まもなく夏休みも終わりになります。学生の皆さんにとって、気持ちも新たに2学期の始まりなわけです。
この夏には、たくさんの良い思い出も出来たでしょうが、馬鹿韓国や反日中国の問題に振り回されているこの国の現状も良く判ったと思います。一時が万事。一つの出来事をよく考えもしないで、決めてしまうと、後々取り返しの付かない事態に発展する事があると言う諺です。
これは、何も国家間だけではなく、我々が普通に生活している上でも、たくさん起こっている事です。ちょっとした言葉の言い方で、人は良い風にも、悪い風にも捉えられてしますのです。例えば、運動会などの100メートル走を想像して下さい。あなたの友人が出場し、2位でした。そして、友人に、「1位の奴には誰も勝てないよ」と言った場合と、「2位、おめでとう。」と言うのとは、全く相手の捕らえ方が異なります。頑張って走ったのに、「誰も勝てない」なんて言われたら、ムッとくるでしょ?「おめでとう」の方が、負けはしたもののすっきりする。
これは、単純な例ですが、その後の関係が、どうなるかは、想像できますね。つまり、相手を想って話す事や行動する事が大事なわけです。イジメにしても、こうした些細なボタンの掛け違いから、派生する事があります。また、「○○さんが、△△さんの悪口を言った」とか「○○さんが、△△さんの彼氏と歩いていた」とかこれまた、誤解を招く言動や行動が、噂となって、イジメに発展するケースもあります。(友達の彼氏、彼女だからと言って、親しくし過ぎるのも、よくないと言う事です)
今、イジメを受けている人がいるなら、どうか、親と共に戦う事。または、一旦退く事で、突破口が開くかもしれません。現在、大津の中2の男子生徒自殺に関連して、イジメに対する世論の関心は高まっています。多くの芸能関係者が、イジメにあった事を告白しています。でも、自殺せずに、今幸福を掴んでいると言うのはやはり、その解決方法があったという事です。
もし、暴力による怪我をさせられたなら、傷害罪で、警察に訴える事は可能です。訴える事で、連中は収束するでしょ。
Don't cry. just revenge. The best revenge is to live well.(泣くな!復讐しろ!最高の復讐は、(あなたが)幸せに生きることだ。)
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■7/4 大津の中学2年生 男子生徒自殺のアンケート(毎日”ど変態”新聞より)
アンケートは男子生徒の自殺後にいじめについて実施し、約320人が回答した。15人の生徒は「自殺の練習とか、トイレで殴られていたとか、死んだスズメを口の中に入れろと言われていた」「何回も自殺の練習をさせられていた。先生に相談したけど何もしてくれなかった」などと回答。「昼休みに毎日自殺の練習をさせられていた」「がんの友達に自分の命をあげるなどと言っていたらしい」との回答もあった。
また、13人が「友達なのにお金を恐喝されていた」「脅して銀行の番号を聞き出し、その銀行からとったお金を使っていた」と回答、15人が「万引きを強要されていた」と書いた。
男子生徒は昨年10月11日朝、自宅マンション敷地内で倒れているのが発見され、滋賀県警大津署が自殺と断定した。学校側は当初「いじめは把握していない」としていたが、全校生徒へのアンケートでいじめの事実が判明した。
これまでに明らかになったのは、ヘッドロックをかける▽トレーニングと称して押さえ込む▽毎日のようにズボンをずらす▽蜂の死骸を食べさせようとする--などで、担任が目撃していたが、軽い注意にとどまっていた。
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◇公表されたアンケート概要◇
【生徒の様子】
・いじめられているのを隠すかのようにつらそうな笑顔をしているのを何度も見た
・夏休みの時は元気だった
・2学期の中間テストのころ、極端に元気がなかった
・(自殺前日、加害生徒に)「ぼく死にます」と電話
【いじめの内容】
・死んだスズメを口の中に入れろと言われていた
・ガムテープで縛られていた
・昼休みに自殺の練習をさせられていた
・むりやりごみを口に入れられたりしていた
・毎日殴られていた
・はちまきで首を絞められているのを見た
・あざができたら先生にばれないように伏せさせた
・お金を取られていた
・教科書とかを破られていた
・亡くなった後に(加害生徒が)笑っていた
・「死んでくれてうれしい。でももう少しスリルを味わいたかった」と言っていたらしい
【学校の対応】
・先生もいじめのことを知っていたけれど、こわくて言えなかったらしい
・先生に相談したのに解決してもらえなかった
・一度先生は注意したけれどその後は笑っていた
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■大津いじめ担任 韓国語教育に熱心だったが現在生徒に無関心(NEWSポストセブンより)
滋賀県大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)がいじめを苦に自殺したとされる事件は、自殺生徒の父親が元同級生らを告訴するなど全国的な話題となっている。事件が騒動になって以降、担任教師の男性は表に出なくなっている。7月12日に開かれた保護者説明会にも、出席しなかった。
「保護者からは『担任が出てきて説明すべきだ』という声が上がったが、校長は『自分の判断で出席させなかった』の一点張りでした。担任がいじめの様子を見ていながら『そのくらいにしとき』と笑っていたともいわれている。そうしたことが本当だったのかどうかが知りたかったのに、説明会では何も答えていません」(2年生の母親)
なぜ彼は表で説明しようとしないのか。それは、「彼がしゃべれば、学校がこれまで行なってきたいじめの封印工作がすべてばれてしまうから」(学校関係者)だという。
それだけではない。学校側が恐れているのは、この担任教師自身に、事件を起こす土壌を作った原因があったことを追及される可能性があるからだ。 この教師は、かねて生徒への「無関心」が問題視されていたという。
「彼が以前いた大学の附属中学では、韓国語の教育に力を入れるなど熱心だったそうですが、この中学に移ってからは次第にそうした熱がなくなり、無難にやり過ごす態度が目立っていたようです」(PTA関係者)
今回の自殺が起きる直前の昨年夏、この中学校で起きていた“事故”も、担任教師のそうした教育姿勢がもたらしたものではなかったか。同校の生徒の一人が明かす。
「先生が受け持つ柔道の授業で、ある男子生徒が足を怪我したんです。ところが、先生は『大丈夫だ』といって、彼は次の日に行なわれた水泳大会に参加させられた。それで、怪我が悪化してしまったんです。あとでわかったんですが、柔道の授業のときにすでに骨が折れていたようなんです。なのに先生のいうまま、彼は足が真っ赤に腫れた状態のまま水泳大会に出て、終わったあとは全く歩けなくなっていました」
後に生徒の保護者が、教師にこのことを訴えたところ、そっけない態度で軽く流されてしまったという。この男子生徒は、自殺した生徒のクラスメートだった。
この教師は、写真週刊誌『フライデー』の直撃取材に、鼻唄で「ふふ~ふ~♪」と応じたことがインターネットなどで批判を浴びたことから、それ以降は自宅に帰らず、本誌記者の訪問時も不在が続いている。
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■8/25 娘がいじめられた清水章吾 「いじめの張本人と娘は今は友達」(NEWSポストセブンより)
全国各地で次々と明らかになったいじめ問題では、学校があてにならないこともあることがわかったが、親は一体どのようにして子供を守ればいいのだろうか。俳優・清水章吾(69才)はかつて、いじめの標的となったわが子を、必死の思いで救い出した過去を持つ。
妻のハルマンさん(61才)とは再婚同士だ。長女の絹さん(38才)と次女の響美さん(32才)の2人の娘が大人になるまでいじめ問題には悩まされてきた。清水が語る。
「絹が中学生の時でした。男女30人に囲まれ、集団リンチを受けたことがあったんです。牛乳瓶で切られた指は、神経にまで達する深い傷になっていて…。連絡を受けて慌てて病院に行った時は卒倒しそうになりました。響美も幼稚園に入園するのと同時にいじめに遭い、それからずっとですからね。本当に長かった」
取材には、ハルマンさん、絹さんも同席した。絹さん本人は当時をこう振り返った。
「あの時は、顔の形が変わってしまうくらいに殴られました。通行人が警察に通報してくれたので、手の方はそれくらいの傷で助かったんです」
絹さんは淡々とその時の様子を語った。いじめの「原因」は絹さんの容貌だった。母親のハルマンさんが、いまでもくやしそうにいう。
「私、父はドイツ人で、母が日本人。いつも『ガイジン』っていじめられてきたのよ。そんな時代はとっくに終わっていると思っていたけど、娘たちも同じ目に遭ったの」
清水夫妻は学校を訪れた。いじめの中心になっている生徒の名前はわかっていた。清水が、中学の対応をあきれ顔で語った。
「学校側は“その生徒を傷害罪で警察に訴えてください”と、まるで他人事で、いじめ問題に取り組む姿勢がまったく感じられなかった。担任教師は化学室に籠城し、出てきなさいと声を張り上げたけど、結局出てきませんでしたからね」
暴力を受けた翌日、絹さんは熱を出して学校を休んだ。その日のことを絹さんは鮮明に記憶している。
「生きるのはもういいやって、ふと思ってしまったんです。『ガイジン』といじめられるのは序の口で、『拾われてきた捨て子』っていつもいわれていた。自分の部屋の天井に縄跳びの紐を結び、首を吊ろうとしました。その時、ちょうど母が薬を持ってはいってきた」
ハルマンさんは絹さんの頬をはった。
「『死ぬ勇気があるなら、生きればいいでしょう』って、初めて母に頬を叩かれました。その時の母は、いつもの優しい顔と違って、鬼のような形相でした」(絹さん)
いまは絹さんの言葉に笑うハルマンさんだが、実はこの時の記憶は、あまりの衝撃だったためか、まったくないという。相手の親からは、
「子供のけんかに口出しするな」
学校はあてにはならなかった。それでも絹さんの命を救わねばならない。清水夫妻は迷わず、いじめを主導していた生徒の家を訪ねた。
相手の親からは「子供のけんかに親が口出しするな」と罵声をあびた。それでも夫妻はひるむことはなかった。絹さんを守るために必死だった。いじめの張本人とも直接会って、話をしたという。
「何度も会っていると、相手の子も心を開いてくれた。いじめをしてしまう要因がその子の家庭内にあって、愛情に飢えているのがわかった。夫婦げんかが絶えない家庭でした。時間が許す限り、その生徒の話を聞いてあげたんですよ。学校が悪い、いじめる生徒が悪いと一方的に責めることはしなかった。結果的にはそれが功を奏したのかもしれません。その子のことを私たちが理解してあげたら、結局いじめは止みました」(清水)
その後、ハルマンさんのぜんそく治療のために一家は埼玉県所沢市から本庄市に転居している。
「あの時のいじめの張本人とは、いまでも友達としてつきあっていますし、ウチの両親のことも覚えていて、『元気にしてる?』って聞いてきますよ」
絹さんが笑みを浮かべながらいった。彼女はいま、世界的なアートフェアに出展する画家に成長している。