寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

想い出話 「ミュンヘンで (3)食べ物」 (20131212)

2013年12月11日 23時16分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 外国旅行をして食べ物が美味しくないとそんをした感じになる

のは私だけだろうか。ロンドンのレストランで食べた安くもない

料理はなんと酷い味だったろう。
 このヨーロッパ旅行で美味しいと思ったのはスイスのユング

フラウを見上げることが出来たホテルのマスの塩焼きであっ

た。これはホテルの女性主人が日本贔屓で私がホテルに着

くと日本人かと聞いてきた。そうだとこたえると直ぐに出入り

口の屋根に日の丸の国旗が立てられた。これには感動した。

女性主人は日本語を習っているとかで練習のために日本語

を使って応対してくれと行ってきた。私にとっては外国語にウ

ンザリしてきた頃合いだったので願ってもないことであり何で

も日本語で話しかけた。ホテルで一夜を過ごした翌日、朝食

をとっていると彼女がやってきて今日は15時頃まで天気が

よいのでユングフラウへいきなさいと切符を買ってきてくれ

た。早速登山電車とロープウェイとエレベータでユングフラ

ウヘ着いた。エレベータを降りてトンネルを明るく日の差して

いる方へ歩き出したら、ガンと頭がなって呼吸困難になって

しまった。そこへ登山者の格好をした人が来て「ルフト、ルフ

ト」と言って深呼吸をするように教えてくれた。私は生まれて

初めて高山病に見舞われたことを知った。彼のお陰で回復

し,店でコーヒーを飲んだが生ぬるくて大変まずかった。こ

こで写した写真をお見せしようとおもったが、スライドにカビ

が生えてしまったので残念である。ここで1つ恥ずかしかっ

たのは,氷河をくりぬいてスケートリンクがあったがその氷

壁に傘マークの下に日本語で名前を書いた例の落書きが

あちこちに見つかったことである。

 さてミュンヘンで食べた料理で最も印象に残ったのは、

ソフトボールほどもある白いもちっとしたボールがトマトソ

ースに入れてあるものであった。これはジャガイモを原料

にしたもので名前をXX?と言うものであった。ナイフで小

さく切ってトマトソースを絡めて食べる。同じようなもので

フランクフルトソーセージのお化けのようなものがやはり

トマトソースに浸してあるものがあった。これにも閉口し

た。日本から来た多くの人たちは、ウィナーシュニッツエ

ルと言う焼き肉を毎日食べていた。どれもあまり口に合

わないものが多かった中で,ザワークラウト(キャベツの

雑切りを酢漬けにしたもの)、アイスバインなどは美味し

いものの中に入るだろう。学会のバンクエットででていた

子豚の丸焼きをナイフで削いで食べたのも美味しかった。

ドイツではビールに関する飲酒制限がないようで子供も

飲んでいるのをしばしば見かけた。ミュンヘンは札幌と

ほぼ同緯度にあり、そのためかビールは何ともいえな

かった。
 ミュンヘンで気がついたのは食品の種類がそれほど多

く食料品店に並んでないことだった。これは日照時間が

5月半ばから9月初めまでしか得られないので野菜類は

ほとんどイタリアから輸入しなければならないことに原因

があるようだ。その中でジャガイモはドイツの主食ともい

えるほど消費されており、その理由は寒冷にあると言わ

れている。その昔飢饉になったとき貴族もこぞってジャガ

イモを主食として食べたことが今に引き継がれているの

だという。以上の話は現在から半世紀ほども前の話であ

り、10年ほど前に行ったときも同様だったのであまり変

化していないと思う。


想い出話「ミュンヘンで(2)ドイツ人の気質」(20131211)

2013年12月11日 14時32分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ミュンヘンの街中で出会った年配者は日本人びいきであることは前回書いた。ミュンヘンで年配者の親切を受けたことは何回もある。例えばK氏が知人の家を翌日訪ねるために地図を見ながら市街電車の停留所で行き先と時刻表を見ていたとき電車から降りてきた老婦人が近寄ってきて何をしているのかと問うた。K氏が住所を書いた紙を見せてここへ行きたいというと、その夫人は地図を書いて何番の電車でY停留所まで行きそこで別の電車に乗り換えてU停留所で降りるとすぐだと教えてくれた。
 ダンケ・シェーンといって別れた。夫人は停留所から歩道の方へ歩き出した。私たちが停留所から離れると,夫人が慌てて戻ってきてこの停留所から電車の乗るのだと念を押した。そしてさらに電車の切符を買ってくれた。
 K氏は明日行く約束なのでこの切符はそのときに使わせていただきますと行って乗車券をいただいた。
 おかげで翌日私も同行してほしいというK氏の申し出でお付き合いした。
 しかしそんなによいことばかりではない。ある日街中を散歩していた。小さな公園に出たら10人ほどの人たちが何かわいわいやっていた。少し離れたところから見ていると、その中の1人が近づいてきた。そしてタバコをくれと言った。私はタバコを吸わないというと近くの売店で買ってきてくれと言う。私が困っているとボス風の男が寄ってきて初めの男に何か言って連れて行った。よく見ると,道路に線を引き、1つが50cmほどもあるチェスの駒を使って勝負をしていた。私は写真を撮らせてもらってその場を離れた。一寸危険を感じたのはそれ1回であったが、”君子?危うきに近寄らず”という言葉を思い出した。この人達はドイツ語で話していなかったので外国から出稼ぎに来ている人たちだったのかも知れない。 
 Uバーンという地下鉄が市の中心部からいろんな方向の郊外へ走っている。各駅の改札口は全て?無人で例の3本の棒が突き出た改札機を通ってホームに出るようになっている。改札口の近くの壁に券売機があってその横に注意書きがあった。乗車券を持たずに乗車し無賃乗車が発見されたとき3倍の追加料金を請求すると書いてあった。駅員がいないのにどうやって発見するのかと思った。Uバーンの車両はかなり頑丈に出来ておりさすがドイツと思った。これはドイツ人の質実剛健を表現しているのかも知れない。そう言えば、第2次世界大戦前ヒトラーはオートバーンという高速道路を国内に張り巡らした。そのコンクリートの厚さは1メートル以上もあるという。そしていざというときには戦車が高速で走ってもびくともしないし、必要に応じて飛行機の滑走路にもなるように設計したという。自動車はそのほとんどが軍用車に転用可能にしてあるという。
 またドイツ人の歩き方は、何か軍隊の行進に似ているような気がしたのは私だけであろうか。ハンガリーの知人はドイツ人の歩き方を私と同じように感じたと言っていた。
 わが家にドイツが戦時下インフレになったときの100000マルクの紙幣があった。色は紫色の紙幣だった。今は行方不明になってしまった。
 次回はドイツの食べのもについて書く予定です。