今日は第4金曜日でヒストリー各務野会が開かれました。学習テーマは「高須四兄弟と幕末」でした。講師は中西達治さんで、金城大学の名誉教授を勤めておられます。高須藩の有った海津市にお住まいで、宝暦治水会長を勤められています。
中世の文学で、平家物語や太平記が専門ですが、幕末の歴史にも造詣の深い方でした。
ご自分で作成された徳川の系図をてにして説明される中西先生。
上着を脱いで、熱心に講義をされます。
持参された資料を写真に撮らせて貰いました。
安積平野と有りますが、郡山周辺の原野で耕作地に適さない場所となっています。
先生が言われた斗南藩(トナミ)は青森県の下北半島。あの斧の形をした半島です。昨年秋に東北を旅行した時、ガイドが旧会津藩士が入植したのだが、荒地でコメを作れないような土地だった。生活が困窮し、会津へ戻りたいと願い出たのだと解説してくれました。
あの時聞いたことと、今日の講義とが結びつく事が面白いです。
資料となった徳川の系の一部分です。
父親は松平義建ですが、異母兄弟です。
この系図に奥方が載ってないが、色々の所から嫁つい来ており面白いと言われました。
高須藩は尾張徳川家の養子供給もとのようなものでした。弱小藩で財政的に、困窮していて、財政支援したのが尾張藩でした。
有名な高須四兄弟の写真があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E7%BE%A9%E5%BB%BA#/media/File:Takasu_quartet.jpg
ウィッキ・ぺディアから引用しました。徳川林政史研究所蔵です。
この四兄弟は高須へ訪れたことは、一度も無かったのだそうです。それにこの写真代、長兄が持つとかで無く、割カンにしたのだそうです。
1つ特筆しておきたい事が有ります。
尾張藩では名古屋城のお庭拝見と言うのが有って、豪商や豪農が呼ばれて行った。お土産を貰って帰るのですが、藩に寄付をさせられたのだそうです。出てきたた名前が伊藤次郎左衛門です。今の松坂屋です。
先生は、平成25年11月30日に海津市で開かれた徳川御三家付家老サミットで実行委員会の会長を勤められた方です。今日の話の中でも付家老の成瀬家の名が出たりしました。
面白い講義を聞く事が出来ました。
各務原市教育委員会の西ライフデザインセンターが主催する講座に参加しました。これまでに、山歩きはやってきましたが、里山の自然とその楽しみ方を教えて貰えますので、参加しました。
今日は、その第1回であり、学習室での講義となりました。
初回と言うことで開講式からから始まりました。
そして、講師とサポーターの紹介。
受講生の自己紹介。
組織作りへと進んでいきました。
講義をする廣江充俊先生です。
先生は中学校で理科を教えていた人です。
受講生は20名です。
定年退職を向かえたので、山歩きを始めたい。
まだ、仕事をしているが休んできた。
色々の動機が語られました。
次回。5月13日から現地学習が始まります。