寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

高齢者講習 3回目の講習を受けてきました

2016年12月15日 22時59分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日3回目の自動車免許更新のための高齢者講習を受けて

きました。朝8時30分から11時50分まで認知症の検査

やら、目の機能検査などを受けた後で、教習上のコースを一

人10分間ほど運転教習がありました。

 この講習を受けていくつか感じたことがありました。一つ

は、受講者の中に認知症検査の用紙を渡されて、何回も繰り

返し説明を受けても理解できない人がいました。この話は自

分のことを棚に上げておいてのことです。この検査は100

点満点ですが、40点?未満で医師の診断を必要と判断される

ようです。しかし上記のような方でもその対象にならなかっ

たようです。また運転技術でも縁石に乗り上げるは、信号無

視、一時停止をしなかったり安全運転どころではない方が相

当数いました。

 最近、報道で高齢者の事故比率が上昇していると言われて

いますがあの状態を目の当たりにみると肯けるのが恐ろしい

ですね。

 運転免許証を更新するにはそれなりの理由があることでし

ょう。自分のことを引き合いに出すのは気が引けますが、私

は暗くなってからの自動車運転は出来るだけ控えるようにし

ています。というのはこの頃、私自身夜間の動体視力が少し

落ちてきたと思うからです。今回の検査でもその一端が指摘

されました。もう一つ、昼間でも速度の出し過ぎは絶対にし

ないことにしました。事故になってしまうとスピードを上げ

て目的地に早く到着するよりも時間が多く必要ですからね。

 高齢者の自動車運転は、若いときとは全く違うものだと言

うことを自分で認識しなければ減少しないかもしれませんね。

 高齢者講習を受けた感想を書きました。このブログを読ん

でくださる方の中にも高齢者の方がいるかもしれません。他

人を不幸にしないような運転にこれまで以上に心がけてほし

いものです。

 

 


ギャンブル依存症

2016年12月11日 16時04分19秒 | 日記・エッセイ・コラム

 例えば、それが麻雀であってもギャンブル依存症になる人

がいるようです。私の知人X氏の話ですが、X氏の話の中に

登場する方を仮にAさんとします。Aさんは毎日昼食時になる

とその日の夕方から麻雀をする仲間を探してあちらこちらに

電話を掛けることが習慣のようになっていたと言います。周

囲の人はAさんをジャンキと呼んでいました。仲間同士でや

る麻雀は普通は極少額の金銭を掛けて行っていたようです。

しかし、Aさんは高額の金銭を掛けてやるのが上手の常識と

考えていたようです。その上にウマというのも乗せていまし

た。したがって、負けが込むと膨大な額(1ヶ月分の給料に

相当する額)になったそうです。それでも今日は運がなかっ

たが次回はその分を取り返すと言ってまた同じメンバーを集

めるそうです。そしてたまに勝つと自分はやはり上手いと言

って次の機会を作るといった具合で、勤めに出るのは、夕方

からの麻雀をするためと言うほどだったそうです。

 これはもうギャンブル依存症と言ってもいいでしょう。ギ

ャンブル依存症は勝てば勝ったで、また負けたときは次に取

り返すとそのことから考えが離れることはないそうです。

 以上の話は、麻雀に限ったことではないでしょうね。今国

会で審議時間を短縮しても通したかったギャンブルを容認す

るような法律を通過させる前にいろいろ検証しなければなら

なかったと思いますが、どうでしょうか。

 ギャンブルを公認するという法律を先に通して、付属的な

ものは後から検討するというのは本末転倒のような気がしま

す。考えられる影響を検討した上で主たる法律を作るという

のが筋ではないでしょうかね。

 いまの日本では国会の多数決だけが優先されていろんなこ

とが実行に移されているようです。民主主義というのはこう

いうことなのでしょうか。ワシントンの言葉を思い出さなけ

ればいけませんね。


記憶に残っている映画(61)「忠臣蔵」

2016年12月10日 23時32分37秒 | 寓居人の思い出話

 12月のこの時期になると映画館では東映も大映も各社が

忠臣蔵を封切りする。私も多分数十本の忠臣蔵を見たと思

います。

 父親が時代劇好きで、よくついて行ったものです。それ

らの中でも東映の俳優、女優総出演と称するものです。

 忠臣蔵桜花の巻、菊花の巻に出演した、俳優では片岡知

恵蔵が主役で、敵役は進藤英太郎でしたね。振動榮太郎の

吉良上野介は少し動作がのろく、松の廊下での場面でも迫

力が足りませんでした。もっと細身の悪役例えば薄田?な

どが良かったかもしれませんでした。

 また、大石内蔵助役の片岡知恵増産も堂々としすぎてい

たように思いました。

 一方大映映画の忠臣蔵の主役は常に長谷川一夫でした。

似たような映画を見ていると会社を越えて適役を決めたら

もっと面白い作品を作ることが出来たのではないかと思い

ました。

 今思うとあれは残酷物語でもあったような気がしますね。

一人の几帳面?な男(吉良上野介の助と浅野内匠頭)のため

にたくさんの人とその家族が路頭に迷い数十年も続いた武士

としての縛りに振り回されたわけですから、残酷なものです

よね。こんな風に書くと弾劾されるかもしれませんが、個人

としてはやはり残酷物語だと感じます。しかし当時はそれが

人として生きる道だったのですから善悪を問題にすることで

はなかったのでしょうね。


サプリメントは必要でしょうか

2016年12月06日 18時32分35秒 | 日記・エッセイ・コラム

 太平洋戦争が敗戦という結果で終了した頃、私は国民学

校3年生でした。政府の指導で新潟県のお寺に学童疎開で

行っていた頃の話です。私たちは頭でっかちであばら骨が

浮き上がっているほど痩せていました。そのために食べら

れそうなものは、何でも口に運んでいました。私は8月1

日から10月31日までの丸3ヶ月間お寺で過ごしました。

そのとき何故か私は当時ワカモトという今で言う栄養補助

食品を一ビン持っていました。多分面会に来てくれた兄姉

が持ってきてくれたものだったのでしょう。それを毎日3

~5粒寝床の中で口に入れてよくかみしめていました。彼

は紛れもなく今で言うサプリメントだったのですね。味は

麦焦がしのような香ばしい香りと魚粉のような匂いが少し

ありました。これを飲んでいたからと行って体調が良くな

ったということはありませんでしたね。

 それからアメリカの大学(薬学部)へ行っていた頃の話で

すが、アメリカ人のサプリメント好きには驚きました。

 それで帰国してみると日本人もたくさんのサプリメント

を飲んでいるという事実に当面しました。古くからの知り

合いの人の話ですが、試供品をもらえるという情報をグル

ープ全員でアンテナを張って探していました。情報が入る

とみんなで押しかけて試供品をもらって食べていたととい

っていました。その人達は少なくとも外観は健康そのもの

でした。試供品で口に合うものがあると大量に買い込んで

大げさに言えばむさぼるように食べていたようです。

1回に20錠(粒)ほどを口に入れていたというのです。そ

れでちっとも体重が減らないと嘆いていました。

 普通の食事の他に毎日5,60錠のサプリメントを食べ

ていればその増量剤だけでも大変なカロリーを摂取してい

ることになると思うのですが。

 今、Y新聞に連載されている記事を見ていますと、飲み

合わせによっては危険なものもあるようですね。出来れば

薬剤師に自分の状態を説明してそのサプリメントが必要か

どうかを相談するようにした方が良いと思います。

 前に職場の先輩で野菜を全く食べない人がいました。そ

の方が何かの病になって病院に入ったときお見舞いに行っ

たことがありました。丁度そのとき夕食に野菜を細かく切

ったものが入ったチャーハンがでました。その方はその野

菜の粒をことごとく取り除いてご飯だけ食べていました。

それでも、仕事を定年まで勤め上げ、その後も囲碁三昧の

日々を送っていました。事実関係を聞いたことはありませ

んでしたが、サプリメントでビタミンなどを補っていたと

いう話でした。こういう方もいるのですね。

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ということでしょう

に。


同窓会報から

2016年12月05日 22時05分44秒 | 日記・エッセイ・コラム

 本日、卒業した大学の同窓会報が送られてきました。

その中に石原慎太郎氏が都知事任期中に大学の機構を

再編成して耳慣れない学問形態が公示されました。

 その結果どうにもなじめないという卒業生がたくさ

んの意見を寄せたと言うことでした。何故このように

内容を不透明にした学科・コース名にしたのか誰も理

解しなかったようです。石原氏にそれを言えば、おそ

らく理解できない方が可笑しいのだという返事が返っ

てきたでしょう。しかし受験生はかなり戸惑いを感じ

勉強したいことをどのコースで出来るのかを悩んだそ

うです。

 今日受け取った同窓会報によると、石原氏の大学改

革後12年が経過しましたが、平成30年から組織体制

を再(々)編成することを検討してきた結果実施する

ことになった、ということです。

 次に見るのは、先生方や同窓生の消息のページです。

とくに同期生の消息に関心を持っています。訃報のペ

ージを見ますと、法学部卒業の清水君の名前が出てい

ました。彼は私を度々山行に誘ってくれた友人でした。

少し理屈っぽいところがありましたが、面白い人でし

た。もう一人、荒木さんの名前が出ていました。この

方は1年先輩に当たりますが、南西諸島の珊瑚礁と洞

窟の調査には何回か同行したことがあります。

 与論島で哲也の調査をしていたときに、私が何故か

好きだった「湯の町エレジー」という歌の華氏を全部

覚えているのに感心してしまいました。彼はある同窓

生の女性に好意を持っていましたが、通じませんでし

た。大学を退職してからある研究所に移りましたが、

些細な実験ミスが重なり事務的な部署に移されてしま

ったと言うことが伝わってきましたが、どうしている

かなあと案じていたところでした。

 レトは本当は同年齢で、学童集団疎開で写した写真

を見て同じところに行っていたんだと思っていました

が、その関係の話をしたことはありませんでした。

 お二人のご冥福をお祈りします。

 最後になりますが、落研で活躍していた後輩がいま

した。会報の記事の中に、立川寸志という二つ目の落

語家がいるという記事が出ていました。記事によると

44才で落語家になる決心をして転向したということ

です。頑張ってほしいですね。次の解放が楽しみです。