初めてヨーロッパに出張したときの話です。かれこれ40年近く前のことで恐縮ですが、ふと思い出したので書き留めておこうと思い書き始めました。
今時の若い方は時間があると直ぐに海外へ行くことが出来るようですが、私の若い頃はちっとやそっとでは海外へ行くことが出来ませんでした。それは毎月の給料の何倍ものお金が必要でしたから海外旅行などとてもいけませんでした。
その年、研究していたことの関連学会がドイツのミュンヘンで開かれることになり、胸がどきどきするなか、経済援助をして下さる学会があり研究発表することを決心しました。
出来るだけ安くいこうと思って、当時世に出ていた「1日5(あるいは10)ドルの旅 ヨーロッパ編」と言うのを買い求め、日程やコースなどを検討していよいよ出かけることが出来ました。旅行の途中や学会のことなどは後日想い出話として書きますが、私が経験した勘違いの話を書くことにします。
旅は何かを発見したり新しい方々と知り合えたりと期待に胸が膨らみます。しかしその一方で言葉が上手く通じないことでいろんな不安もあります。
この旅では、モスクワ経由でロンドンへ行き、数日滞在してドーバー海峡を船で渡りフランスはパリへ向かいました。パリにも数日滞在しパスツール研究所やルーブル美術館、ベルサイユ宮殿などを見て、スイスのインターラーケンからユングフロウヘ登り、ウィーン経由でミュンヘンにつきました。
ミュンヘンでK国立大学のK教授(以下K氏)と出会いました。この方は放射能関係の専門書を出していたのでお名前は知っていました。何故か初対面なのにすっかり意気投合?してしまい、宿は別でしたが,学会期間中からインスブルックでお別れするまで食事やビヤホールなどいつも一緒に出かけました。
K氏とは食事などは別のものを注文して半分ずつ分け合って食べていましたが、お陰でいろんなものを食べることが出来ました。
学会も無事終了し、ミッテンバルト経由でインスブルックへ着きました。インスブルックではスキーのジャンプ台やK氏がチロルハットを買うというので一緒に帽子屋を探したり、ギリシャ美人のような方(実は京都の方でした)と知り合って、一緒に食事をしたりして数日を過ごしました。
いよいよお別れする日になって、インスブルックの駅まで行き、K氏はウィーンへ,私はパリへと向かうことになりました。駅の小さな立ち食い店で最後の食事をしました。ここでもK氏は食事を半分ずつ分け合って食べようと言いましたが、私はさすがに抵抗を感じました。それでも別のものを注文し、食事が出てくると早速半分に分けて交換することになったときのことです。店主はしたり顔をして頷きながら私たちにウィンクをしてきたのです。私は店主が何かおもしろがっていると思いましたが後になって考えると、店主は食事を分け合って食べる私たち二人は何か特別な関係にあるんだなと勘違いしたのだと思いました。汗顔の至りですが、これは私の勘違いで、実はそうやっていろんなものを食べるのは賢いねと思ったのかも知れません。
勘違いというのは、自分の思い込みによっても起こるようです。よく言われるのが、よく行く店の女性店員が愛想笑いをしてくれると、この人は自分に好意を持ってくれていると思ってしまうことがあるようですね。そうするとますますその店へ通うことになっていきます。思い込みが激しくなると今はストーカー行為と見られることがあります。注意しましょう。
私の現役時代に、他の大学の女子学生(Aさん)が私のグループに参加して小笠原諸島父島の農業形態の調査に同行したことがあります。
Aさんは卒業してある旅行会社に就職し頑張っていました。Aさんは毎日お弁当を作って出勤しました。ある日上司に美味しそうだなといわれたことがキッカケで上司の分のお弁当を毎日作って持って行ったそうです。
ある日上司が豪華な食事に誘ってくれて自分と付き合って欲しいと言われたと相談に来たことがあります。Aさん曰く上司は何か勘違いをしているのではないかと思うというのですと。しかし、何でもないのに毎日お弁当を持って行くことは特別な感情を持っていたと思われても仕方がないのじゃないかといいますと、そんなつもりでは無かったといいます。ここでも2人の一つのことに対する勘違いがあったのかも知れません。結局Aさんはその上司の方とメデタク結婚しましたので勘違いではなかったのかも知れません。こんな勘違いなら世の中に幾つあってもいいですね。