ドイツのミュンヘンは私の好きな都市の一つです。ミュンヘンに着いた日は土曜日でしたので20時には店がほとんど閉まっている状態で夕食をどうするか困ってしまいました。ホテル近くのコンビニストアーのような店でスナック食品と飲料を買い求め1人寂しくミュンヘンでの初めての夜を過ごした。
翌日、ウィーンのIAEAの方に依頼されたK氏への品を渡すためにK氏を探しに行くことにした。顔も身体特徴も知らない人を探すのは海岸の砂浜で特別な砂を探すに等しいと感じられた。ただ絵を描くのを趣味にしているというので,ノイエ・ピナコテーク(近代美術館?)へ行ってみることにした。美術館について入り口を入るとすぐに壁が白く長い階段を上るようになっていた。その階段を上り始めると上からベレー帽を被った男性が降りてきた。
その方とすれ違うときに、
「大変失礼ですが、日本の方ですか」
「はい、そうですが。あなたは?」
「私はT大学のMと言います。もしかしてK大学のK教授ではありませんか」。
「そうですが。何で私の名前を知っているのですか」。
「ウィーンのIAEAのO氏から預かってきたものがあります。」
「それはそれは。それを今お持ちなのですか」
「はい持参しております。失礼ですが、何かK教授であることを証明するものがありましたら念のために拝見したいのですが」
「もちろんですとも。これが私のパスポートです。どうぞご覧下さい」
「拝見します。ありがとうございました。これがO氏からお預かりしたものです」
と言って私は預かってきたものを渡すことが出来た。初めての土地で顔も知らない人にいきなり会うことが出来たのは何という偶然だろう。そしてなんとすばらしい感なのだろうかと思った。
こうしてK教授と知り合いになり、前回の投稿のような仕儀になった。
ミュンヘンではいろいろな体験をした。ヒトラーが新党結成して旗揚げをしたホッホ・ブロイハウスと言うビヤホールは、大きなところで中央にリフトがあり、一定時間ごとに2階で演奏していた楽団がそのリフトに乗って降りてきて下で演奏をする。数曲演奏するとまた上の階にあがっていく。
ビールは1リットルジョッキを左手の甲に乗せて腕を持ち上げてグイッと飲む。この豪快さに私は感動した。料理はアイスバイン(牛のすね肉を蒸した?もの)やソーセージ、ラデッシュ(K教授が大根おろしと思って大量に口に入れて、その辛さにびっくりした)やハム・ソーセージも美味かった。
ホッホ・ブロイハウスの隣に宮殿がありそこでも食事をした。またその隣に公園があり、公園として復活しないで戦争の傷跡を残してあった。そこを見ていると、老夫婦が寄ってきてお前さん達は日本人かと問い、これはアメリカ空軍の爆撃で被災したところを記念として残してあるんだと教えてくれた。
ミュンヘンに住んでいるドイツ人はかなり日本に理解があるように感じた。