「アブサロムは、ヨアブを王のところに送ろうとして、ヨアブのもとに人を遣わしたが、彼は来ようとしなかった。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、ヨアブは来ようとしなかった。」(Ⅱ列王記14:29新改訳)
アブサロムはゲシュル地方の王タルマイの血をひく王族であった。その容姿は並ぶ人もないほどみごとで、国中からほめそやされていた。私的怨恨(してきえんこん)から兄を殺(あや)めたとはいえ、無理からぬ理由もあり、同情の声も多かったにちがいない。▼ダビデのあやまちは、この息子を正しく扱えないことであった。理由は、バテ・シェバ事件という、自分も子に顔向けできない罪を犯したからである。それで、アブサロムが父に会いたいと望んだ時、完全無視の態度をとってしまい、結果としてアブサロムの自尊心(じそんしん)を傷つけてしまった。彼は父が自分を心からゆるしていないことを悟ったのである(33)▼おそらくこの時から息子アブサロムの心に恐るべき野心が芽生えたのであろう。それは父の王位を奪い、そこに自分が座ろうというもので、絶世(ぜっせい)の容姿(ようし)を持ち、血筋(ちすじ)も高貴(こうき)の出、父王の三男ともあれば機会は十分ある、彼はそう読んでひそかに準備を始めた。アブサロムの心にあったどす黒い野望、それはダビデをねらうサタンから出ていた。▼多くの外面的、または内面的長所を持ち、他人からうらやましがられるようなキリスト者は、よくよく注意しなければならない。ふとしたことから足もとをすくわれるからである。私たちは絶えず十字架にそなえものとして上られたキリストとその苦しみの姿を目にやきつけ、神に用いられれば用いられるほど、「主よ、私は無益なしもべです。仰せられたことにしたがっただけです」と告白する者となりたい。