富田元治のブログ

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分け入っても分け入っても

2017年08月29日 | 面白かった本

「私はたゞ歩いてをります、歩く たゞ歩く、歩くことが一切を解決してくれるやうな気がします」。

(山頭火のはがき) 

今日(8月29日)の熊日新聞に載っています。この葉書にドキリでした。

 

大正15年4月14日、坪井(熊本市)の報恩寺から山頭火は

木村緑平にはがきを出している。

「あわたゞしい春、それよりもあわたゞしく私は味取をひきあげました。

本山で本式の修行をするつもりであります。(略)

それまでは熊本近在に居ります。本日から天草を行乞(ぎょうこつ)します」。

 

味取観音の堂守をやめて最初に向かったのは天草だが、

当時の日記は残っておらず、何の記録もない。

画用紙のように真っ白だ。そこを旅する山頭火を思い画いたとき、

浮かんでくる句がある。

分け入っても分け入っても青い山 (山頭火) 

「天草は島でしょう」

「この句は高千穂で作られたのでは」

という声も聞こえそうだが・・・・・・・・・・つづく。(井上智重)

 

天草の山々。  里道から天草の山々を展望します。 天草観海アルプスです。

分け入っても分け入っても青い山 (山頭火)

 

(つづき)。  高千穂神社に昭和47年、地元高校教師らによって、

「分け入っても分け入っても青い山」 の句碑が建立される。

本当にこの地で作られたのか、大山澄太に一人が問い合わせたら、

「熊本から浜町に入り、そこから三田尻(高千穂)への途中の作ということが、

緑平さんのはがきではっきりしています」。

その肝心のはがきが残っていない。

 

第一句集 『鉢の子』 に

「大正15年4月、解くすべもない惑いを背負うて行乞流転ぎょうこつるてん)の旅に出た」

と前書きし、「青い山」の句が出てくる。

最初に向かった天草は島だが、深い山からなっている。

分け入っても分け入っても青い山だ。

 

炎天をいただいて乞ひ歩く (山頭火)

「炎天―」はそれに続く句で、これも天草らしい。(井上智重)

 

浜町から高千穂への里道からの展望。

 

浜町(矢部町)→浜町(山都町)。(蘇陽町、清和村、矢部町が合併 → 山都町)。

 

分け入っても分け入っても青い山 (山頭火)

画像を見る限り、浜町から高千穂への途中の作に軍配ですね。

天草の観海アルプスの登山道もいいです。

 

下の画像は、島原の山

分け入っても分け入っても青い山。この時期、遠くの山が青く見えます。

 

新緑の登山道。

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