天気 最高気温35度
キャナルシティのセンターステージが、水遊びスペースになっていました。
一日数回行われる、噴水ショーのとなりでお兄さんに、
水鉄砲を当ててもらって大興奮の子どもたち。
もう、夏に心残りはないことでしょう。
おいしい中国―「酸甜苦辣」の大陸 | |
楊 逸 | |
文藝春秋 |
楊逸 著 : おいしい中国「酸甜苦辣」の大陸
を、読みました。
2010年1月から4月に、東京新聞に連載されたコラム。
まえがきと、あとがきの他に、著者の幼いころから
大学生までの20数年間の思い出が、
食に絡めて44のコラムが収められている。
本場中国のおいしいお料理のお話が詰まった本と、
勝手に思い込んで、はりきって借りてきた食いしん坊ベリーですが、
タイトル「おいしい中国」という割には、
満漢全席とは対極の、40年前の貧しい貧しい庶民の食卓を
回想する本でした。
私とたった4歳しか違わない、
年上の著者ですが、家族との下放体験があり、
その前後も、今の中国では考えられない苦難の生活がありました。
改革開放前の、食糧の定量供給という制度を覚えている
最後の世代に当たるようで、その頃の苦労を複雑な気持ちで
振り返っていました。
美食を求めるときりがないのでしょうが、
心に残るおいしい食べ物は、すべてが手に張る現代のものではなく、
何もなかった頃に食べた、素朴な食べ物のようでした。
つらい過去が、いつしかおいしいスパイスになるなんて、
著者は、素晴らしい人生を生きているんだなと、思いました。
天気 暑いね~
福岡の名所??の一つでもあるキャナルシティの別館が
9月30日のオープン目指して
工事も佳境に入っているようです。
建物の外側は完成しているようですが、中の内装はまだまだ工事中のようです。
私がいつも使っている、隣の立体パーキングも、すべて借り上げているようで
朝10時過ぎの時点で、すでに満車でした。
本館のほうも、お店の移動などがあるらしく、
無印は、ほぼ閉店状態。
実際、9月から2週間閉店ということで
しまっている店舗も多くて、変な感じでした。
別館がオープンするまで、しばらくキャナルには立ち寄れないな~。
10月になったら、張り切って行ってみようと思います。
天気 残暑は続くざんしょ?34℃
一年半かかった脱毛が、ようやく終了しました。
ネット口コミの情報をもとに、優良そうなクリニックを選び、
レーザー脱毛を始めた時は、美容整形外科という
特殊な場所に、少しビビッていたのですが、
定期的に通ううちに、歯医者よりも敷居が低くなり、
日常になってきたところでした。
結果には満足しており、さらに通うことはないと思われますので、
通院の思い出を、ブログに残しておきたいと思います。
まずは待合室。
1.5畳ほどの個室に、必ず通されてここで数分待たされます。
パーテーション程度の壁の向こうには、他の患者さんがおられて、
時には、手術の相談なんかが行われてました。
そしてココが、処置室。
ベッドに横になって、希望の箇所にレーザーを当ててもらいます。
看護婦さんたちは、大変優しい方ばかりで、不愉快な思いなどとは無縁です。
レーザーに反応して、かすかに無駄毛が焦げたにおいが漂い、脱毛を肌で実感できます。
チクチクとした痛みはありますが、我慢ならないほどの痛みはなく、
しかし、その成果は素晴らしいものです。
私がまだ20代だった頃は、脱毛と言えばエステでニードルを用いたものでした。
痛いし、高いしと非現実的でしたが、
最近の、エステの光脱毛は効果が薄いとはいえ、それなりに安いし、
割高なクリニックでのレーザー脱毛は、
脱毛効果が高く、価格もかつてのニードルに比べたらかなり安いです。
いい時代になったな~、そしておばさんになって脱毛に挑戦してよかったなぁ~と、
穏やかな気持ちで、終わりを迎えた脱毛体験でした。
あの空の下で | |
吉田 修一 | |
木楽舎 |
天気 今日も暑いよ34度
吉田修一 著 : あの空の下で
を、読みました。(再読)
★ ← 以前のBlogはこちら
確かに読んだはずなのに、あまり覚えていなかったので
再読しました。
収められた12の短編のタイトルは、それぞれ有名な映画のタイトルと同じで、
旅+映画=吉田の世界 というつくりになっていました。
今回グッときた作品は、“恋恋風塵”という作品。
不意に空白になった4連休。
思い立って出かけた大好きな台湾で、
台北から東部の街“花蓮”に電車で行ってみようと思った主人公。
分かれた彼女と何度か訪れた思い出の国で、
ローカルな台湾に触れながら、敗れた恋を反芻している姿が、
私の一人旅の様子を、俯瞰してみているようで面白かったです。
一人で、ローカルなバスに乗り込み、初めて見る台北郊外の
のどかな風景を、食い入るように眺めながらも
自分の生い立ちや、記憶に新しい過去を
引き出しの中らから引っ張り出して、見つめている。
そんな自分を見ているような、気もする作品でした。