の側面からブッツカル事故が多い。擦りキズ、事故の後のガラスの散乱がそのまま残されている。道のりずっと、である。回転ブラシを使った清掃車が掃除をしているところを見たことが無い。

 

 ハーグ条約(Hague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction)に批准に反対しよう。ハーグ条約はヨーロッパ、アメリカなど欧米諸が加盟している、「国際結婚してその土地に住んでいる夫婦のどちらかが自国へ子供を連れて逃げかえることを誘拐と断定し、強制的に元住んでいた場所に戻される」という条約です。私が、思うに、日本にとっては不平等条約だ。江戸時代終盤から明治時代初期の、治外法権と同じだと思う。こんな条約を無条件で批准するはずは無いと思うが、もし、批准されたら、日本国中のあちこちで大騒ぎになると思う。

 無断ですが、考えは同じだし、専門の方々の集まりですから、

http://hague-shincho.com/

このウェブサイトにアクセスしていただいて、どんな条約かを知っていただきたいと思います。

 一番怖いのは、ハーグ条約を承知の上で、配偶者に辛く当たっても、立証できないので、国外へ逃げても、子供だけは取り戻せると確信犯的DVをすることです。

 事故が多発している中央分離壁。有名タレントが事故を起こしたジャカルタから97km地点、左カーブで緩やかな下り坂、知らぬ間にスピードが上がってしまう。横風も強く、ハンドルを取られた。

舗装の幅が狭く、大型とすれ違うときには、どちらかの左タイヤをアスファルトからはみ出し、土の道を走ることになる。大型同士の場合は、両方とも大きく左に傾いてはすることになる。インドネシアの田舎の舗装は殆ど、この狭い幅にしてある。危険を承知だろうが、何か、理由があるのでしょうか。

最低 危険 理不尽

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(^_-)-☆部落同士の合戦

2011-09-14 22:08:14 | インドネシア

 また、マルクのアンボンで住民同士の闘争が起きた。死者も出ているようだ。石の投げ合い合戦が主らしいが、町の中心は完全に機能をしなくなっている。警官が止めているので一時、落ち着いているが、止めが無くなればまた始まるでしょう。何年も前から、繰り返され散る。主にキリスト教徒とイスラム教徒の勢力争いです。

 パプアの各地の争いは宗教も絡んでいるでしょか、主に、利権争いのようだ。何十年もとの闘争が続いている。隣同士の喧嘩である。

 インドネシアでは、ちょっと、町から山の方に向かうと、そこの土地の人、出会う人は殆ど蛮刀を持って歩いている。ピカピカに光っているのではなく、錆色をしている。鞘におさめられてはいない。その人達にとっては必携なのでしょう。畑へゆくにも山の中に入るにも、椰子の木で何かをするにしても、その刀を持っていれば、色々な使い方が出来て便利なのでしょう。しかし、渡し方見ると、切るというより叩き切るという感じの切れ味の悪そうな、刀をもて歩いていること自体が危険行為だという印象を受ける。日本で農家の人が鎌や鍬を持ったり担いだりしているのとは様子が違うように思う。

日本なら銃刀法に抵触すること必至である。

そういう、田舎の人達が集まれば、刀持参と言わなくても、当り前のようにその刀を持った人が集まることになる。同士の喧嘩は、投石と刀を振りますこと、それと槍の投げ合いである。かなり原始的な合戦になる。なかなか、勝負がつかないので、一旦は、和解さえられたり、遠ざけられたりしても、すぐにまた始める、子供の喧嘩のようにも思えるが、かなり、深刻な根深い闘争のようだ。私には分からない。

多分何十年後にでも同じことをしていることでしょう。

 

 金型や装置の出来具合を見ながら、今日、明日は出社しないで家と外回りである。押出部門の成形ラインが足りなくなることは半年前には分かっていて、中古装置の購入の準備や説得、根回しをして来て、一か月半ほど前には、稟議書を提出できる資料を担当者に渡してある。根回しの結果は思わしいものではなく、もっと、強力に頼まなければならないが、取りあえず稟議書を提出しておいてもらおうと思ったからでした。しかし、提出をしていないとのこと。こうなったら、やることは只一つになった。

 こんなトカゲと、こんな車。状態が似ているような気がして・・

 合戦 野蛮 隣同志

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(^_-)-☆冗談ニュース

2011-09-13 23:21:06 | 能力

 Beritawaという番組がある。BeritaTertawaを繋げてあります。“お笑いニュース“

です。冗談、風刺をニュース調でやるコメディー番組です。インドネシアの世相を直ぐに反映して皮肉っているので大変面白いし、参考になる。汚職斡旋会社が出来て、著名な政治家や実業家が、ちょこっと、名前を変えて、会社の役員になっている。現在つかまっている容疑者が顧客だったことも伝えている。斡旋はするが、その後のことは自己責任と断っている。インドネシアに住む日本人の方々、NHKばかり見ていないで、たまには、ローカルの番組も見てみましょう。

 

 今日から、ほぼ全員が現状に復帰したと思う。NANBUの押出部門は会社全体の売り上げの中では微々たるものに過ぎないが、これは、仕事の性質上仕方が無い。大量の大型の押出製品などあり得ない。大量販売の大量利益など今どきあり得ない。大量の注文を取っても、忙しいばかりで、利益に結び付かないのが今どきの下請け仕事です。多額の投資をしても回収が難しいのが現実です。そう、上手い仕事は転がっていない。

しかし、押出部門は堅実に着実に利益を上げている。

 今のところ、押出成形なら何でも引き受けてやってしまうという力は持っていないが、現状のお客さんから出される新しい製品については何とか対応が出来ている。なお、資金的には厳しいが、押出の場合、確実に利益が出る仕事があるので、そのための投資をすれば客先にも歓迎されるし、利益も上がる。それをこれからも説得してゆく。なぜ、大きく成長した会社の手伝いを無償でしているのでしょうか、疑問を感じる。

 

 椰子の実の多くの種類の中の一種。一般的に椰子の実は若いうち、まだ、緑色の内にもいで、内壁を食べたり、汁を飲んだりするのがおいしい。内壁は柔らかくて半透明でつるっとしている。これが、少しずつ茶色みがかって来るに従って、厚くなるが硬くなり、甘みが無くなる。汁の甘みも少なくなる。椰子の実は熟れてからでは遅い、若い方が良い。

 椰子の実は汁を飲むだけでなく、熟れてしまった実は、内壁を削いで白い実を色々な目的に使う。お菓子にまぶしたり、食べ物上に掛けたりする。ナタデココは有名でしょう。ココナツ汁で煮ものを作る。日本人が出汁を使うように、ココナツ味もインドネシアの味の一つです。

 椰子の実や椰子の木や葉は南の国の人々にとっては食住に欠かせない、というより、生活そのものです。燃料になるし、臭い消しにもなる。

 とにかく、バナナとヤシは至る所にあり、種類も日本人が知るより、遥かに多い。

 椰子 テレビ 番組

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(^_-)-☆感じ方は様々

2011-09-12 20:22:23 | 状況

 レバランで帰省した人達のUターンは今日でほぼ完了する。そして、彼らと一緒に職を求めてジャカルタ周辺に入ってくる人が急に増える。当てがあるわけではないが、田舎にいてもすることは無いし、職場も無い、何とかなるだろうと、Uターン人にくっついて出てくるのです。その人数はJABOTABEKで5万人以上という説もある。下宿屋(KOST、コストではなくコスと言います)の需要が急増する。

 

Musim kemarau(ムシンクマラウ)乾季ですね。一層深刻になっている水不足は全土に広がっている。先日東ジャカルタのクリシス アイル ブリシーはカリマラン川のダムの修理に依って、60%程回復しているらしいが、不足していることには間違いない。湧水が出なくなって、川の水や井戸の水が出なくなっている地方が増えている。アイルブリシー(新鮮な水)とはもともと、名ばかりな水だと思うが、それでも、沸かせば飲める。それが無くなっているのです。遠い場所までポリタンクや甕をかついで水汲みに行く子供達の様子を放映している。

 火事に依る煙害も深刻になっている。各地の空港がそれによって閉鎖になっている。ジャカルタをチカランの方から見ると、モヤのドームに、包まれてみるし、サンセットが真っ赤のマン○に見える。雨が降るまでこの状態は続く。排気ガスや火事の煙がジャカルタ上空に留まっているのです。風が吹き飛ばすことも無い。恒例の風景です。

 

色々な病気を簡単に治すとか、何々が直ぐに上達するとか、そういう、無差別メールが頻繁に入ってくる。所謂、迷惑メールです。

「これから一般に出回ることはないとされたパニック障害改善術を公開します。
もし、あなたが「パニック障害をなんとしても解決したい!」と思っているのであれば
ほんの5分だけ、私にお時間をください。
あなたのパニック障害の原因と改善の手順をご説明します。
まずは、パニック障害の悩みから改善されたかたの感想をお聞きください。」

結局、原因も改善の手段も示されあいママ、延々と体験談が書かれていて、最後に本を買えと書いてある。本の中に何が書いてあるか分からない本を買って読んで実行できるわけがない。そんなことで、治ったり、上達したりしたら医者はいらないし、練習もいらない。明らかに、詐欺商法ですね。こんなことで、人をだまして、金を集めて、ろくなことに使わない。気の毒な人が多いですね。

 

 朝6時にティーオフ、その時の空です。朝焼けの羊雲、三十分ぐらい御現象でした。インドネシアでほとんど見ることができない羊雲、インドネシアでも羊雲と言うらしい。

 

 乾季 羊雲 詐欺

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(^_-)-☆自分はいなくても

2011-09-11 22:04:04 | 状況

ハチロなにがし、経済産業大臣?辞任?何をしたの?何もしなかった?ただ、何か言ったらしい。それで止めた。こんなものでしょう。日本の政治家の常識とかモラルは、この人に限ったことではない。誰がどんな地位つても、行政も公務員も同じようなものです。だから、期待してはいけません。期待すればするほど落胆が大きくなります。

お金の配分を欲しい人が祭り上げた人達ばかりです。そのお金を獲得した人達は、政治家にお金で見返りを渡すのです。そういうシステムになっているのです。真面目にコツコツ仕事をして税金を納める人にはお金は回って来ないのです。税金を納めない人にお金が回るのです。

 

日本の行政に限らず、会社の中にも邪魔なだけで必要が無い人はいる物です。高額な報酬を受け取っているが、その職場にとっては、居てもらって+になる、±0である、-であると分ければ、-になるという人です。その人が居ると会社のためにはならない、その人だけのための仕事が増えてしまって、回りの人が会社のためにしようとしている仕事ができなくなってしまう。そういう人に限って、率先して教えたり、導いたりすることはできない上に、自分の思うようにやってもらえない時には怒りっぽい。職場の雰囲気が悪くなる。職場にとって自分は役に立っているのだろうか、必要な人間なのか。もしかして、自分が居ない方が良いのではないか、手伝いをしたり、指導したりするよりも、皆さんの負担になってしまっているのではないだろうか、と、そういう人は思わないのです。ただ、行けと言われらから来ただけで、何をしろとは言われていない。邪魔になるとか、役に立つとか、そういうことを考えたことが無いのです。

日本人は誰でも、赴任して三カ月過ぎたころに、“自分がもしこの場からいなくなった時、残った人達に与えるメリット”を考えてほしいものです。先ず、第一に給料など本人に掛る費用がゼロになることです。第二に、滞在のための手続きなど総務の仕事が軽減される。第三に現地の人達がその人云われてやっていたことをしなくてよくなり、その時間で他のことができる。それ以上にあなたはメリットを与えていますか。

私が手伝った会社の日本人の中の半数は、単純にいうと、居てもいなくてもいいという人ではなく、居ない方が良いという人でした。

 

他の会社も同じように事情が多い。最近の円高で、また、海外進出、海外からの調達に加速が付いているが、こんなことは過去二十年以上前から、階段を下りるように踊場はあるが一貫して海外へ流出している。大企業も中小零細企業も日本から外に出ている流れは止まらない。日本の会社より外国の会社の方が規模も大きくなり、売り上げ利益とも海外事業所頼りになっている会社も多い。日本には技術も人材も、海外へ出すものが無くなっている業種も出始めた。

 

戦線が伸びきってしまっているのです。日本でバックアップできない状態になってきているのです。日本から送る人材は、長年その会社の仕事を経験している現地の従業員より、何かが上ということは無くなっているのです。

 

 私が、サラリーマンになって二三年後のこと、二十四五歳のころ、親会社から派遣されて三四年の任期で出向出来ている、課長とか部長の様な人達は、私にとって邪魔者でしかなかった。仕事ができない上に、一緒になってやろうとしない、教えてほしいと言えば喜んで教えてやるのに、そんなことをやっていられるかというような、そぶりを見せていた。製品が出来なければ怒るし、出来れば、自分が作ったように客先へ持って行くし、クレームや疑問を投げかけられれば、「お前行って来い」と言うし、どうしようもない、人が、私の職場だけでなく、他にも何人かいた。

 

海外進出してある程度継続している会社の現地人に与える日本人の印象もそのようになってきていることに日本企業のトップ達は気が付いていない。気が付いていても、日本にどうでもよい人が余っているので、派遣する。

 

海外への流れは今後何年も続くでしょう、そして、日本人は邪魔者にされる海外事業所も増えるでしょう。海外事業所現地から他の国へ派遣する時代もそう遠くないと思う。日本人はいらなくなる。

 

邪魔 任せる 自立化

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(^_-)-☆必要なのは人に依る

2011-09-10 22:12:40 | 能力

  日本の首相が変わったのですね。野田という人らしいですね。まったく関心が無いので、どうでもいいのですが、日本の政治は立法は行政は何をしているのでしょね。私は、高校大学と奨学金を頼りに通過しました。その後は公共の世話になったことは一度もありません。逆に障害になったことは沢山あります。税金はおそらく、平均の100倍以上は払っているでしょう。この歳になっても、払い続けています。その上、公共がやってほしいがやらないことをボランティアとしてやっている。

 公僕たる公務員は合法的に堂々と、胸を張って、高給を受け取り、年金を民間より多く受け取り、天下りなどで何度も退職金を受け取る。そんな、強欲なお代官様のような公務員が日本を引っ張っていると思っているのですから、インドネシアのアンダーテーブルの蔓延の世界の方が、金額的にも少ないし、可愛いものである。

 と私は、思っているので、自分のことは公共を頼りにしない。自分の身内のことも自分が守る。それでも、公共は私の自由にはさせない。様々な規制や義務を押し付けてくる。自分にとっては何の利益にもならないが、従わなければならない。税金を払わなくてもいいようにしてほしい。固定資産税って、いったい何なの?物をもっているだけなのに税金が掛る?変だと思う。お金を持っているだけで、税金がかかりますか、貯金してあるお金に税金がかかりますか、財産は、お金を物に変えただけです。何故、税金がかけられるのでしょうか。

何の助けもいらないから、自分の好きにさせてほしいというのが、本音です。学校など公共にお世話になる時にはその代償を支払います。その時の補助もいりません。学校を使わないで、自分で教えるとか、教師を雇って教育するとか、色々な方法を使うのも自由にしたい。

 私がこれから起業するとしたら、公共や銀行の援助は必要ありません。やりたと思った時にいつでも自分のお金を使ってできます。また、これから起業しようと思っている若者に資金を提供することも出来ます。勿論、その人と仕事をチェックしてからです。

 ただし、その若者が、公共の起業者補助の制度を使ったり、銀行の援助を得たりすることは賛成です。資金が足りないが、意欲や技術をもっている人なら、そのくらいの企業努力は当然でしょう。使えるところは何でも使ったらいいと思う。逆に、起業したいと思う人はそれくらいの勉強をして知識を持っていなければならないと思う。

 

 乾季も残すところ一か月半ほどになっている。各地の乾燥はピークに達し様としている。水田や畑が干乾びた様子を伝えられるのは年間の風物詩だが、各地の火事も同じです。町中の家の火事も頻繁に発生している。物を持ち出している人はいるが、水を掛けているようすが無い場合が多い。燃えるだけもえて、燃えるものが無くなるまで待つだけのようです。それにしても、竹や椰子の葉や木材で出来た隙間だらけの家はよく燃える。

山火事も各地で発生している。ディエン高原の南東にあるスンビン山の火事は、中腹から発生し、現在、山を一周している火事が山頂へ向かって登っている。水を掛けているようすが無い。人がいない時代の火事です。夜は綺麗です。

 多分、完成していない橋か、壊れて使えなくなった橋か、使っているなら、何が渡れるのでしょうか。山のかなでも渋滞。

 起業 自由 頼らない

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(^_-)-☆少しずつでも

2011-09-09 22:02:40 | インドネシア

 インドネシアの人達の冷静さというか、普通のところを見せていただいた。私の予想通り、バーレーンに2対ゼロで負けたサッカーのサポーターのことです。応援の群衆の多さ、日本ではとても見られない、風景でした。若しかしたら、ほんの一部の人達でも、騒ぎだせば、呼応して、大混乱になる可能性もあったはず。

発煙筒を炊いたり、花火を打ち上げたり、スタンドの様子は、騒然としているとも感じられるが、この程度は、インドネシアのチェックシステムでは、取り上げることができないシロモノだ。危険を感じさせられる群衆でした。しかし、ダムが決壊するような、騒ぎは無かった。バーレーンの選手たちが逃げかえるような状態にはならなかった。インドネシア人サポーターへのインタビューも、インドネシアチームはよく戦った。次は勝ってほしい、という、落ち着いたものがほとんどでした。なんども、ゴールされたシーンを流しながら、解説者も同じようなことを云っている。

 SBY(スシロ バンバン ユドノヨ)大統領夫妻と側近が応援に来ていたが、試合が決まってしまったと思ったのでしょうか、途中で帰ってしまった。その後の予定がどうなっていたのか知らないが、負け試合だからと言って、途中でいなくなるのは、私でなくても、インドネシア人の多くは残念だったと思う。終了まで応援して、皆さんによくやったと、手を振って退席したら、好印象を与えただろうし、一体感を与えたでしょう。

 サッカー人口は多分世界一かもしれないが、選手の身体能力がいかにも低いのが残念。

 

あっという間の三日間でした。生活は平常に戻った。PTの押出部門は、順調でしょうか、どうでしょうか、私としては何とも言えない。

 ベンケルサンジャヤへ行って、現在進行中の装置製造状態のチェックをするとともに、新規に2ライン分の押出機以外の装置の見積もりを依頼した。来年4月から、どこでやるか、日本でやるか、インドネシアでやるか、とにかく、今から準備を進めるためである。

 

暫く、ニュースになっていなかった鳥インフルエンザ。日本人ダイバーに人気のカリマンタン最北部のマナードで11人が発病した。インドネシア全体で、いつどこで発病者がでてもおかしくない状態は継続している。実際、一人や二人では、テレビのニュースにならない。

デングフィーバーは下火になっているというニュースがあるが、乾季はボーフラの生活の場が狭められるのだから、当然です。異常気象でなければ10月から雨期になります。当然、水たまりは増えます。“風が吹けば桶屋がもうかる“よりも遥かに単純で明快な流れで、デング熱は増えます。

開通した道、タシクからバンドンへ入る手前、ガルットからの合流地点に、非常識と言える急角度の上り坂がある。そこをのぼらなくてもいいように迂回の道が出来たのです。大変、便利になったと思います。ただ、その坂を上って平になったところに薩摩芋の店が並んでいる場所がある。バンドン方面からの車と店は今まで通りだが、タシク側からの車は無くなるので、店の客も殆ど無くなるはずです。営業を続けられないでしょう。そこで、早速、新しくできた道路の左側に店が並び始めた。

 

サッカー 鳥フル モラル

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(^_-)-☆試練が通り過ぎた

2011-09-08 22:14:23 | 試練

 乗らなかった日本へのチケットはどうしたかって? 約十万円です。一か月以内の変更はできるが、それ以降には変更できないので、キャンセルするしかなかった。キャンセル料金は100US$です。約8千円、どうですか、それほどの損失ではないでしょう。修理費用にちょっと乗せただけと考えれば安いものです。

 

 パンガンダランからの帰り道で、バスが路肩で傾いている事故。ジャカルタ、JRガトゥットゥスブロトのスリーインワンの看板、その向こう500M位のところのムナラ ジャムソステックビルの17階のヌサンタラセコムインフォマティカへ行って、治ったというラップトップを受け取ってきた。昨日、私が帰った後、若手もテクニカルスタッフがいろいろ試し、解決したという。Command Promptからnetsh winsock resetしたら治ったとか、私にはわけがわからないので、それ以上の説明は求めなかった。直していただいたが、何故こうなってしまったのか、原因は分からないと思う。多分、フィールスが原因だろうと思うので、いつか機会を見て、全面的にバスターしてもらおうと思う。ダウンロードが遅い、多分、その原因も同じだと思う。

とにかく、ノルマルに戻ったことを確認して、ひそかに喜んだ。

 

 この48時間、その前の8日間の連続ゴルフの大変さや疲労や筋肉痛のことは忘れてしまったほど、夢中になって何とかしようと行動していた。今は落ち着いている。このまま、日本へ帰るまでに、持つことを期待する。

 

 メールを開けない間に沢山のメールが届いていたが、インドネシアから去る方からの挨拶が2通入っていた。お二人とも大変、懇意にしていただき、お世話になった方々なので、別れは惜しい。しかし、この世は、“人生是離別“です。メールでお互いに連絡し続けることができればいいがと、思う。

 また、日本へ帰ったばかりの若い人から、会社を辞めてしまった。現在、自分で仕事を始めようと、動き始めたところだ、というものもあった。日本の会社へ戻って、インドネシアでの仕事のように任せてもらうことができない、環境に嫌気をさして、止めてしまう、若者は多い。自由度が全く違うのでしょう。

 私が申請していた、装置や金型の購入許可が下りたので、発注OKです。というのも入っていた。こちらへ持ってきたい、装置については、どうにもならないらしい。予ねての考えを実行することにし、今後の1か月、日本にいる間に、段取りをしてしまいたいと思う。びた一文出せないと言っていたにもかかわらず約120万円のOKが出ただけでも満足しなければならない。残りの300万円弱は、私が何とかしようと思う。

 

 装置や金型の日本への輸出の話は他にも有って、その仲介役をすることにもなりそう。1銭にもならないが、頑張ろうとしている日本の若者のために、一肌、脱ごうと思う。会社の19才の若者には私の技術を教え、彼が引き継ぐ一人になれば、40年以上は私の技術が生き続けるし、それが、基礎になり続けるだろうことを考えると、やはり、金銭の問題ではなく、自己満足の世界だと思う。

 

 満足 奉仕 試練

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(^_-)-☆大変な一日でした

2011-09-07 22:13:05 | 状況

 コンピューターの病気が治ったとの知らせがり、明日の昼ごろにはネットにコネクトできるようになるはずです。

 月曜日5日朝から出勤、図面や金型の修正の依頼とともに、それを手伝った。その時間にはネットに接続出来ていた。

 昼過ぎから、一泊でパンガンダランへ行き、Uターンの混雑ぶりが消えているか、まだ、続いているのか確認したかった。そこで、出発、タシクマラヤまで順調でしたが、その辺りから、バンドン、ジャカルタ方面(Uターン)の車やバイクが込みだし、中央分離帯が無い場所では、バイクがはみ出してきて、こちら側車線のバスの行く手を塞ぎ出した。自動的にこちらも渋滞になってしまった。18:00過ぎには着く予定が、20:00を回って、真っ暗、早速、ネットに接続しようとしたら、全く、対応しなくなってしまっていた。接続先を開いてみたら、何も無くなっていた。全部、ゴミ箱に捨ててしまったと同じ状態になっていた。ゴミ箱をあさって見たがそこにはなかった。何度も再起動してみたが、同じ結果だった、システムの復元を試みたがそれもダメだった。ウイルスにやられたか。どうしてしまったのか、私には全くわからない。どうしようもないので、明日の朝、出発して、昼過ぎには出社するつもりだったのを、夜中に出発することにして、何もできずに23:00に寝た。02:00ちょうどに出発、チアミスまでは真夜中なので全く、車が無くて順調だったが、ジョクジャの方からジャカルタ、バンドンに向かう車と合流するようになって、渋滞が始まった。昨日の渋滞で途中のモスジッドやガソリンスタンドのスペースは車内泊の車で一杯だ。それらの車が除々に週発し始めた06:00頃には大渋滞になってしまっていた。タシクを過ぎた、一回目の急な登りでは、多くの車が立ち往生、渋滞に拍車がかかった。

 そのまま、会社へ着いたのが、09:00を十分回っていた。コンピューター専門の社員に見てもらったが、全然、駄目。しようが無いから、ジャカルタのセコムへ持ち込んだ。

それが、11:00を過ぎていた。そこの担当者がチェックした結果深刻なダメージをうけている可能性があるので、場合によっては買った時の状態のしてしまわなければならないかもしれない、と言われた。一週間ほど見てもらわなければならないかもしれない。入院である。どうするかは、夕方までに知らせるとのことだった。

 そうなっては、どうしようもないので、日本にある同じラップトップを今晩にも出発して8日に戻ってくる予定でチケットを購入した。23:00過ぎのガルーダでした。

 そのつもりで、いた処、SMSが入った。“治った”でした。あ~これで日本へゆく必要は無くなった。安堵した。15日には出発することになっていたので、もったいないとは思ったが、一週間もネットにタッチできなくなることを考えると、居てもたっても、居られなかった。疲れが、どっと出て、睡眠不足も重なっていたので、ぐっすり眠った。

 しかし、信用はするが、明日いって、もし、治っていなかったら、と、考えたりもした。

 Uターンの様子、二時間以上のロスをした。

安堵 疲れ 予約

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(^_-)-☆コンピューター故障

2011-09-07 14:58:00 | 試練

目覚ましのセットもすること無く、22:00~05:30まで、ゆっくり眠った。

写真のこと、写真をとること、写真を紹介すること、それらは私の趣味ではないし、特技でもない。ブログに貼るためと、他人にちょっと褒められて、おだてられて、カメラを持ち歩いていて、ちょっと良いなと思った時、いつでも写真を取れる状態にしている。綺麗なもの、美しいもの、ちょっと変わっているな、あまり、一般的には見ることが無いな、ト、感じる物にはカメラを向けます。趣味と言えば、綺麗なもの、変わったものを、探すことでしょうか。

すでに、膨大(私にとっては)な数の写真をもっています。その中には、その道の専門家が、羨むような、ぜひその場に行って自分の目で確認したいと思うような写真も少なく、なくないと思う。

一番好きな花はバリ島最南端にあるPura Luhur Uluwatuウルワトゥ寺院の右側、断崖の上を歩いて200mほど行ったところに咲いている。白っぽい薄紫の花に産毛のようなものがある。この場所でしか会ったことが無い。

  ブンガバンカイ(動物の死骸のようなにおいがする花という意味です)その一種のラフレシア ファトゥマは大好きな花だが、花とは言えないような気がする。

 

 一番好きな食べ物は?ドリアンです。いい勝負が、チンベダックです。どちらも、臭い、刺激臭で車の中で一緒だと、臭いのは慣れてくれば大丈夫だが、目に来る。涙が出てくる。窓を閉めたまま、走り続けることはできない。でも、食べれば、何とも言えない美味しさです。ただし、食べるタイミングが難しい。ベチャベチャに腐ってしまうちょっと前が最高です。臭いが一番きつい時です。

 一番好きな風景は?ブリトゥンの海岸です。

ネットに接続できなくなってしまった。困った。どうしようもない。

 夜明けとともにゴルフ

困惑 疲労 不可解

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(^_-)-☆エゴ人には良薬なし

2011-09-05 12:09:58 | 人間

送り迎えは、終わった。9連休のうち、ゴルフは8日間、無事にプレーし続けることができた。大願成就のための苦行のようなものでした。04:00起きで、迎えに行き、帰りも、疲れているのに送った。流石に疲れた。筋肉痛も、しばらく、治らないだろう。まだまだ、元気に頑張れるということを確認しただけである。

 今回の送迎で、多くの時間と体力を使った。それは、自分から望んでやったことで、その人達に感謝してもらおうとも、恩を売るという意識も無い。自然に、やっていた事でした。こういう時、私が待つことが多いが、今回の人達は、待つことは無かった。約束の時間に約束の場所へ到着した時に、既に、その場所に来ていてくれた。私は待たせないために、約束よりすくなくとも、5分は早く到着していた。しかし、私が待つことは無かった。皆さんは、10分くらい早く、その場所に来ていてくれたのです。その人達の日本の自宅住所が、これが、不思議、静岡の柳町と服織?(ハトリ)、私の小学生時代の勢力範囲なのです。びっくりした。

ま、以上のことは、それでいいのですが、ちょっと古い話で、キタガワを手伝っていたとき、日本人の若者の技術指導をしていた。その若者、技術的な成長は平均より早かったのですが、自分は間違いをしないという自信が強すぎ、他人に、自分の主張を強く押し付ける傾向があった。日本人の集団の中で、競争相手や難しい上司がいない世界で、もまれることは無いので、我儘がドンドン、激しくなった。インドネシア人にドンドンきつく当たるようにあったし、客先や仕入れ先の日本人とも、もめることが多くなってきた。これは、この若者の将来にとって、このまま、インドネシアに居続けさせることはよくないと判断し、日本へ帰るように自分で希望を出すようにアドバイスした。それが、彼の怒りを買ってしまった。口には出さないが、その後、何かと、私の存在が胡散臭くなったのでしょう。私が何かを一緒にやろうと提案しても、拒否するようになった。

 

彼が技術も様々な知識も何もなかった時から三年間、ほとんど、無償で彼と一緒に行動し、私生活の補助もした。ゴルフやちょっとした旅や日本ではめったにできない大会社の工場見学など、彼が希望する場所に案内した。その間中、私が運転手も兼ねて、彼が待っている場所へ迎えに行き、送り届けもした。数など数え切れない。彼のために、必ず彼が待っているだろう場所に10分前には行っていた。待たせては悪いと思って、遅れるときには必ず電話をしていた。

ところが、彼は、先に書いたように、時間前にその場所にいてまっていることは無かった。必ず私がそこで待たされた。それも、なかなか来ないので、こちらから電話をすると、今行きますから、という、何分後とは言わない。それから、また暫く待つ、出てきて、お待たせしましたとか、御免なさいという、言葉はない、ただ、こんにちはとか、お早うという挨拶だけである。全く、私の気持ちを考えていない。只、自分のことを考えて行動する人間だ、と、評価するようになった。

彼のために、幾ら、時間とお金を使ったか、想像できないほどである。それでも、彼は私に対して、他の人間に行っているのと同じように、何か不満をもっていて、私には言いにくいので云わないで、他人に行っているなと、感じるようになった。人間はそういうものです。他人のことを、ああだ、こうだと、本人以外に言う人は、必ず、その言った人間に関しても、その他の人に悪口を言っているものです。

 

これを、前提にして、彼がインドネシアから日本へ引き揚げる数日前、従業員とともに送別会をやってやろうということになり、私が、彼を会場まで送ることになっていた。いつまで、経っても、彼は出てこない、そこで、人を待たせるなよ、失礼でしょ、電話で云ってやった。彼は、私が思ってもいないことで云い返した。「太田さんだって、私の家に食事を招待した時、来ないから電話したら、『御免、忘れてしまって、寝てしまった』と、云っていたでしょ、その言い方が、本当に謝っているという方ではなく、簡単に謝っていただけでしょ」と言われてしまった。私には心当たりが無い。いつのこと?「三年前だ、忘れたの?」と言われてしまった。謝り方が気に入らなかったというのです。全然覚えていない、本当だとしても、そんな深い恨みを持っているとは知らずに、その後でも、私は、彼をアチコチへ連れて行ったし、色々なことで、お金も私が出していた。技術も教えつづけた。彼は、私から大きな恩恵を受けているはずが、その間、ずーっと、そのことで私を悪く評価していないのです。そして、送別会の日に、私が、待っていることを知っていて、わざと、出てくるのを遅くして、私に仕返しをしたのです。

 

その何年間に何時間彼に待たされたか分からないのに、それを、恨み等とは全く、思っていないで、待ち続けたのに、最期の送別会まで、待ったのに、彼は私を恨んだのです。

 

小学校の時から、ずっと、私は多くの人を待ち続けた、遠足や修学旅行やその他の催しがあれば、私が旗をもって集合するたびにその場所へ早く行って、待っていた。何かと幹事をやること多くて、準備をし、皆さんを待つことが多かった。会社の経営でも、私が先頭になって引っ張っていたので、従業員を何かと、待った。技術指導においても、手本を見せて、やらせて、覚えてもらうのを待った。待たせるということ決してしなかったと意識していた。待たせることは記憶のある限り、しなかったし、待たせそうな時には必ず前もって連絡するようにしていた。それを感謝しろとは思ったことはないし、見返りを求めたことも無い。ただ、私はそういうことができる自分に自己満足しているのです。

 

私としては、かなりのショックでした。記憶にないことなので、なお、ショックでした。今でも、彼の妄想ではなかったのかと思っている。

多くのことを私から学び、多くの場所を訪問して見聞を広げたはずの彼が、私に“イタチの最後っ屁”のようなことをして、去って行ったのです。彼との数年間はいったいなんだったのしょうか。

その後は、エゴが平均以上だと感じた人には手伝いをすることはしなくなったと共に、エゴの人には、人間を改造するように勧めている。他人の手伝いができるような人になってほしいとアドバイスをしている。しかし、手伝いができるようになった人はいない。

こういう彼も、今、40才を超えているはず、今どこで、何をしているか知らないが、こういう人は、奥さんや子供と上手くいっていないはずです。奥さんや子供が可哀そうです。会社の同僚とも上手くいかないし、後輩連中からも、敬遠されたでしょう。最悪の場合、会社も止めてしまっていて、奥さんは子供を連れて、実家に帰ってしまっているはずです。当たっていないと良いですね。多分、当たっているでしょう。

 

こういう人は彼だけでなく、世界中に大勢いる。

ランの一種とキノコの一種

Domestic Violence 我儘 Power Harassment

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(^_-)-☆エゴ人には薬なし

2011-09-05 10:25:30 | ゴルフ

送り迎えは、終わった。9連休のうち、ゴルフは8日間、無事にプレーし続けることができた。大願成就のための苦行のようなものでした。04:00起きで、迎えに行き、帰りも、疲れているのに送った。流石に疲れた。筋肉痛も、しばらく、治らないだろう。まだまだ、元気に頑張れるということを確認しただけである。

 今回の送迎で、多くの時間と体力を使った。それは、自分から望んでやったことで、その人達に感謝してもらおうとも、恩を売るという意識も無い。自然に、やっていた事でした。こういう時、私が待つことが多いが、今回の人達は、待つことは無かった。約束の時間に約束の場所へ到着した時に、既に、その場所に来ていてくれた。私は待たせないために、約束よりすくなくとも、5分は早く到着していた。しかし、私が待つことは無かった。皆さんは、10分くらい早く、その場所に来ていてくれたのです。その人達の日本の自宅住所が、これが、不思議、静岡の柳町と服織?(ハトリ)、私の小学生時代の勢力範囲なのです。びっくりした。

ま、以上のことは、それでいいのですが、ちょっと古い話で、キタガワを手伝っていたとき、日本人の若者の技術指導をしていた。その若者、技術的な成長は平均より早かったのですが、自分は間違いをしないという自信が強すぎ、他人に、自分の主張を強く押し付ける傾向があった。日本人の集団の中で、競争相手や難しい上司がいない世界で、もまれることは無いので、我儘がドンドン、激しくなった。インドネシア人にドンドンきつく当たるようにあったし、客先や仕入れ先の日本人とも、もめることが多くなってきた。これは、この若者の将来にとって、このまま、インドネシアに居続けさせることはよくないと判断し、日本へ帰るように自分で希望を出すようにアドバイスした。それが、彼の怒りを買ってしまった。口には出さないが、その後、何かと、私の存在が胡散臭くなったのでしょう。私が何かを一緒にやろうと提案しても、拒否するようになった。

 

彼が技術も様々な知識も何もなかった時から三年間、ほとんど、無償で彼と一緒に行動し、私生活の補助もした。ゴルフやちょっとした旅や日本ではめったにできない大会社の工場見学など、彼が希望する場所に案内した。その間中、私が運転手も兼ねて、彼が待っている場所へ迎えに行き、送り届けもした。数など数え切れない。彼のために、必ず彼が待っているだろう場所に10分前には行っていた。待たせては悪いと思って、遅れるときには必ず電話をしていた。

ところが、彼は、先に書いたように、時間前にその場所にいてまっていることは無かった。必ず私がそこで待たされた。それも、なかなか来ないので、こちらから電話をすると、今行きますから、という、何分後とは言わない。それから、また暫く待つ、出てきて、お待たせしましたとか、御免なさいという、言葉はない、ただ、こんにちはとか、お早うという挨拶だけである。全く、私の気持ちを考えていない。只、自分のことを考えて行動する人間だ、と、評価するようになった。

彼のために、幾ら、時間とお金を使ったか、想像できないほどである。それでも、彼は私に対して、他の人間に行っているのと同じように、何か不満をもっていて、私には言いにくいので云わないで、他人に行っているなと、感じるようになった。人間はそういうものです。他人のことを、ああだ、こうだと、本人以外に言う人は、必ず、その言った人間に関しても、その他の人に悪口を言っているものです。

 

これを、前提にして、彼がインドネシアから日本へ引き揚げる数日前、従業員とともに送別会をやってやろうということになり、私が、彼を会場まで送ることになっていた。いつまで、経っても、彼は出てこない、そこで、人を待たせるなよ、失礼でしょ、電話で云ってやった。彼は、私が思ってもいないことで云い返した。「太田さんだって、私の家に食事を招待した時、来ないから電話したら、『御免、忘れてしまって、寝てしまった』と、云っていたでしょ、その言い方が、本当に謝っているという方ではなく、簡単に謝っていただけでしょ」と言われてしまった。私には心当たりが無い。いつのこと?「三年前だ、忘れたの?」と言われてしまった。謝り方が気に入らなかったというのです。全然覚えていない、本当だとしても、そんな深い恨みを持ってるとは知らずに、その後でも、私は、彼をアチコチへ連れて行ったし、色々なことで、お金も私が出していた。技術も教えつづけた。彼は、私から大きな恩恵を受けているはずが、その間、ずーっと、そのことで私を悪く評価していないのです。そして、送別会の日に、私が、待っていることを知っていて、わざと、出てくるのを遅くして、私に仕返しをしたのです。

 

その何年間に何時間彼に待たされたか分からないのに、それを、恨み等とは全く、思っていないで、待ち続けたのに、最期の送別会まで、待ったのに、彼は私を恨んだのです。

小学校の時から、ずっと、私は多くの人を待ち続けた、遠足や修学旅行やその他の催しがあれば、私が旗をもって集合するたびにその場所へ早く行って、待っていた。何かと幹事をやること多くて、準備をし、皆さんを待つことが多かった。会社の経営でも、私が先頭になって引っ張っていたので、従業員を何かと、待った。技術指導においても、手本を見せて、やらせて、覚えてもらうのを待った。待たせるということ決してしなかったと意識していた。待たせることは記憶のある限り、しなかったし、待たせそうな時には必ず前もって連絡するようにしていた。

私としては、かなりのショックでした。記憶にないことなので、なお、ショックでした。

多くのことを私から学び、多くの場所を訪問して見聞を広げたはずの彼が、私にイタチの最後っ屁のようなことをして、去って行ったのです。彼との数年間はいったいなんだったのしょうか。

こういう彼も、今、40才を超えているはず、今どこで、何をしているか知らないが、こういう人は、奥さんや子供と上手くいっていないはずです。会社の同僚とも上手くいかないし、後輩連中からも、敬遠されたでしょう。最悪の場合、会社も止めてしまっていて、奥さんは子供を連れて、実家に帰ってしまっているはずです。当たっていないと良いですね。多分、当たっているでしょう。

 

こういう人は彼だけでなく、世界中に大勢いる。

 

DV 我儘 思い込み

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(^_-)-☆人気の競技と危機

2011-09-04 23:14:54 | 矛盾

サッカーワールドカップ予選リーグは6日のバーレーン戦から、幕開けになる。韓国、イラン、バーレーンとインドネシアです。とても、勝てるとは思えない相手ばかりで、一生も出来ないでしょう。ブンカルノ国立競技場は10人以上を収容できる、大スタジアムで、それでも、多くの応援希望者は入ることができないで外で、大騒ぎをする。

インドネシアが世界で通用するスポーツはバドミントンだけである。その他のスポーツは全く、世界へ出れば話にならない。

インドネシアで一番人気があるスポーツは誰が何と云ったって、サッカーです。インドネシア語でスパック ボーラと言います。私が行ったことがあるインドネシア中のどこの田舎へ行っても、子供はボールを蹴って楽しんでいます。海岸や湖の砂浜でも必ずサッカーをやっています。子供のころから親しみ、学校でも盛んで、日本と同じように、各段階でのインドネシア選手権があり、最終はJリーグと同じようにインドネシアの各地域を根拠地にしたプロの試合があります。どこの、競技場も満員になり、応援は熱が入り過ぎ、ファン同士で喧嘩はざらですし、テレビの中継も多い。家の外にテレビの画面を向けて、近所の大人も子供も家の前に集まって、テレビを見ている。

プロの選手は、日本の先週より遥かにスターです。コマーシャルに頻繁に多くの選手が出演しています。多くは日系企業の製品の宣伝です。インドネシアのスポーツ選手でコマーシャルに出るのはその他のスポーツではバドミントンの元世界チャンピオン位のものです。あ、もう一人、ボクシングの選手が引取ります、何級だったか、世界チャンピオンで、既に、5回連続防衛している選手です。

テレビの番組にゲストとして出演するのもサッカー選手です。とにかく、他に、人気があるスポーツがない分、サッカーの人気は絶大です。

ヨーロッパ各国や南アメリカ各国リーグ戦の中継もオンタイムで真夜中にやっていて、視聴率も高そう。レベルが全く違う国のリーグ戦の中継の時の解説者は批判したり、評価したりしているのが、奇妙に感じる。

で、インドネシアのサッカーの実力はというと、素人の私が見ていても、スピードが遅い、ボールの速度も、人間が走る速度も遅く感じて、見ているとストレスが溜まる。Jリーグと比べると、全体が三分の二位の速度でやっているので、めまぐるしさが無い分、感染するだけなら、ゆっくり観戦できる。日本人も何人かインドネシアのリーグでやっているが、彼らは、ほとんど目立たない。それらの選手は日本で話題になることも無い。

ヨーロッパで活躍している日本人選手は、皆さんよう知っていて、インドネシア人から、だれ誰を知っているかとよく聞かれる。

これだけ、人気があり、盛んにおこなわれているのだから、国として、もっと、優秀な運動能力に優れた子供達を集めて、英才訓練をしたらいいと思うのだが、そういう国の姿勢は無いようです。

大騒ぎするなら、強くなってほしい。

 

 東ジャカルタは深刻な水不足に見舞われている。ここ一か月以上、雨らしい雨がカリマラン川流域に降っていない。クリシス、アイル ブリシーと言っている。“新鮮な水の危機“と言っている。私から言わせれば、新鮮な水ではないが、洗い物、洗濯や水浴用に使っている水が、枯れてしまっているのです。原因は雨が降らないことと、カリマラン川周辺の取水量が増えていて、下流のジャカルタまで届かない。この状態になることは、予想できることですが、誰も、対策を取っていなかったし、これからも、すぐに対策を取ることはできない。雨が降るのを待つしかない。

 先ほど、私の家のAQUAがほんの少ししか残っていなくなったので、水屋へ電話したら、在庫が無いから届けられないという返事。それではと、ボトルをもって、コンビニへ買いにいった。しかし、ハビス カパン マスク ティダッ ジュラス 無くなってしまった、いつ入るか分からないという返事、何軒か尋ねたが、皆同じ返事。長期の休み中に水が無くなってしまったが、会社も休みで届かないという。残念、しかし、ある場所を差がいた。すると、AQUAの配達をしているAQUAの会社のトラックとすれ違った。急いで、Uターンして、後を付けた。暫く追いかけていたら、一軒の水やLPGを扱っている店の前で止まった。そして、やっと、ガロンボトルと言っている19リットルボトルを二本買うことができた。ほっとした。一本11000Rpです。

 リッポチカラン ルコタムリンの中の日本食レストランとマグロづけ丼セット、税込みで、約650円

 水危機 国技 弱い

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(^_-)-☆公務員の休暇と収入

2011-09-03 22:19:34 | 複雑

斜めからインドネシアを見る 961ゴルフも残り二日になった。30日を除いて、毎日プレーを続けている。6日プレーをした。プレー費は一万五千円くらい、キャディーへのチップが一万円くらいでした。
省エネゴルフで、素振りは殆どしない、いきなり打つ。百十の王、ライオンとしては、もうスコアーなどどうでもいい。ただ、毎日、続けることに意味があると思ってやっている。私を含めて、三人が今日まで続けてたが、そのうちに一人は今日、途中で、リタイアしてしまった。やはり、疲れが蓄積していて、体に変調をきたしたらしい。そこで、明日は、その人は休む、替わりに、赴任してきたばかりの青年が入る。コースを回るのが、明日で、二回目という。初心者である。どうなることでしょう。

 完全にUターン渋滞になっている。土日がピークになると予想している。ところで、毎年、大統領が、公務員は土曜日から次の日曜までの8日間の休暇を取り、金曜日まで、通常通り勤め、日曜日には、家に帰り、月曜日から出勤するようにと、談話をだす。しかし、公務員のほとんどはムディックの渋滞が始まる前の木曜日以前に休みを取り、Uターンは渋滞が無くなる、月曜日や火曜日に帰ってきて、出勤は水曜日以降になる。だから、8日間休むのではなく、最低12日位休むのです。公務員の仕事は約二週間ストップ状態になるのです。プアサに入ってから、ラマダン休暇明けまでの、約一週間、許認可に絡む、仕事はストップし、許可、認可は、他の時期に比べると、一か月以上遅れるのです。それも、書類の提出順にやってくれれば、一か月遅くなるだけだが、書類は渋滞をして、次から次へと積まれる。公務員さん、どの書類を手にするか、読むかは、ちょっとした、アンダーテーブルを受け取ったか、受け取れないかで、判断するので、只待っているだけでは、一か月どころか、二か月以上掛ってしまうこともある。許認可の申請はプアサに入る二か月以上前までにしなければなりません。プアサ前一か月の申請は、三カ月くらい、後になることを覚悟しなければなりません。

 その点、警察と交通警察だけは、休暇返上で、仕事をしている姿が、映し出される。おそらく、レバランの後に休暇を取ると思うが、彼らが道の要所、町の要所に立っているだけでも、渋滞や混乱の度合いは少しは少なくなっていると思う。もっとも、彼らは、プアサ中、取り締まりを厳しくして、罰金を懐に入れてしまうという、悪しき評判もある。私も、そう思う。日本のように切符を切って、罰金を納めさせるという、システムはある。しかし、振り込みの制度が無い。後日、警察に出頭して、罰金の額を言い渡されて、払うという。日本で、40年くらい前までにやっていたシステムになっている。だから、捕まった人は、必ず、その場で、幾らか払って、済まそうとする。警官もその方がいい。自分の懐に入れる。そのうちのなん%かは、上司に渡して、警察ぐるみで、そのシステムを実行しているのです。
 第三者のチェック機構があれば、罰金が国庫に入る金額が少ないことを指摘して、不正の正そうとするだろうが、当然、その第三者機構も、お金をもらえれば、指摘をしなくなる。これが、インドネシアです。
 渋滞。認可 罰金 収入

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(^_-)-☆インドネシアナウ

2011-09-02 22:14:57 | 状況

 残り三日、相当疲れてきている。それも、ドライバーをして、皆さんを送り迎えしているので、なお大変。朝、家を出たら、リッポリカランへ向かい、クラウンコートとチトラインで一人ずつ乗せ、MM2100のアパートで一人載せて、ジャバベカゴルフへ向かう。帰りは、リッポチカランのルコタムリンの日本食レストランへ送り、食後、クラウンコートとチトラインへ送り、MM2100へ送り返し、会社へ出て、二三時間仕事をしてから、チカランの自宅へ戻る。朝、04:40位に家を出て、戻るのが、17:30頃になる。それから、文章を書いたり、写真の編集をしたりする。また、日本とメールで会話したりする。休日の連続ですが、休日をのんびり過ごすということとは正反対な生活をしている。

 

 9月に入った。インドネシアも半月過ぎた。後半は日本で使うおもちゃの完成の手伝いをするとともに、輸出前のOKを出せればいいと思っている。押出部門は、私が撒いた種が徐々に実のりだし、中古で入れた装置のほとんど全部が稼働する状態になりそうだ。設備を増やさなければ、新しい、注文に対応ができ無きなる。年内には最低、二ラインの増強を画策する。一銭も投資を増やせない状況も分かるので、それでも、増強できるような手段を考えている。

 

インドネシア全体で何人の人が恩赦、特赦で刑務所から解放されたことでしょうか。あまり、大きく報道されていないが、ジャワ島だけでも一万人以上という、全体では、その倍以上でしょう。汚職、贈収賄、麻薬常習者など一般的には刑期の半分が終了した人は釈放されるとか。結局、刑務所の経営上も問題で、飽和状態を毎年、この時期に解消するのです。以前、スハルトの次男のトミーがヌサカンバンガンへ汚職蓄財の罪で、10年以上の懲役になったが、5年足らずで、刑務所から解放されている。

逮捕当時、大騒ぎをして、刑期も確定した大物経営者や政治家、芸能人が、目立った報道も無く、いつの間にか、釈放されているという例は沢山ある。

 

 

 

テレビで報道されていた話だが、スンバコと言って9種の生活基本食品や洗剤など、一般的にどの家庭でも、使われるものを、金持ちが貧乏人に与えるという習慣については、既に書いた。その時に怪我人どころか死者まで出る大騒ぎになることも、毎年繰り返されている。そこで、面白い話、その、スンバコを受け取り代行会社が出現したとか。電話一本で、スンバコばら撒き場所へ行って、受け取って、届けてくれる。幾らかの謝礼を払う。結局、只で貰うのではなく、危険や困難を避けて、ちょっと、お金を払って買う。ということです。代行会社、儲かるのでしょうか。

ゴルフ場

代行 仕掛 恩赦

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