なんとマイレージを利用する機会があって、行く先が沖縄になった。
飛行機が島に近づくにつれ、今までとは違った海上から発生する雲に見とれていた。
白い雲の下には深い緑色の島が見え、近づくにつれその大きさも増してきた。
空港に着陸するなり、左側から私の視界に入ったのは、自衛隊だった。ああ、ここは特別な島、と
浅い知識なりにも、過去からの歴史が一瞬私の胸を機内で締め付けていた。
日本に入った経緯、そして天皇陛下が慰霊に何度となく訪れた島。
私が沖縄の歴史にときめいたのは、上野で見た中国の年賀に拝謁する使節に「琉球」とあったか、
名前が記されていた絵だった。他の国々の名前の使節のひとつに見つけた。まさにその様子は
歴史博物館の常設展で展示されているように海洋国としての位置が見て取れる。
「ソテツ地獄」という言葉に出合ったり、ハワイを最も好ましい島と開拓の道を模索したりもしていたのを知った。
館内のふれあい館には織物のサンプル保存ファイルもあり、ごく近くで見られる。
久米島・宮古・首里・大島・八重山等織物に地名を思い出した。大宜味もあり、おおぎみと読み、芭蕉布の産地とある。
日常のスーパーでは、沖縄産のモリンガ茶をみつけたり、ライチーに出合ったりと、季節柄湿度が高く、
南国なのだと、飛行時間も忘れて電車でやってきたような感覚にいた心地から、
改めて目覚めさせられた。
本土では見つけられない島なりの涼しいちぢみブランドを衣類に見つけたりもし、お買い物も発見になった。
歴史博物館と棟合わせで目に就いたのは、世田谷文学館に出かけた時に見かけた「吉増剛造」さんの苗字看板だった。