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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

宇治巡礼1 橋姫神社

2020年07月19日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 京都府宇治市は、紫式部の「源氏物語」の終章にあたる「宇治十帖」の舞台として、既に平安時代より聖地巡礼の人気エリアとして有名でした。例えば、「更級日記」の作者である菅原孝標の娘が超のつく「源氏物語」ファンとして、長谷詣での途中に宇治に立ち寄ったりしたのも、日本における小説やアニメの聖地巡礼の初期の事例と言えましょう。

 いまはアニメ「響けユーフォニアム」の舞台としても知られますが、それは一部のアニメファンだけの話で、世界的には宇治といえば「源氏物語」の聖地の代名詞となっています。世界最古の恋愛小説として知られ、多くの国でドクター論文のテーマに挙げられるほどの「源氏物語」なので、その舞台である宇治を訪れる外国人観光客も多いです。年間平均で2万4千人が来たとの資料もあります。

 私自身、一番好きな聖地が宇治です。理由はいくつかありますが、最も分かりやすいのは、定朝とその仏像を長く研究していたから、という理由でしょうか。その定朝の確定された唯一の作品が平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像です。
 昨年夏に京都に凱旋移転した後、年内に一度は宇治へ行こうと決めていましたが、実際には5回行きました。藤原時代王朝文化の歴史と美術に飽くなき憧憬を抱き続ける身としては、むしろ少なかったかもしれません。「源氏物語」の「宇治十帖」に親しんでいる身としては、十帖にちなんで10回は行くべきだったかもしれません。

 そんな私が、宇治巡礼の際によく訪れている所を、幾つか取り上げて、気ままに紹介してみたいと思います。上図は宇治巡礼の度に必ず渡っている、宇治橋です。

 

 宇治巡礼の聖地といえば、時系列的に並べた場合にはまず橋姫神社が挙げられるでしょう。宇治橋の守護神として宇治の結界をつかさどった橋姫、瀬織津媛命を祀る神社です。明治39年(1906)に現在地に移される前は宇治橋西詰に鎮座し、古代においては宇治川上流の桜谷にあったのを、大化二年(646)の宇治橋創設にともない、以後は橋の守護と管理を担った放生院常光寺(橋寺)敷地内にて祀った歴史があります。

 つまり、宇治という地域における最も古い神様の一人で、本来は水辺の神として女性神の姿に解釈されていたため、橋の守護神ともなるに至って橋姫の通称が定着したのでしょう。当然ながら藤原時代に宇治が別業都市として発展した時期には既に橋姫の称にて親しまれていたようで、紫式部が「源氏物語」の「宇治十帖」を執筆するにあたって最初の巻を「橋姫」と名付けています。

 「源氏物語」は「宇治十帖」から登場人物が入れ替わります。光源氏および柏木から、光源氏の子の薫や匂宮にバトンタッチされます。つまりは宇治への橋渡し、物語の終章への橋渡し、という意味を込めて紫式部は「橋姫」の巻を書き始めたのでしょう。
 だから、この橋姫神社は、「源氏物語」ファンの聖地の一つでもあります。

 

 現在の橋姫神社は、藤原時代以来の街路とされる県通りを宇治橋から南下して100メートルほど行った東側に鎮座し、鳥居を西に向けて街道筋に面しています。狭い境内地に、二つの祠が並びます。上図左が橋姫社、右が橋姫との通婚伝承がある住吉神の住吉社で、そのルーツは宇治離宮神、つまり現在の宇治上神社の祭神とも関連があったようです。

 橋姫神社は、かつては宇治橋の「三の間」に祀られたといいますが、その宇治橋の「三の間」自体は江戸期に設けられているので、本当に祀られていたかどうかは疑問です。むしろ、いま紫式部石像がある宇治橋西詰の道端にずっと鎮座していたとするほうが自然でしょう。
 そして、境内地が小さいのも、宇治橋西詰に在った頃の規模をそのまま受け継いでいるからだろう、と推察します。

 

 境内には、上図のように「宇治十帖」の橋姫の巻の解説板も立てられています。現在ではこの解説板が「宇治十帖」の十ヶ所の「古跡」に立てられていますが、実際に宇治における舞台となったのは「橋姫」の他には「椎本」「浮舟」「蜻蛉」「手習」の4巻ぐらいではないかとされており、一番確実なのは「橋姫」だけだろうと思います。いま「古跡」と言っている場所の大半は江戸期に推測や仮託にて追加されたものであるようです。

 そのことは「源氏物語」の数多くの注釈書のうち、「宇治十帖」をまとめて古跡とする最初の例とされる江戸期の寛永十七年(1640)の「平等院旧記」に十帖の名所を列挙しながら、由緒も述べているのが「橋姫」のみである点にも示されます。
 また、江戸期の「源氏物語」研究者のひとりであった歌人の北村季吟は、著書「菟芸泥赴(つげねふ)」にて「もとより源氏の作物語なれば、其あとあるべきにあらず」と看破し、「うぢ(宇治)に其しるしをいふべき故もなかるべし」と結論づけています。要するに源氏物語というのは小説なのだから、宇治にもとから由緒や名所があるはずはない、宇治に関連の場所がなければならないという理由はない、という訳です。

 なので、私自身も、「宇治十帖」の聖地を問われれば、「橋姫」だけを挙げて橋姫神社を紹介するにとどめています。そのほうが、ロマンもあっていいんじゃないか、と思います。

 

 橋姫神社の地図です。


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