エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

観音像・・・その祈り

2011年08月23日 | 日記
江戸時代の末期というから、前世を回顧する心や来世を希求する心が溢れた時代だったのだろうか。
時代の根幹たる「士農工商」が崩れ、商がより実質的な力を持った逆転の時代だったのだろうと推測できる。

だがしかし、商が形式として士分をネグレクトすることは出来ず、余った金銭的処理の手段として石像を奉ったのであろう。
とまれ、江戸時代末期1丁(109m)おきに30数基の観音像(石仏)が置かれたため、この棒道が現在に残されているのである。



小淵沢のウォーキング・マップに基づいて「信玄の棒道」を歩いたのであった。
ここは、湧水と棒道への分岐点である。

観音像の右側を選べば棒道である。
左は湧水へと辿り着く。

小淵沢は湧水が至る所にあって、水の故郷である。



この石仏(以下石仏)は半跏思惟像である。
羽衣をかけておられる。

30数基の石仏はそれぞれ違う観音様である。



棒道を歩きはじめるのだけれど、最初は人の生活圏である。
後ろには、畑があってネギ畑があった。
左のネット内にはブルーベリーの幼木である。



誰が積んだのか、小石が数個お供えしてあった。
願い事でもあったのであろうか。



途中の公園の一角にも石仏である。
この石仏は比較的大きい。



この公園を過ぎると、林の中となる。
ただし、所々には別荘があって、まだまだ人の気配が漂っているのである。

この石仏の右側の奥には、別荘がチラチラ見える。
この場所から数分歩くと、全くの山道となる。

いよいよ棒道の本番である。



合掌する千手観音様である。
続きは、明日改めて拝観としたいのである。

昨日、今日と寒いくらいの気候である。
雨がそぼ降っている。

まだ秋には早い。
石仏に手を合わせて、気候の正常化を祈念したのであった。




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 荒野人