プラッツの公式キットで特二式内火艇カミを作っていて、これは何だろうと思った部品の最たるものが、上図の車体左側後部に付いているアーム状の部品でした。キットには2種類のパーツが入っており、上端が環状になっているものとそうでないものとがありました。
初めてこのパーツを見た時は、旧海軍の艦艇にまま見られるアンテナ用の起倒式竿かなと思いましたが、Sさんに尋ねたところ、半分正解でした。
「・・・これは航行時に軍旗を掲げるための旗竿ですよ。これは下半分だけになってますね。もう一本の棒の端をを環にはめ込んで使うわけです。だから高さは倍ぐらいになりますね・・・。未使用時は上半分を外して、下半分も倒して収納します。旗竿以外に、立てて無線の空中線を張る際にも使いましたね・・・。本来は真っ直ぐの後ろに付けるべきなんですけれども、カミの本体の後端はハッチになっていて、竿が立てられませんから、左側に寄せたんでしょうね」
上画像の引用元(https://www.reddit.com/r/TankPorn/comments/6g589w/japanese_type_2_ka_mi_amphibious_tank_destroyed/)
サイパン島で撃破されたカミの後からの写真にも、起倒式竿がよく見えます。これも収納状態ですので、環で連結する上半分の竿は艇内に収納されていて見えません。
従来、模型誌や軍事関連誌などで謎の部品とされていて、色んな仮説が立てられていたようですが、全て外れでした。カミが海軍の正式な艦艇に含まれることを考えれば、航行時の軍旗掲揚は当たり前ですから、そのための竿が必要であります。
ただ、旗竿は本来ならば起倒式ではないのですが、カミの場合は航行時に操舵手が後部デッキ上に陣取って舵のハンドル(後部フロートの上にある8の字形の部品)を操る場合もあって、その際に竿が邪魔になるので起倒式にしてあったのだろう、というSさんのお話でした。
製作中に、迷った事の一つが、舵へ繋がるワイヤーを付けるべきかどうか、という事でした。上図のキットにも、舵ワイヤーを通すリールが3ヶ所に付いていて、実際に細い銅線などを通して再現出来るように、ちゃんと穴もあいています。キットの組み立てガイド図においては、舵ワイヤーのパーツも取り付け指示もありませんが、劇中車にはワイヤーが見えます。
それで、最初は銅線を通して舵ワイヤーを付けようと考えたのですが、Sさんに、アニメのように陸上での姿に作るのであれば舵ワイヤーは外して下さい、と教えられました。
実は、上陸してフロートを切り離す際、もくしは陸上での作戦行動時には、舵ワイヤーを外して艇内に引き込むのだそうです。したがって、ガルパンの車輌のようにジャングル内を疾駆しているのであれば、舵ワイヤーは必要ないのでした。
上画像の引用元(https://www.worldwarphotos.info/gallery/japan/japanese-tanks/type-2-ka-mi-tank-turret/)
上掲の、オーストラリア軍に捕獲された車輌の写真にも、舵ワイヤーが艇内に引き込まれていたのを右ハッチから出して垂らしている様子が見えます。その先端は艇長が砲塔内で操作する転把に繋がっており、その転把が砲塔内ではかなり場所を取るので、航行しない場合は取り外す決まりになっていたそうです。転把と舵ワイヤーは一つに繋がった一個の装置であるため、未使用時は転把に舵ワイヤーを巻き付けて箱に収納したのだそうです。
つまり、航行時の状態でのみ、舵ワイヤーをリールに巻いて展開するのだということです。このような、実際に扱った方だけが知っている事柄というのは、カミのような特殊な構造の車輌には多いので、関係者の証言というのは本当に貴重だな、と思います。
なので、車輌としての姿に作られるプラッツの公式キット、元製品のドラゴンキットの組み立てガイドに舵ワイヤーの取り付け指示が付いていないのは、Sさんに言わせれば「正しい」わけでした。同時に、ガルパンの劇中車が上陸後も舵ワイヤーを付けたままであるのは、厳密には「間違い」であることになります。
上画像の引用元(http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main02/palaukoror/pic119003.html)
カミに関して従来より疑問が呈されている事のひとつに、コロール島の現存車輌の後部に13ミリ連装対空機銃が載っている件が挙げられます。
平成4年の戦跡巡拝時に現地でこれを見学した際、案内ガイドの老人が「昔は機銃は隣にあったんだけど、邪魔だったためか、車体の上に乗せてしまった」というように話していたと記憶しています。カミの構造を考えても、上に機銃を乗せるのは有り得ないと思いますが、念のためにSさんに聞いてみました。すると即座に「あれは戦後に乗っけてるだけですよ」と断言されました。
「・・・あれは誤解されますよ・・・。知らない人が見たら、戦時中にああやって作戦行動していたのかと思ってしまうでしょ、実際には有り得ない事ですからね、ああいうことをやったら駄目ですね・・・」
「・・・あの機銃はデッキの上に乗せてあるでしょ、発動機の真上。これがまず有り得んわけです。カミの発動機は架台に乗せてあるだけですから、交換がすぐに出来るように、真上は三枚のハッチになってるんです。装甲なんて無いわけです。放熱用の窓もついてるから、薄っぺらい鉄板でしかない。そのうえに1トン近い連装対空機銃乗せたらハッチがつぶれて落ちますよ・・・。支持架台を付けないと無理ですが、そんなもの付けられる余地も無い訳です・・・」
その語りついでに、本来の搭載機銃および、戦時中の機銃交換の顛末、自艇の最期についても話してくれました。
「機銃はね、カミの場合は7.7ミリ機銃が予備も含めて4挺あるわけです。前に突き出す1挺、砲塔上の支持架に付ける1挺、通風筒の上に付ける1挺が戦闘配置時の武装になります。しかしね、7.7ミリは、敵機の空襲を受けた時にはてんで役に立ちませんでしたね・・・。9月に最初の空襲を受けた時に、そのとき一緒に居た4隻で応戦したのですが、まるで当たらないし、当たっても効いていない。それどころか、掃射で2隻がやられて乗員が全員戦死して、艇も穴だらけになって沈んでしまいましたよ・・・」
その後も敵機の攻撃で4隻が失われて2小隊が全滅したため、残存の3小隊9隻に順次、武装交換を実施したのだそうです。当時の軍艦、艦艇では対空機銃の増設が急がれていたそうですから、パラオの在泊艦艇にも同様な処置が施された、ということです。
「・・・9月の終わり頃から空襲が増えましてね・・・。グラマンとかの艦載機がやってくる、これはもうパラオに敵が上陸してくるな、ということで色々と防備対策に追われましたが、あれは実際にはアンガウルとペリリューに上陸しかけるための牽制だったわけですね・・・。でも当時はね、パラオ本島群にもやってきそうだという観測がありましたから、根拠地隊全体で武装を強化しろという成り行きになってましたね・・・。それで、我々の艇も、敵機対策のために25ミリ機銃を載せることになったんですね。4月に修理でお世話になった「明石」の工員が来てくれて、砲塔の37ミリ砲を25ミリ機銃に換装したんです・・・。もう換えないといけなかったんですよ・・・、なにしろ弾薬がね、もう無かったんですよ・・・」
25ミリ機銃に換えた理由の第一は、37ミリ砲用の砲弾が払底してしまったからだそうです。パラオに運んできた際に予備が無かったため、各艇に元から積んであった弾のみが全てで、それもすぐに使い果たしてしまったそうです。
その頃、パラオには、3月の空襲で沈められた輸送船などに取り付ける予定だった増設用25ミリ機銃の在庫があり、弾薬も輸送船団で次々に運ばれてきて豊富にあったため、「明石」の工員が25ミリ機銃に換えたほうが良い、と提案してくれたのだそうです。それに乗る形で、余っている25ミリの単装を貰い、砲塔の37ミリ砲と交換するか、艇の後部に取り付けるなどして、各艇がめいめいに武装強化を図ったそうです。Sさんの艇は37ミリ砲との交換を選んだそうです。
換装した25ミリ機銃の威力は、それまでの7.7ミリとは比べ物にならなかったそうです。10月の空襲時にSさんの艇は敵機3機と交戦、そのうちの1機を撃墜したほか、別の空襲でも敵機を追い払うことに成功したそうです。さらに敵潜水艦の攻撃を受けた際にも弾幕を張って撃退したそうです。
「・・・さすがに威力ありましたね、25ミリは・・・。弾も15発入りの弾倉を挿して連射が出来たんです。速射砲の37ミリよりも速かった。毎分100発ぐらいは撃てたんです。弾幕をサッと張れましたから、けっこう牽制にはなったんですよ。敵機だけじゃなくて敵潜にも有効でしたね。水平射撃で敵の船体に何発か命中させたこともありましたね・・・。あの敵潜、すぐに潜っていって。それから気配が消えましたから、ひょっとして沈んだのかな、と思いましたね・・・」
「敵潜の襲撃は、我々の艇は7回受けました。カロリンやペリリューまで臨時輸送をやるという任務もあって、夜中に艀に食料や弾薬積んで曳航していったんですけど、その途中で雷撃を受けたりしたんです。カミが艀を曳航してるとね、あれ遠くからみたら巡洋艦とか駆逐艦ぐらいに見えちゃうんですよ・・・。敵もそれで攻撃してきたんだろうと思いますけどね、我々の艇は4月の修理で履帯や車輪やサスを全部撤去して軽くして喫水も浅くなってましたからね、魚雷がスーッと艇の下を通り過ぎていっちゃうんですな・・・。敵にしてみたら、命中してるはずなのに命中してない、これはおかしい、ということで浮上して確認するわけですね・・・。そうするとこっちも25ミリで応戦する。それで撃退出来たわけですよ・・・。でもね、敵機のほうは動きが速いですからね、照準がなかなか追いつかんのですよ・・・」
そのうちに敵機が小型爆弾も携行してくるようになり、ついには爆撃機もやってくるようになり、海上のカミは凄まじい攻撃にさらされて1隻、また1隻と沈められてしまったそうです。そして10月中旬にはSさんの艇の他には2隻しかなくなってしまい、アンガウル島に敵が上陸した10月21日の翌日に、マラカル島沖合で5機のグラマンに襲われ、3隻全てが撃沈されてしまったのでした。
Sさんの艇は、右舷に掃射を受けて乗員3人が戦死し、機銃の発砲が途絶えたところへ爆弾を至近に投下されて後部フロートに大穴があいて舵も吹っ飛び、一気に浸水して右後ろに傾いて沈没したのだそうです。残ったSさん達3人は浮いていた弾薬用木箱につかまったものの、潮に流されて沖に出てしまい、もう死ぬんだと覚悟を決めたそうです。
「・・・そしたらね、目の前にいきなり潜水艦が浮上したんですよ。また敵か、よし死んでやる、と思ったのが、よく見たら日の丸がついてる友軍の艦だったんです。呂号潜水艦だったかな・・・、たまたまその針路上で我々が交戦して沈められましたので、向こうも敵が去ってから生存者確認のためにいったん浮上したわけですな・・・。奇跡と言うか、本当に奇跡でした。とにかく救助されましたが、その艦がパラオから出て内地に向かう任務だったために、パラオに戻ることは出来ないままとなりましたね・・・」
かくして、Sさん達3人は、共に戦った全ての艇と戦友を失うも、激戦地のパラオから奇跡的に帰還したのでした。 (続く)