ぼくの散歩道を紹介しよう。
道すがらの風景である。

秋には金色に黄葉する銀杏並木である。
ここに、小柄なヴァイオリン弾きがが現れる。
エルガーの「愛の挨拶」などを弾く。
その音は銀杏並木にスッと吸いこまれるようで、耳に心地よいのである。
ぼくはベンチに腰かけて聴く。

少し進むと、木漏れ日を楽しめる場所がある。
若いカップルは、ここにビニール・シートを敷いて寝転んでいる。

原っぱは昆虫たちの天国でもある。
人も、小昆虫たちも気持良さそうである。
こうした自然が残されているのは人々の努力の賜物でもあろう。

さて今咲いている花たちは・・・。
嚆矢とするのは、やはり向日葵であろう。

最近、都会の向日葵は「おひさま」を向いて咲かない。
うなだれて咲く花すらあるのである。

芙蓉の花である。
中国では、芙蓉と言えば蓮であるけれど・・・。
日本では酔芙蓉は木の花である。
謝普監督の映画「芙蓉鎮」が思い起こされてならない。
文化大革命で引きはなされた夫婦の愛の履歴が、蓮池の花と共に描かれている。
素晴らしい映画である。

これはカンナ。
花ミョウガにも似て清楚に咲いている。
華やかさに欠けるけれど、芳香を持っている。

ムクゲである。
お隣の韓国の国花であると前に書いた。
だがしかし、ウルルン島を巡る動向や、竹島問題はぼくの胸を痛める。
親韓のぼくとしては、最近の韓国の動きは許容できかねるのである。
だがしかし、花には責任は無い。

デイゴカズラである。
垣根に咲く。

百日紅の花は、赤を基調としてピンクから白へと様々な色彩を持っている。
木によって色が違う。

紫式部の花。
秋の準備が進行している自然の世界である。
我が散歩道は四季折々に楽しい。
そして、何事かを考えさせるのである。
にほんブログ村
荒野人
道すがらの風景である。

秋には金色に黄葉する銀杏並木である。
ここに、小柄なヴァイオリン弾きがが現れる。
エルガーの「愛の挨拶」などを弾く。
その音は銀杏並木にスッと吸いこまれるようで、耳に心地よいのである。
ぼくはベンチに腰かけて聴く。

少し進むと、木漏れ日を楽しめる場所がある。
若いカップルは、ここにビニール・シートを敷いて寝転んでいる。

原っぱは昆虫たちの天国でもある。
人も、小昆虫たちも気持良さそうである。
こうした自然が残されているのは人々の努力の賜物でもあろう。

さて今咲いている花たちは・・・。
嚆矢とするのは、やはり向日葵であろう。

最近、都会の向日葵は「おひさま」を向いて咲かない。
うなだれて咲く花すらあるのである。

芙蓉の花である。
中国では、芙蓉と言えば蓮であるけれど・・・。
日本では酔芙蓉は木の花である。
謝普監督の映画「芙蓉鎮」が思い起こされてならない。
文化大革命で引きはなされた夫婦の愛の履歴が、蓮池の花と共に描かれている。
素晴らしい映画である。

これはカンナ。
花ミョウガにも似て清楚に咲いている。
華やかさに欠けるけれど、芳香を持っている。

ムクゲである。
お隣の韓国の国花であると前に書いた。
だがしかし、ウルルン島を巡る動向や、竹島問題はぼくの胸を痛める。
親韓のぼくとしては、最近の韓国の動きは許容できかねるのである。
だがしかし、花には責任は無い。

デイゴカズラである。
垣根に咲く。

百日紅の花は、赤を基調としてピンクから白へと様々な色彩を持っている。
木によって色が違う。

紫式部の花。
秋の準備が進行している自然の世界である。
我が散歩道は四季折々に楽しい。
そして、何事かを考えさせるのである。

荒野人