この間、SOLE CAFEに新春最初に行ったときに
これは絶対に持ち帰らなければと一番にゲットしたのは
アジアンカンフージェネレーションのゴッチが作っている新聞
「THE FUTURE TIMES」の最新号である。
この新聞を置いているところを京都では他に知らないので
ここに来たときは必ず最新号が置いてあるかをチェックするんだ。
私は0号から持っていて、すべてB4サイズが入る大きなファイルに
保存している。彼の凄いなと思うところは口先だけじゃなくて
実際に自分が動いて、何かをする!というヴィジョンがしっかりあるところだ。
寄付も大事だと思うけれど、それだけじゃない大きな視点でいろいろな
側面を丁寧に拾って、そこからしっかりと復興の手伝いをしていこうと
しているところも頭が下がる思いだ。
どう考えたって、大変さがほとんどだ。
体だけじゃなく、心の方もかなり鍛えなきゃ、いろいろな言葉たちに
傷つけられるんだろうなと思う。
そんなゴッチがCDについて日記で語っていた。
というか、音楽に値段をつけれるのかということだ。
私が子どものときは、まだレコードの時代だった。
場所をかなり取るレコードを整理するのは大変だったし、
子どものこずかいで(中学生であっても)アルバムを
買うのはとても大変なことだった。
だいたい、2ヶ月間ほとんど何も買わずにためて
やっと1枚のレコードが買えるっていう感じだった。
女の子なのにおしゃれより音楽だった。
で、シングルは買わない。お金がないし、アルバムに
入るはずだから。(B面は泣く泣くあきらめた。)
買う事ができる枚数はごくわずかなので
厳選に厳選した好きなアルバムだけを買い、
あとはFMで特集番組などをチェックして
それを録音するという作業にかかる。
当時はアルバム特集とかよくしてくれたんだけれど
最近のラジオでは皆無だよね。
だから、バカほど聴いてたわりに持っているレコードは
少ない。で、見事にほとんどが洋楽である。
当時はふつうにあったレコード屋さんに買いに行って
上から目線で(このニュアンスわかる人にはわかると
思うけれど、レコードは棚ではなくカラーボックスを上向きで置いたような
ボックスにでかいカードのように縦に並べられていたのだ)
アルバムを選んで買うのだけれど
ある日、そこで見つからなかったので「シュープリームスのアルバムありますか?」って
中学生女子が言ったものだから、店の主人は怪訝な顔して
「ちょっと、待ってて」と、しばらく奥に姿を消したかと思ったら
ややほこりかぶったシュープリームスのアルバムを持って来た。
「これかい?」
「はい、そうです。これ下さい。」
主人はほこりのついた袋から取り出して、新しい店の名前が印刷された
レコード用ビニール袋に入れ替えて、さらに大きな手提げ袋に入れて渡してくれた。
私の時代でもシュープリームスはかなり古いアーティストだったので
ジャニーズに熱をあげるだろう中学生女子がこんな古い、最近じゃ誰が
買うんだ?みたいなレコードを買うのがすごく珍しかったようだ。
私は抱きしめるように家に帰って、当時ステレオなんて買ってもらえなかったから
ポータブルプレーヤーでそれを聴いた。
♪ストップ!インザ~ネイム~オブラ~ブ~
ダイアナロスってかわいい声出すんだな。
なんて思ってニヤニヤしてた。
中学生女子が。
ちなみにシュープリームスに行き着いたのはマイケル・ジャクソンの影響だ。
が、そのあとはクイーンに目覚めたもんだから
もうハードロック一辺倒になった。
あるいはパンク。
the CLASHは私にとって神みたいな存在となった。
当時は邦楽にはほんと申し訳ないけれど興味が持てなかった。
なんか「やわ」(死語?)な音楽ばっかしで
むずかゆい感じしかなかった。
唯一日本人で当時アルバムを買ったのは
サザンオールスターズだけだった。
申し訳ないけれど、
20歳を超えるまでは
ユーミンとか小田和正とか
まったく受け入れられなかった。
しかし、きっと彼らは大人の音楽をやっていたんだろうね。
年取るにつれて、ようやく少しずつ聴くようになった。
だから、多くの日本人が昔の邦楽聴いてなつかしいと思うときに
私は70年代~80年代の洋楽を聴いてなつかしいと思うのだ。
思い出はいつも洋楽とともにだった。
唯一サザンだけは思い出があった。
そんな時代から音楽聴いて来た私が
今よく聴くのはthe HIATUSだし、
FoZZtoneだし
アジカンだし
ストレイテナーだし
ACIDMANだし
バックホーンだし
ワンオクだし
って
全部邦楽じゃないかって話。
いっときマイケミとかAvenged Sevenfoldにぞっこんだったけれど
最近彼らはあまり活発に活動してないから
どうしようもない。
MUSEとかCOLDPLAYもまだ日本で注目される前から好きだったけれど
なんか昔の洋楽にぞっこん時代とは違う気がしている。
これはなんだろうな~って考えた。
それは日本のバンドのレベルが上がったんだと思う。
昔はほんとロックバンドとか言っても
歌詞は最悪で音楽もワンパターンで
ロックが嫌いになりそうなのが多々あった。
ただの真似っこ。
ところがthe HIATUSでわかるように
もうそのオリジナリティとクオリティは凄いもので
世界と対等にあるいはその上を行くんじゃないかと思うバンドが
日本に生まれて来たのだ。
私がそういうクオリティの高い音楽と出会うきっかけを
くれたのはアジカンだ。
今でも、アジカンと出会った瞬間を覚えている。
TSUTAYAの書籍売り場の方で本を見ていたときに、店内ラジオみたいなので
流れて来たのがアジカンの「遥か彼方」だった。
このときはNARUTOの主題歌なんて知らなかったし
初めて聴いたんだ。
最初海外のバンドかと思ってよく聴いてみると日本語だ。
「え?誰?これ?」って釘づけになった。
で、最後にDJが「アジアンカンフージェネレーション、遥か彼方」と
言ったのをしっかり記憶して、そのTSUTAYAのCD売り場に行って
そのバンドを探して、その曲を探した。
なのに田舎のTSUTAYAはひどかった。無いんだ。なんだよ~って話。
でも、ガマン出来なくて、近くにあったダイエーのCDショップに
行くと、小さいショップだったのにあったんだ。
「崩壊アンプリファー」が!
すぐに買った。もうガマン出来なかったんだ。
その店内ラジオで曲を聴いてから7分後には手に入れていた。
こんな出会ってから買うまでの最短記録、
アジカンだけでいまだに自分の中では破られていない。
そしてアジカンのゴッチのラジオ番組を聴くようになり
そこでエルレガーデンを初めて知り、そして今に至るわけだ。
で、ここまでまったくゴッチの日記に関係ないじゃんって
思うだろう。でも、ここまで書かないと書けなかったんだ。
音楽ってそういうもんだろう?って
200円でダウンロード高いとか
3000円でアルバム高いとか
そういう以前に心が走ってしまうもんだよね。
アイドルが悪いとか
ロックバンドだけがかっこいいとか
そんなこと思わない。
どんなジャンルだって
私の心を走らせてくれる音楽であれば
大好きになる。
それを聴いて幸せになる。
ライブに行くのはとても楽しいけれど
そう頻繁に行けるわけじゃない。
でもCDがあれば何度もその歌を聴ける。
ならダウンロードでもいいじゃないかってことになるけれど
大好きなものは手で触れたいよね。
スキンシップというのは変かもしれないけれど
そういうことをしていたいんだ。
音楽ってもともと手につかめるもんじゃない。
瞬間に消える雪みたいなもんだ。
だけど、それを唯一触っている感覚にさせてくれるのが
CDやレコードなんだよね。
ただの受け皿、容器なのかもしれないけれど
それでも私はそれが愛おしい。
アルバムのジャケットや装丁というのかな
すべてが愛おしい。
だから私はCDが無くなるのはいやだ。
ダウンロードだとまるで「とりえあず」みたいな
感じがして、しかもパソコンとかiPodとかが潰れたら
万事休すじゃないかと(大げさかもしれないけれど)
思うんだ。
でも、CDはいつも側にいてくれる。
すぐに触れる。
ジャケットを触りながら
ミニコンポだけれどそこでCDを聴く。
幸せだ。
音楽を作っている方に聴いたけれど
CDの音楽を薄めたのがダウンロードミュージックだと。
いろいろ演奏家や歌い手が考えて音を重ねてたって
ダウンロードされるときは重ねたものは薄められて
届くそうだ。
だから実際に録音された音とは違うんだって。
だからCDで聴いたときに重厚な感じがするんだね。
反対にダウンロードを優先するなら
最初から薄い音楽を作っておけばいいだけで
実際にそういうアーティストもいるようだ。
そういう人のライブとか行ったら
最悪なんだろうね。
幸い私の好きになるアーティストは
音楽に真摯な人ばかりだから
ライブに行くとその数倍さらに
すごい音楽を聴かせてくれるんだ。
レコーディングで嘘っぱちをつくりあげる音楽
レコーディングで時間かけすぎて会社から怒られる音楽
きっと嘘っぱち音楽が今の世界の音楽をだめにしていくんだろう。
でも、その中でいろんな国で戦っている人たちもいると思う。
特に私は日本人はそのトップをいっていると思う。
嘘がいやな国民が多い気がするんだ。
だから今だにタワーレコードがある。
アメリカの本元はとっくに潰れたというのに。
日本で生き残っていろんな企画をしてくれる。
もちろん決して生き残るのに楽な時代じゃないだろうけれど
私はそういうレコード店が日本にあるっていうのが
すごくうれしい。レコード店で直接手にして
音楽を選べるのがうれしい。
とてつもなく長々と書いてしまって
でも、これも単なる個人的見解で
誰かに賛成してもらおうとか
そういう気はない。
私自身がただそう思うだけなんだ。
音楽が私には生きて行く上での
酸素みたいなもんだから。
これは絶対に持ち帰らなければと一番にゲットしたのは
アジアンカンフージェネレーションのゴッチが作っている新聞
「THE FUTURE TIMES」の最新号である。
この新聞を置いているところを京都では他に知らないので
ここに来たときは必ず最新号が置いてあるかをチェックするんだ。
私は0号から持っていて、すべてB4サイズが入る大きなファイルに
保存している。彼の凄いなと思うところは口先だけじゃなくて
実際に自分が動いて、何かをする!というヴィジョンがしっかりあるところだ。
寄付も大事だと思うけれど、それだけじゃない大きな視点でいろいろな
側面を丁寧に拾って、そこからしっかりと復興の手伝いをしていこうと
しているところも頭が下がる思いだ。
どう考えたって、大変さがほとんどだ。
体だけじゃなく、心の方もかなり鍛えなきゃ、いろいろな言葉たちに
傷つけられるんだろうなと思う。
そんなゴッチがCDについて日記で語っていた。
というか、音楽に値段をつけれるのかということだ。
私が子どものときは、まだレコードの時代だった。
場所をかなり取るレコードを整理するのは大変だったし、
子どものこずかいで(中学生であっても)アルバムを
買うのはとても大変なことだった。
だいたい、2ヶ月間ほとんど何も買わずにためて
やっと1枚のレコードが買えるっていう感じだった。
女の子なのにおしゃれより音楽だった。
で、シングルは買わない。お金がないし、アルバムに
入るはずだから。(B面は泣く泣くあきらめた。)
買う事ができる枚数はごくわずかなので
厳選に厳選した好きなアルバムだけを買い、
あとはFMで特集番組などをチェックして
それを録音するという作業にかかる。
当時はアルバム特集とかよくしてくれたんだけれど
最近のラジオでは皆無だよね。
だから、バカほど聴いてたわりに持っているレコードは
少ない。で、見事にほとんどが洋楽である。
当時はふつうにあったレコード屋さんに買いに行って
上から目線で(このニュアンスわかる人にはわかると
思うけれど、レコードは棚ではなくカラーボックスを上向きで置いたような
ボックスにでかいカードのように縦に並べられていたのだ)
アルバムを選んで買うのだけれど
ある日、そこで見つからなかったので「シュープリームスのアルバムありますか?」って
中学生女子が言ったものだから、店の主人は怪訝な顔して
「ちょっと、待ってて」と、しばらく奥に姿を消したかと思ったら
ややほこりかぶったシュープリームスのアルバムを持って来た。
「これかい?」
「はい、そうです。これ下さい。」
主人はほこりのついた袋から取り出して、新しい店の名前が印刷された
レコード用ビニール袋に入れ替えて、さらに大きな手提げ袋に入れて渡してくれた。
私の時代でもシュープリームスはかなり古いアーティストだったので
ジャニーズに熱をあげるだろう中学生女子がこんな古い、最近じゃ誰が
買うんだ?みたいなレコードを買うのがすごく珍しかったようだ。
私は抱きしめるように家に帰って、当時ステレオなんて買ってもらえなかったから
ポータブルプレーヤーでそれを聴いた。
♪ストップ!インザ~ネイム~オブラ~ブ~
ダイアナロスってかわいい声出すんだな。
なんて思ってニヤニヤしてた。
中学生女子が。
ちなみにシュープリームスに行き着いたのはマイケル・ジャクソンの影響だ。
が、そのあとはクイーンに目覚めたもんだから
もうハードロック一辺倒になった。
あるいはパンク。
the CLASHは私にとって神みたいな存在となった。
当時は邦楽にはほんと申し訳ないけれど興味が持てなかった。
なんか「やわ」(死語?)な音楽ばっかしで
むずかゆい感じしかなかった。
唯一日本人で当時アルバムを買ったのは
サザンオールスターズだけだった。
申し訳ないけれど、
20歳を超えるまでは
ユーミンとか小田和正とか
まったく受け入れられなかった。
しかし、きっと彼らは大人の音楽をやっていたんだろうね。
年取るにつれて、ようやく少しずつ聴くようになった。
だから、多くの日本人が昔の邦楽聴いてなつかしいと思うときに
私は70年代~80年代の洋楽を聴いてなつかしいと思うのだ。
思い出はいつも洋楽とともにだった。
唯一サザンだけは思い出があった。
そんな時代から音楽聴いて来た私が
今よく聴くのはthe HIATUSだし、
FoZZtoneだし
アジカンだし
ストレイテナーだし
ACIDMANだし
バックホーンだし
ワンオクだし
って
全部邦楽じゃないかって話。
いっときマイケミとかAvenged Sevenfoldにぞっこんだったけれど
最近彼らはあまり活発に活動してないから
どうしようもない。
MUSEとかCOLDPLAYもまだ日本で注目される前から好きだったけれど
なんか昔の洋楽にぞっこん時代とは違う気がしている。
これはなんだろうな~って考えた。
それは日本のバンドのレベルが上がったんだと思う。
昔はほんとロックバンドとか言っても
歌詞は最悪で音楽もワンパターンで
ロックが嫌いになりそうなのが多々あった。
ただの真似っこ。
ところがthe HIATUSでわかるように
もうそのオリジナリティとクオリティは凄いもので
世界と対等にあるいはその上を行くんじゃないかと思うバンドが
日本に生まれて来たのだ。
私がそういうクオリティの高い音楽と出会うきっかけを
くれたのはアジカンだ。
今でも、アジカンと出会った瞬間を覚えている。
TSUTAYAの書籍売り場の方で本を見ていたときに、店内ラジオみたいなので
流れて来たのがアジカンの「遥か彼方」だった。
このときはNARUTOの主題歌なんて知らなかったし
初めて聴いたんだ。
最初海外のバンドかと思ってよく聴いてみると日本語だ。
「え?誰?これ?」って釘づけになった。
で、最後にDJが「アジアンカンフージェネレーション、遥か彼方」と
言ったのをしっかり記憶して、そのTSUTAYAのCD売り場に行って
そのバンドを探して、その曲を探した。
なのに田舎のTSUTAYAはひどかった。無いんだ。なんだよ~って話。
でも、ガマン出来なくて、近くにあったダイエーのCDショップに
行くと、小さいショップだったのにあったんだ。
「崩壊アンプリファー」が!
すぐに買った。もうガマン出来なかったんだ。
その店内ラジオで曲を聴いてから7分後には手に入れていた。
こんな出会ってから買うまでの最短記録、
アジカンだけでいまだに自分の中では破られていない。
そしてアジカンのゴッチのラジオ番組を聴くようになり
そこでエルレガーデンを初めて知り、そして今に至るわけだ。
で、ここまでまったくゴッチの日記に関係ないじゃんって
思うだろう。でも、ここまで書かないと書けなかったんだ。
音楽ってそういうもんだろう?って
200円でダウンロード高いとか
3000円でアルバム高いとか
そういう以前に心が走ってしまうもんだよね。
アイドルが悪いとか
ロックバンドだけがかっこいいとか
そんなこと思わない。
どんなジャンルだって
私の心を走らせてくれる音楽であれば
大好きになる。
それを聴いて幸せになる。
ライブに行くのはとても楽しいけれど
そう頻繁に行けるわけじゃない。
でもCDがあれば何度もその歌を聴ける。
ならダウンロードでもいいじゃないかってことになるけれど
大好きなものは手で触れたいよね。
スキンシップというのは変かもしれないけれど
そういうことをしていたいんだ。
音楽ってもともと手につかめるもんじゃない。
瞬間に消える雪みたいなもんだ。
だけど、それを唯一触っている感覚にさせてくれるのが
CDやレコードなんだよね。
ただの受け皿、容器なのかもしれないけれど
それでも私はそれが愛おしい。
アルバムのジャケットや装丁というのかな
すべてが愛おしい。
だから私はCDが無くなるのはいやだ。
ダウンロードだとまるで「とりえあず」みたいな
感じがして、しかもパソコンとかiPodとかが潰れたら
万事休すじゃないかと(大げさかもしれないけれど)
思うんだ。
でも、CDはいつも側にいてくれる。
すぐに触れる。
ジャケットを触りながら
ミニコンポだけれどそこでCDを聴く。
幸せだ。
音楽を作っている方に聴いたけれど
CDの音楽を薄めたのがダウンロードミュージックだと。
いろいろ演奏家や歌い手が考えて音を重ねてたって
ダウンロードされるときは重ねたものは薄められて
届くそうだ。
だから実際に録音された音とは違うんだって。
だからCDで聴いたときに重厚な感じがするんだね。
反対にダウンロードを優先するなら
最初から薄い音楽を作っておけばいいだけで
実際にそういうアーティストもいるようだ。
そういう人のライブとか行ったら
最悪なんだろうね。
幸い私の好きになるアーティストは
音楽に真摯な人ばかりだから
ライブに行くとその数倍さらに
すごい音楽を聴かせてくれるんだ。
レコーディングで嘘っぱちをつくりあげる音楽
レコーディングで時間かけすぎて会社から怒られる音楽
きっと嘘っぱち音楽が今の世界の音楽をだめにしていくんだろう。
でも、その中でいろんな国で戦っている人たちもいると思う。
特に私は日本人はそのトップをいっていると思う。
嘘がいやな国民が多い気がするんだ。
だから今だにタワーレコードがある。
アメリカの本元はとっくに潰れたというのに。
日本で生き残っていろんな企画をしてくれる。
もちろん決して生き残るのに楽な時代じゃないだろうけれど
私はそういうレコード店が日本にあるっていうのが
すごくうれしい。レコード店で直接手にして
音楽を選べるのがうれしい。
とてつもなく長々と書いてしまって
でも、これも単なる個人的見解で
誰かに賛成してもらおうとか
そういう気はない。
私自身がただそう思うだけなんだ。
音楽が私には生きて行く上での
酸素みたいなもんだから。