ひょんなことから「日本の名随筆」中の作品を思い出した。編集スタイルが興味深かったシリーズです。
円谷さんの作品で、「随筆とはなにか?」と自分なりに模索していたときに出合った衝撃的な内容だった。
「もう走れません」と奥底から吐いていたオリンピック選手の短い文章だった。
文章という形で残った話題は、それを利用する表現題材になっている。「金か女か」と捕りものの時代から変わらないだろう永遠の黒い楽しみでも
あるかのような姿勢は、別の人のお金を産むから、天災や事件の合間のお茶受けにあるいは時局傀儡交錯として、
広範にしかも人の好奇になってこれが存続しうるのだろう。 ( 円谷さんの頃からも変わっていないとつくづく感じる。)
オリンピックを契機に高度成長を生み出すきっかけになった当時の社会は、がんばれば、叶うと期待され、「楽しむ」などという楽観的ポジティヴな姿勢など知らない彼のおかれた
姿が私には見えてしまう。社会学者でもないのに。スポーツ科学は今ほど発展せず、オリンピック選手に「もう走れません」と吐かせた所属社会だったのだろうか。
今になって、ここまで推測させる作品は、時代歴史遺物のようにも思えてくるのだが、時代を写し残した文芸とも言えるだろうか、私流に。