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やっとかめ文化祭 2024 まち歩き基本コース 熱田の水辺から探る! ~湊町・漁師町・宿場町~

2024年11月07日 23時21分49秒 | お出かけウオーキング

毎年、秋に名古屋で「やっとかめ文化祭」が開かれています。
この、やっとかめ文化祭に大きな3本の柱が有り、□まちなか芸披露。□旅するなごや学。□なごや和菓子で構成しています。
今回、参加したのは  □旅するなごや学の中の1コマを選びました。「熱田の水辺から探る! ~湊町・漁師町・宿場町~」というタイトルのもので、歩いて熱田地域の文化や歴史を学ぶものでした。
講師として、水辺とまちの入口ACT株式会社の代表である井村さんが案内役でした。
定員が15名となっていましたが、20名近くの人数では無かったか。ご夫婦での参加が2組。全体的には男性の数が多かったです。このような企画。男性の方が興味を持つのでしょう。



やっとかめ文化祭の冊子です。



主催者から渡された資料から引用させて貰いました。
今回、このコース。
熱田神宮の北西の交差点から逆時計回りに歩きました。




集合場所は地下鉄名城線「熱田神宮西」駅改札口となっていました。



熱田神宮西駅に設置して有った熱田神宮周辺の地図です。
この地図。上が南となっています。
これから歩くコースを解説するガイドの井村さんです。



今日のポイント。
熱田の水辺から探る!まちはどう変わった?です。
今日、回るコースの問題提起です。



左は講師の声が聴けるように事務局が用意したレシーバーです。
右は「やっとかめ文化祭」のハッピで、ハッピを着た井村さんの背中です。



熱田神宮西駅の4番出口から地上へ出てきました。
熱田神領字入図でこの地域の解説です。



先頭の講師に続いて歩きます。



細い道に入って行きます。



住宅地の細い道。
法持寺に向かって行きます。
地図を見ると、この道が最短で行けるのが判りました。



法持寺へ来ました。
唐破風の屋根。
門の両側の仁王様が迎えてくれます。



法持寺を表す法持寺白鳥陵
尾張名所図会の解説板が寺の前に設置して有りました。
城のような高い石垣。
景色の良い場所であり歌会が開かれたりしたそうです。
西に堀川。そして堀川を隔てて尾張藩の御船蔵が有ったと言う。
軍船だったのだろうか。
船蔵と言うとどんな船が入っていたのだろう。
想像が膨らみます。



法持寺の白い塀。
その横を歩きます。



御陵橋の上にきました。
北の方の眺めです。
先に見えるのが熱田記念橋。そして名古屋駅の高層ビル群です。
ここでも井村さんの解説が有りました。
堀川を挟んで尾張藩の御船蔵が有った。
船奉行が千賀氏。
キスマイの千賀くんが白鳥小学校出身だそうです。船奉行が千賀氏であり、関係あるか否か。
そんな事も話していました。



水天宮です。
水天宮は水と子供を守護し、水難除け、漁業、海運、農業、水商売、また安産、子授け、子育てについてのご利益が有り信仰されています。



水天宮由緒の石碑が立っていました。
安産の信仰と彫られています。



国道1号線に架かる歩道橋を渡ります。
この国道。片側5車線も有ります。



コンクリート製の船が有ります。



熱田魚市場跡に来ました。
魚問屋の庇を再現したものです。



熱田魚市場跡の説明看板です。
遠方から魚介が持ち込まれたと有ります。
傷んでしまうと言う事は無いのだろうか。



熱田魚市場跡の壁に掲げて有った解説板です。
熱田魚問屋モニュメント、熱田魚市場。そして名古屋に残る東海道。
魚問屋モニュメントの柱に手鉤の後が残っていると書かれています。



解説板の中に取り上げられていた熱田の濱夕上り魚市
当時、魚市場は朝夕、2回開いていたとか。
西の海に太陽沈む時刻だから夕市でしょう。

カニを紐に結んで下げている男。
タコに触れている男。
天秤棒で魚を担いでいる男も居ます。
凄い賑わい。
この絵も尾張名所図会。
ウォーリーを探せではないが、眺めていても面白い。










細い道を歩いています。




宮の渡し公園が近くなりました。
左側はボート販売業者です。
海が近いのでこう言う所も有りです。




光る海。
ボートが並んでいます。





熱田湊常夜燈です。
七里の渡しの石碑も有ります。



塀に七里渡船着(尾張名所図会)が掲示して有り、井村さんが解説しています。



塀に掲げて有る尾張名所図会の七里渡船着
右側の石垣のところは東浜御殿だろうか。
舟が発着する場所です。
賑わったと想像できます。



左は熱田荘。
大きな家屋のグループホーム「熱田荘」。表側に解説板が立っていますが、近くまで行かなかったです。
右は丹羽家住宅です。
唐破風屋根の入口で、工事中です。立派な「うだつ」です。工事が終了するのも近いのではなかろうか。
湊に面した2軒の家屋。
かつては旅籠として営業していたのではなかろうか。
丹羽家住宅は上の尾張名所図会に描かれています。
と言う事は、この家は江戸時代から続く家なのでしょう。



熱田湊の風景を撮影しています。



熱田湊の風景です。



西浜御殿跡へ来ました。
説明板が立っていました。



宮の浜縁に到着しました。
この場所は水辺とまちの入口ACT株式会社の活動拠点になっている所です。



屋内に入りました。
今日のポイント。
熱田の水辺から探る!まちはどう変わった?を示す井村さん。
そして、最初の提起を振返ります。
熱田と言う場所の特徴。
熱田神宮の門前町で、海に面しており漁師町。そして木曽からの木材の中継の町。東海道の七里の渡しの宿場町。色々の顔を持つ熱田です。


ガイドの井村さんが話したことのメモです。
熱田神宮  草薙の劔。  年間700万人来訪。
  日本武尊。 西方征伐。
貯木場  尾張藩。  木曽の山。
   徳川義直  春姫。
モノづくり愛知。
   熱田   乗り継ぎ。
東浜御殿  100×120   水辺の街づくり  西浜御殿。
  堀川  名古屋の始まり。   中島、中島川。  高低差が無い。

最期に
熱田魚市場の賑わい。七里の渡しの湊の賑わい。
これ等の繁栄が税収に結びついたのではなかろうか。
色々と知ることが出来ました。
ガイドに案内されて熱田の街を歩いて面白かったです。

大瀬子地区を歩いていて何箇所も秋葉神社が有りました。
中には秋葉神社が隣同士で並んでいる所も有りました。
その秋葉神社に魚問屋が寄進した「秋葉神社」の石柱が立っていました。
秋葉神社と言うと火の神様。魚問屋と秋葉神社。どんな関係なのだろう。
疑問が湧きました。

この「やっとかめ文化祭」。名古屋を知る好い機会です。
これからも続けて欲しいです。


昨年のやっとかめ文化祭です。
やっとかめ文化祭 2023 まち歩きなごや 本町通りに刻まれた名古屋発展の礎、城下町を行く - Kオジサンの気の向くまま
松村さんが話した言葉で、「想像力の無い人は楽しめない」と言う言葉が印象に残っています。

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