友人のお母さんが亡くなったとの連絡。
お寺の息子で、通夜も自宅の寺で営まれた。
いわゆる坊守さんの通夜。
さすがに近所の坊さんが勢ぞろい。
門徒の人たちも大勢である。
喪主は当然住職で、友人も坊さんの格好で遺族席にいる。
息子の会社の人や、我々友人はどうも場違いな感じだ。
読経が始まり、しめやかに通夜が・・・
と思ったが、坊さん集団はここぞとばかりに声を張り上げる。
『そっかー、ここが坊さん達の晴れ舞台なんだなぁ』
導師さまと呼ばれる仕切りの坊さんが、お経をあげるのだが、それが長い長い・・・
普通の家で行われる通夜のマクラ経ってほんの10分程度なのに、延々45分。
足がしびれ、痛くなり、感覚がなくなってくる。
苦痛に顔をゆがめ、手を膝に突いて体を支える。
『早く終わってくれぃ』
焼香はとっくに終わっているのにお経だけが延々。
お経は耳に入らず、心の中では『をーぃ、終われよなぁ』
やっとお経が終わった。
後は簡単な説法でお通夜はおしまいのはず。
「さて、坊守さまと出会ったのが・・・」
何でもいいから早く!!!
頭の中では『くーっ、あと少しあと少し・・・』
思いもむなしく、説法は続く。
話の内容なんか覚えちゃいない。
肉体の苦痛に打ち勝つために、頭の中では『早く終われ』がグルグル回る。
膝に突いた手が、とうとう床に落ち、前のめりで体を支える。
ハタから見れば、説法に頭を垂れ聞き入っているように見えるのだろう。
頭の中は『ぐーっ、早く・・・』だけ。
その後、仏教歌がしばし歌われたのである。
苦痛の中でその不思議な歌がリフレインする。
『どうでもいいけど、早く終われよーーー』
翌日、職場では朝から嫌味攻撃。
昨日、意味がないんだと主張した作業。
「あれ、午前中までにやって」
意味がないんだという私の主張に対し、何の回答もない。
『そっかー、これは修行なんだな』
苦痛の中、延々続くなにがなにやらわからない読経。
耳にも入らず、ただ『早く終われ』と考え続けているうちに、そんなことも考えなくなっていた。
意味のないことを延々と強制し、相手が考えることをやめるまで続ける修行。
『ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコ、ショーコー』
昨日ありがたい説法を聞いた(実は聞く余裕もなかったが)おかげで、悟りの境地に行き着いたようである。
今の職場のありよう、これは修行なんだと。
以前、聞いたことがある。
社員に研修と称し、無意味なことを繰り返し繰り返し強制する。
積み木を積み上げさせ、できた途端ガラガラと崩し、また一から積み上げさせる。
全く無意味な作業。
絶えられない者は辞表を出し、続ける者は考えることをやめ、疑問をもたなくするための洗脳。
ウチの職場で行われていることがこれと違うのは、強制させている上司が、その作業を無意味なものだと理解できていないということ。
下がいくら無意味だと説明しても「無意味だと言っている意味」すらが理解できないで、自分が正しく、下は自分に従うことが当然だと思っていること。
かけざん九九が理解できていない者に、微積分を説明しようとしてもムリがあるのだが、自分の理解できない世界があることが想像できないこと。
自分の威厳を保つために「理解できない」と言えないのか、本当に知能が足りないのか。
『ア・サ・ハ・ラ、ショーコー』
心の中で歌いながらやると、気が晴れて、無意味な作業でも笑えてくるのが怖い。
お寺の息子で、通夜も自宅の寺で営まれた。
いわゆる坊守さんの通夜。
さすがに近所の坊さんが勢ぞろい。
門徒の人たちも大勢である。
喪主は当然住職で、友人も坊さんの格好で遺族席にいる。
息子の会社の人や、我々友人はどうも場違いな感じだ。
読経が始まり、しめやかに通夜が・・・
と思ったが、坊さん集団はここぞとばかりに声を張り上げる。
『そっかー、ここが坊さん達の晴れ舞台なんだなぁ』
導師さまと呼ばれる仕切りの坊さんが、お経をあげるのだが、それが長い長い・・・
普通の家で行われる通夜のマクラ経ってほんの10分程度なのに、延々45分。
足がしびれ、痛くなり、感覚がなくなってくる。
苦痛に顔をゆがめ、手を膝に突いて体を支える。
『早く終わってくれぃ』
焼香はとっくに終わっているのにお経だけが延々。
お経は耳に入らず、心の中では『をーぃ、終われよなぁ』
やっとお経が終わった。
後は簡単な説法でお通夜はおしまいのはず。
「さて、坊守さまと出会ったのが・・・」
何でもいいから早く!!!
頭の中では『くーっ、あと少しあと少し・・・』
思いもむなしく、説法は続く。
話の内容なんか覚えちゃいない。
肉体の苦痛に打ち勝つために、頭の中では『早く終われ』がグルグル回る。
膝に突いた手が、とうとう床に落ち、前のめりで体を支える。
ハタから見れば、説法に頭を垂れ聞き入っているように見えるのだろう。
頭の中は『ぐーっ、早く・・・』だけ。
その後、仏教歌がしばし歌われたのである。
苦痛の中でその不思議な歌がリフレインする。
『どうでもいいけど、早く終われよーーー』
翌日、職場では朝から嫌味攻撃。
昨日、意味がないんだと主張した作業。
「あれ、午前中までにやって」
意味がないんだという私の主張に対し、何の回答もない。
『そっかー、これは修行なんだな』
苦痛の中、延々続くなにがなにやらわからない読経。
耳にも入らず、ただ『早く終われ』と考え続けているうちに、そんなことも考えなくなっていた。
意味のないことを延々と強制し、相手が考えることをやめるまで続ける修行。
『ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコ、ショーコー』
昨日ありがたい説法を聞いた(実は聞く余裕もなかったが)おかげで、悟りの境地に行き着いたようである。
今の職場のありよう、これは修行なんだと。
以前、聞いたことがある。
社員に研修と称し、無意味なことを繰り返し繰り返し強制する。
積み木を積み上げさせ、できた途端ガラガラと崩し、また一から積み上げさせる。
全く無意味な作業。
絶えられない者は辞表を出し、続ける者は考えることをやめ、疑問をもたなくするための洗脳。
ウチの職場で行われていることがこれと違うのは、強制させている上司が、その作業を無意味なものだと理解できていないということ。
下がいくら無意味だと説明しても「無意味だと言っている意味」すらが理解できないで、自分が正しく、下は自分に従うことが当然だと思っていること。
かけざん九九が理解できていない者に、微積分を説明しようとしてもムリがあるのだが、自分の理解できない世界があることが想像できないこと。
自分の威厳を保つために「理解できない」と言えないのか、本当に知能が足りないのか。
『ア・サ・ハ・ラ、ショーコー』
心の中で歌いながらやると、気が晴れて、無意味な作業でも笑えてくるのが怖い。