for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

誘われたかしら

2017年04月15日 14時24分00秒 | 鑑賞

出かける前にホームページを検索すると、すべてエラーがでていた。それでも

博物館は休館でもないはずだからと、出かけた。                                

現地に着いて花見陽気につられているうちに、多数の宣伝のポスターのひとつに墨絵があったので、                           

そそられて、入ることにした。雪村のPR文句はユーモアがあって、「ゆきむらではありません」とある。

連想暗示が横行しているためか、大河ドラマのタイトルに引っ張られそうです。

以前、ここに入ったのは、池大雅展だっただろうか、図録を買って帰ったような気がする。         

いったい、何度ぞの図録を開いただろうか。軽いものだけを選ぶようになった。

作品を見ていくと、見覚えのある「おさるさん」がいた。

中でも痛快なのは、飛んでいる人物。「列士」というタイトルで、足元からまるでジェット噴射で浮遊でもしたかのように     

宙に飛び、髪飾りも服も見事に風になびいている。こんな絵は見ていて気持ちがよい。良く思いついたものだ。

だれもがそう願いたい夢を現実に墨絵で再現してくれた。それとも、奇想天外な中国のお話のひとつ?

ひょっとしたら、手塚治虫さんのアトムよりもずっと前に描いているなんて、雪村は、超進歩型夢人なのかもしれません。

とは、展示PRを思い出す次第です。

(師の雪舟が中国にでかけていました。)

 

これから迎えるこどもの日にぴったりの絵もあって、斬新で、額にしたら好まれるかもしれません。

大きな鯉をつかんだばかりに、その髭を操り、頭に乗っているのはどうやら列士とも思われるような人物    

のようです。

他にも、七賢人が大きめな顔で天を向いて笑っていたり、蝦蟇仙人の絵も楽しい。何を考えて描いたでしょう。

花鳥図屏風は、鳥の表情が生き生きと様々な動作態で描かれていた。

 

山水図も細かく描かれて、生活を楽しく鑑賞できるでしょう。

会館を後にして博物館に向かってはみたものの、十分満たされて、はしごをする気持ちもなくなっていた。

桜の花びらの舞うそよ風を浴び、白いヒメシャガの群生の小道を歩き、微かなほろ酔い気分に似た鑑賞の残り香りを抱きながら、帰路に向かった。

もし寝転んで屏風絵が見られる工夫があると、きっと贅沢な時間になりそうだとは思うのだけれど・・・

と、春の心地よさにつられて気持ちも軽い。

 

 

 

 

 


放送が人に及ぼしたもの

2017年04月13日 06時04分38秒 | 発展のため

身近で暮らしていて放送がネットに拡散し、さらに人にも影響を及ぼしているのを実感している。良き悪しきにつけ、

整理してみる。

☆ 久しぶりに電話をしてご機嫌を尋ねると、年長者はまず威喝の感情をもっているのか、言葉を投げ放つ。

 誤解しているのは、個人のプライバシー周辺の問題に違いない。何かをあげるというけれど、別に物なんて特段欲しいとは思わないので、

 お断りしている。 自然な会話の後、「聞くわよ」などと返った。楽しい話ならともかく、今だに多いに気を使ってくれたのは?

  「すみません」姿勢に平静になったことだろうとは、想像するけれど。

☆時間が経ってのグループの談笑。 皆さん笑いながら声を返し、男性が一人でも混じると一斉にエンタメ談笑。

  創作同化気味をアレンジちりばめ、お上手歓談。

☆ 初めて入ったアジア人との交流。 金髪モードで「かわいい」と私を指示し、交流をしはするものの、グループでつるむ。

 身近で金髪にしたりもあり、ジャーナリストも金髪組はいる。日本、恥文化の国という瞬発メッセージもネット上に入った。

☆ 数人のしっかりリーダー的女性。「私だったら聞くわよ」と告げる。放送による大誤解に発展させている。放送は秘密という言葉のメッセージ

 に、視聴者が敏感になり、普通に暮らしているのに、係わりたくない攻める現象か、つないで聞く現象の2種類。だから、

切磋琢磨し、向上貢献型か、自然会話タイプ・余興タイプ

放送、得にnhkの民間サイドの姿勢が大きく悪く影響を及ぼしているのではないだろうか。大衆視聴者の声を拾って放送で流しているようにも

受け止める。エンタメ化は民放の力。

放送してきたことの事柄メディアによる影響と、視聴者のいたずら的悪感情を代弁放送しているのではないだろうか。nhkは吉本ルーツを応援。

民放では、「シ」業績をきちんとシンボルで示している番組もあるけれど、そっぽを向いたシンボルを置く番組では、お金談義を意味させているにすぎない。

もっとも、BPOサイトに放送による感謝は書き残して終わりとしたのは、繰り返しにはなる。

けれど、放送は以後も止むこともなかった。それらもろもろが↑に示したような現象を人々に引き起こしている。

ただ、私は気持ちが楽でいられる人と会話をつなぐだろうし、それは普通の人の普通の感覚であることを伝え書きおく。

某サービス媒体には2年ほど前に入会し、月一の連絡。上記に似た現象を一般から経験し、受け止めている。考えればわかりそうな問題だ。

かつてあさいちは男性を紹介しつつ放送を繰り返してきたほどだから、非常にえぐい体質が温存されていたように思える。表面は変わったかもしれないが、

放送は、他のメディア・企業とも関連がある。政党とも関連がありそうだとは、外国人でもわかっていた。←繰り返し。

性とプライバシーにまつわる放送の影響は↑様々な影響を及ぼし、一個人を守り、奢っているいるかのようにして放送行為に及んでいる時もある。

けれど、パワーハラッスメント的要素をも含んでいるのをも意識しなければならない。

お笑いとは誤魔化しの発展型のようにもみえる。それも現状回復に寄与すればいいけれど、個人・考え方に悪い影響を及ぼすのだったら、不要だね。

放送における言葉が持つ力はかなり大きいと実感する。だからこそ、受容可能な、腑に落ちる言葉をみつけるのは?メディアが放つことばやキャッチー指向のフレーズ・

常識問答も怪しいと受け止めると、自分自身の配慮を編みだせるだろうし、それこそが自由・自律の風土文化を育むかもしれないと、夢に繋げよう。

恋愛めんどくさがり化現象はどう解消されるか・・・・

☆「か」表記の中ですべてを表すわけではないのに、多いに犯罪まがいに取り扱った点、ブログで書き及ばない問題・購買姿勢他を好奇心から熟慮しないで取り上げた点

は放送側の無責任さ・汚点に挙げられる。これも人権侵害の範疇に及ぶと伝えおく。

 

 

 

 

 

 


見るな・聞くな・食べるな

2017年04月10日 10時10分04秒 | 発展のため

見るなの扉

 そんな題名だっただろうか、かなり怪しい。松谷みよ子さんの民話集で、ウグイスが登場する印象的な綺麗なお話として記憶されている。

 ひとつ、次にもうひとつと戸を開けると、娘さん見たさに、男の旅人が「見るなの扉」を開けてしまいました。

 

私の感覚には、鶯と聞くと、色の鶯色に繋がってしまう。

鳥を示した「ウグイス」でも、綺麗なさえずりは耳に届くのに、図鑑でしか姿を見たことのない、あの鳥にはつながらないでいる。

だから、お話の中でも鶯色したメジロを鶯妄想が結びついていて、きれいなお話に残っているのかもしれない。幸いともいえる。

 現に、つい春先の椿に蜜を吸いに来た鶯色の鳥でも、実のところ、彼女はメジロなのよね、と又、自分に告げている。

 さて、さきの「見るなの扉」は、日常の私たちの心理にもよく起きているのではないだろうか。

「過去を見ないでください・未来を見ないでください」    

と告げられると、初めての時は「ふ~ん」とそれを聞くけれど、何度も繰り返すと「まただね」と反発心が動くのではないだろうか。

それが毎回となると、「あああ」と心境も変わる。年齢不詳の人口知能ならどう反応するだろうか。

 禁止や否定の言葉に従順になれないのは、「そうはいっても、神様じゃないし、私はきちんと両目があるし、健全な心身もあるし・・・管理されているはずはないし」しまいには、

「まったくねえ」とでも吐いてしまいたくもなる心境になるかもしれない。同じことが繰り返されると、嫌気がさすのは心理にあるはずだ。私だけだろうか。

 民話のオチは、期待していた綺麗な娘さんがウグイスだったけれど、そそられ胸を膨らませ、夢を抱く気持ちになるのは、人間だからではないだろうか。

もし、旅人の男性が戸を開けずにいたら、どんな展開が彼にもたらされただろうか・、とは多様に動ける今日的な展開で、新しい民話ができそうだ。

 新しい学期に、新しい社会に飛び込んだなら、きっとリーダーは将来に夢を抱けるような文言を述べるだろうことを期待している。

 近しい親子・子弟なら、どれほど禁止をしないで、心を開かせ、添わせられるだろうか。

そうはいうものの、本当のところ、私にとっても悩ましい問題になりそうだ。

 

 


実は悲しい

2017年04月10日 08時45分49秒 | 鑑賞

歌詞のようだった。数年前にネット上で知った動画のバックミュージックで、歌っていたのはlizzie Higgins という女性の声だった。

彼女の声が忘れられなくて再び聞いてみると、歌詞は、どうやら悲しそうな内容らしく、淡々と吐き出して歌っているようだと、改めて実感した。

書き始めるときの気持ちも、腑に収めたくて自分に向き合うでしょうか。

別の研究発意や意義・発見とは違うでしょう。

what a voice, what a voice♪ と、聞いて、歌っている人自身を単純に連想していた方が音楽自体を楽しめるけれど、知って別のものを連想するのはどうにもつらい。

歌詞で心情は動かされ、それで慰められ、良しとする聞き手もいるでしょう。その時、作品は共有されます。

歌詞を受容し感情に左右されず、語るような彼女の声と歌いっぷりはすばらしい。

誰が曲を創ったのでしょう。