エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

牧野富太郎博士を思う

2010年07月28日 | 日記
世界的な植物学者であって、練馬区が誇る文人でもある牧野博士の居宅がリニューアル・オープンとなる。



オープンは8月1日である。
練馬区立「牧野記念庭園記念館」と命名されている。

場所は、西武池袋線「大泉学園駅」下車(南口)徒歩5分である。



トケイソウである。
パッションフルーツの蔓系の木である。

「日本の植物学の父」といわれる。
多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。

発見、命名した植物の例には枚挙の暇もないけれど・・・。
ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサなど多数である。

その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。



これもトケイソウである。
この記事にトケイソウを入れてあるのは、特に意味は無い。

意味は無いけれど、トケイソウはぼくのシンボルフラワーである。
残された時間を測りながら生きていくぼくを、いつも励ましてくれる花である。

さて牧野博士に戻る。
博士が命名した植物の和名については、ワルナスビやノボロギクのような、当該植物種の性質を短い言葉で巧く言い表しているものもある一方で、ハキダメギクなど発見場所をつけただけの命名もある。
イヌノフグリのように意味を考えると(犬の陰嚢の意)、少々破廉恥なものもあるのだ。



しかし、亡き妻の名を冠したスエコザサは、一貫して学問に真摯な態度で臨んだ牧野からすればこうした学問の場以外の私情をはさんだ献名は例外的であって、研究を支え続けてくれた妻への強い感謝の気持ちが伝わってくる。

麗しいほどの夫婦愛が伝わってくるのである。

「花在れバこそ吾れも在り」
牧野博士の言葉である。

「きみ在れバこそ吾れも在り」
きみに伝えたいのである。

8月1日に行くのは無理だけれど、8月早々には参観に出かけようと思っている。
牧野博士の居宅や、その庭園をこの目で見ておきたいと思っているのである。

ガーデニングの妙・・・草花の配置に隠された意図など探ってみたいのである。




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今日の空について・・・という考察

2010年07月28日 | 日記
考察しよう。
空についてである。



書いたような空である。
この空の下、人は泣き笑いを繰り返している。

時には意味のある喜怒哀楽。
時には無意味な、何も生産しない喜怒哀楽である。

この空の下、時間は確実に刻まれていく。



銀杏の樹には「ギンナン」が鈴なりになっている。
味覚の秋を予感させつつ、陽射しをその濃密な葉の積み重ねの中で「濃し」ている。



目の前に続く欅並木は、陽炎のように先が霞んでいる。
あまりの陽射しに、大気を澱(よど)ませているのである。

そこをユラユラと人が歩いている。

思わず立ち止まって、行く先を見ている老人はこの後、思い切って陽射しの降り注ぐ歩道に踏み込んでいった。



ストーブを抱きかかえているかのようである。



カラスは殆ど飛んでいない時間帯である。
カラスも熱さに耐えかねたのか、羽を一本落としていった。



ぼくは、熱中症を警戒して藤棚の下でしばらく涼んだ。
少しだけ冷たい一陣の風が通り抜けて行った。

今日の空は、熱さを抑えて雲を遊弋させている。
綺麗な空が多いのである。






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