エメラルドの瑕疵

旧 『楽母の人見知り日記』です。 毎日更新しています。気候の良い時期は地元(京都)の寺社散策に励みます。

ジュリーの世界

2023-09-30 07:54:39 | 
増山実 著  ポプラ文庫  2023年 9月5日 第1刷

10回目の京都本大賞受賞作です。

1979年前後の京都が舞台。
その頃を覚えている京都人や、今はもう別の所に暮らしているが大学生時代を京都で暮らした人の記憶には絶対に刻まれているであろう「河原町のジュリー」の話。
今もある、矢田寺の隣の交番に配属された新人警察官木戸、の言葉で綴られていく。

当時、大学生だった私もはっきりと覚えている。
それはもう、汚いホームレスだった。 ホームレスと言ってるけれど当時は乞食、と呼んでいたように思う。
自信を持って言えないけれど、ホームレスの人って、割と人目を避けがちで裏通りにいたり、あまり日中ウロウロ出歩かない気がするのだけれど、この「河原町のジュリー」は違った。
日中でも堂々と?河原町や京極といった、京都の繁華街を普通に歩き回っていたのだ。

友達と河原町をぶらぶらしている時にも彼の姿をよく目にした。
「楽母ちゃん、お父さんが歩いてはるで」
「やだ~、あんまり明るい時には出歩かないでって言ってるのに」なんていいながら、笑いあっていたものだ。
汚いけれど、怖くはなかった。
そういえば、この本にあるように、悠然と歩く孤高の哲学者、ぽかった。

あの頃、三条大橋付近にはゴザを広げて座っている傷痍軍人??の物乞いさんもいて、怖いと言えばそっちのほうが怖かった。

当時の京都の繁華街の事が蘇ってくる。 
あの美し(かった)いジュリー、沢田研二さんとは似ても似つかないのに、なぜか彼は「河原町のジュリー」と呼ばれていて、乞食だから汚いからと嫌われてはいなかったように思う。

河原町のジュリーを知らない人にはピンと来ないかもしれないけれど、私の青春時代に、確かにあった光景だ。
でもね、小説としてもとても面白いから、河原町のジュリーを知らない人が読んでも入り込めると思うなぁ。


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6 コメント

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Unknown (keiko(けいこ))
2023-09-30 09:08:37
おはようございます。
タイトル?でした😁
でも楽母さんはジュリーのファンだし。。??な〜〜に?って!なりました。

初めて知りました。

傷痍軍人は、昔は上野とかいて 怖かったです。申し訳ないけど。

そうそう ずいぶん前の話ですが、、アルバイト先にちょっと変わった女性が、いて、、地下鉄の浮浪者(乞食)に家からわざわざ毛布持ってきて渡したら「お金くれ!」って言われたそうな。
わざわざ毛布?!ビックリしました。
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おっはどす! (おちゃこ)
2023-09-30 10:17:23
1979年前後の三条大橋付近に傷痍軍人さんがいたはった!
エエ~ッ😬
それ以前の1960年代頃にしょっちゅう歩いていたけど会ったことないな~?
ビックリしたよ!

子供の頃は白い着物着た傷痍軍人さん新京極とかに仰山いたはったけど・・・!

>あの美し(かった)いジュリー、沢田研二さん

ちゅうとこがエエな~😁
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こんにちは (楽母)
2023-09-30 15:44:53
けいこさん
わたし、ジュリーファンというわけでもないんですよ(笑) 仲良しの先輩が大ファンで、一年に一回ぐらいは一緒にライブに行こう・・・という話になって彼女の好みに合わせています。
勿論、あれだけのヒット実績をもつジュリーですから、知ってる歌がいっぱいで私も楽しんでますけど(笑) わたしは当時のGSならジャガーズの岡本信さんが好きでした。 
河原町のジュリーは割と皆から親しまれていたそうで、着古した洋服や靴を差し入れ?ている人もいたそうです。それは本を読んで知った事ですが。
おちゃこさん
確かにいましたよ。 白い着物だったか軍服のようなものだったか、帽子もかぶって座っている人。
脚が不自由だったのか、手だったのかははっきり覚えていませんが。 なんかね、じろじろ見ちゃいけないと思って足早に通り過ぎていたので細かいところは覚えていません。
なんかね、哀れっぽかった印象です。
本で知ったんですが、百恵ちゃんという女の人のホームレスもいたそうですね。
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Unknown ()
2023-09-30 18:22:52
ジュリーの世界、私もてっきりかのジュリーかと思って、楽母さんの文章にびっくり!
傷痍軍人さんは藤沢市にも何人かいて、地下道入口あたりに座ってましたね…
横浜ではメリーさんの話が有名で、五大路子さんはひとり芝居でずっと演じています。
戦後の色々、ギリギリ目撃できた世代なんですね、私たち。
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こんばんは (ゆっきー)
2023-09-30 22:23:28
その当時、京都に住んでいたはずだけれど、記憶にありません。
なぜか?と考えたら行動範囲が大阪に変わっていた(笑)
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おはようございます (楽母)
2023-10-01 08:03:12
縁さん
タイトルだけ見たら、沢田研二さんの本かと思いますよね(笑) 著者や出版社もそのあたりを考えていたかもしれません。
もっとも、文庫本の帯には河原町のジュリー、としっかり書かれていますが。
メリーさんというのを知らなくて調べました。
河原町のジュリーも南方の戦線で玉砕した隊の生き残り、という描写もありました。ただ、どこまでがノンフィクションなのか?? ちょっと分かりませんでした。
確かに私たちの世代はギリギリ戦後のあれこれを目撃できていたのかもしれませんね。

ゆっきーさん
わたしも誰に教わったのか、あの人が河原町のジュリーだと。 本によると、東西は三条~四条、南北が新京極~河原町その四角形によくいて、夜は段ボールを敷いてリプトンの前で寝ていることが多かったそうです。 でも、朝になると綺麗に片付けていなくなるので、リプトンの人もなんにも言わなかったとか。 戦時中の話も絡めていて、極楽鳥の出てくるあたりでは、そこだけなんだかモノクロの物語にすごい色味がつくように感じられました。
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