Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

第50回  那加三市民運動会

2017年10月08日 23時58分00秒 | 町内会・地域の行事

那加三市民運動会とは那加第三小学校区の市民運動会です。各務原市那加には那加第1小学校、那加第2小学校、那加第3小学校と尾崎小学校が有ります。開校した順に第1小、第2小、第3小となっています。そんな小学校。かつては第1小は農村地域の学校。第2小はサラリーマン世帯の子の学校。川崎航空の社員子弟が多い地域でした。そして第3小は商業地域の学校と言う特色が有りましたが、それも今では崩れました。大きな郊外型の店舗が進出してきて商店街に活気が無くなりました。
今日、校区あげての運動会が開かれました。老いも若きも集う市民運動会です。前日は雨模様でしたが、盛大に開催されました。


運動会のプログラムです。
このプログラムを見て、「へー」と思う事が有りました。那加第三小学校区はJR那加駅の周りの校区なのです。本町はJR那加駅前の町内です。それに、栄町、東那加町、西那加町は旧中山道の通りの町内なのです。いわゆる商店街の町でした。
町内対抗で紅白玉入れとリレーが行われますが、人が確保できなくて参加できない。そんな状況に陥っているのだと思います。このような状況。小学校区でもドーナツ化現象が起きています。

テントの設営

前日は雨でした。
校庭がぬかるんでいます。
そんな状況でも役員が力を合わせテントを張りました。




今は町内会の事を自治会と呼んでいますが、かつては広報会と称していました。
テントが張れましたので、次は指定の場所に運んで立てます。


開会式

開会式です。
体育委員が町内名の書かれたプラカードを立てて居ます。
そこに整列します。




町内の列。
揃ったら、腰を下ろしました。





和太鼓「欅」のグループ。
第50回と言う事で花を添えてくれました。
若い人たちのグループです。




和太鼓「欅」をアップで。
可愛いお嬢ちゃんも加わっています。

来賓あいさつ

来賓あいさつで市長も訪れました。
他の場所も廻らなくてはならないと言って、挨拶して次のところに向かいました。


ふれあい紅白玉いれ

お年寄りと幼児の玉入れです。
玉を入れて良いのは幼児だけとなっており、お年寄りは玉を拾って幼児に渡していました。


パン食い競争

パン食い競争は運動会で最も盛り上がる種目の1つと言えるでしょう。
パン食い競争のスタートです。
選手が次々とスタートしていました。



パンを食う場所へ来ました。
こちらはパンを食う場面です。




大きな口を開けてパンにかぶりつきます。




パン食い競争のゴールです。


一発逆転町内対抗玉入れ

これから一発逆転町内対抗玉入れが始まります。
ミンナが応援します。




開始前です。
スターターのピストルで一斉に玉入れを始めます。




ミンナ精一杯、頑張って居ます。
一発逆転となっています。途中で青玉が4個、投入されます。
この青玉。得点が5点となっています。それで青玉が入ると、俄然と有利となります。




玉入れが終わって、カウントです。
私の町内が一番高得点でした。




拍手喝采の応援席です。

予選と決勝を交えて構成しました。
一発逆転町内対抗玉入れは予選と決勝が有りました。私の町内は予選でトップの成績であり、決勝へ進みました。そして決勝では優勝しました。






私の町内のチームです。
優勝して記念撮影です。


感想
好天の秋空の下。市民運動会が開かれました。
このように盛会に開かれましたが、世話された役員が大変だったろうと思います。
私の町内。町内対抗リレーと一発逆転町内対抗玉入れは優勝でした。このような事は今後は無いでしょう。私の町内も高齢化となり、人を集めるのが無理だから。

市民運動会が50回迎えました。50回と言う年輪を刻みました。良く、続いたなとと思います。こう言うのも関係者の努力の積み重ねだと思います。
運動会で地域の人と顔を合わせました。日頃顔を合わせない人と顔を合わす機会でも有ります。校区の運動会ですから知っている人が多く居ます。久し振りに見て、老けたなと思いました。と言う事は自分も老けた証拠です。
中学校の同級生Tクンと久し振りに会いました。このような機会。こう言うのも市民運動会の効能なのでしょう。


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第49回  各務原市 美術展

2017年10月06日 21時19分35秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

各務原市美術展が、8日(日)まで開催されています。
今日、行って来ました。


会錠の入口。
左側には審査員の作品。委嘱の作品が展示して有ります。



こちらは日本画の作品です。



写真の作品です。


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今夜は中秋の名月

2017年10月04日 20時45分29秒 | 日記

昼間、山でススキとハギを採って来ました。そして、カミさんがサトイモを煮てくれました。
今日は中秋の名月です。お月さんにお供えしました。


お月さんにお供えしました。




家の外に出て東を望みました。




月をズームで。





さらに、トリミング゜して見ました。

 

 



 

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デジカメサークル  第7回 写真展

2017年10月03日 22時09分44秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

各務原市中央図書館の3階。展示室でデジカメサークルの「第7回 写真展」が、今日から開催となりました。



デジカメサークル  第7回 写真展の案内ハガキです。





こちらは展示室Aです。





作品の評価を話しているのでしょうか。
談笑しています。



デジカメサークル  第7回 写真展へ行って来ました。存じあげている方の作品が並んでいました。
それに、会場で知っている人にお会いしました。
アレアレと言う感じでした。
力作が並んでいました。

コメント (4)
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おろしや国 酔夢譚   図書館でDVDを借りてきて、見ました。

2017年10月02日 22時52分48秒 | 映画

今年、6月にロシアのモスクワとサントペテルブルグへ行って来ました。その旅行で名前の出て来た人物が大黒屋光太夫です。大黒屋光太夫の名は前々から知っていましたが、旅行でその名が出てきて、どのような人物だったのか、興味が沸きました。
井上 靖の原作で「おろしや国 酔夢譚」が出版されているのは知っていました。それに、映画化もされていました。映画化されたものから、DVDも制作されていました。
隣市の一宮市の中央図書館でDVDを所蔵していました。
9月23日に名古屋へ行った帰り、図書館に寄って図書カードを作成して貰い、予約をしてきました。そして月曜日に予約のDVDが戻ってきたと連絡が有り、金曜日に借りに行って来ました。
そして、今日。自宅でDVDを見ました。


DVDケースのカバーです。







「おろしや国 酔夢譚」のタイトルです。




漂流したアリューシャンから、小船を建造し、オホーツク市に渡りました。
帰国したいと申し出ても、オホーツクではラチが開きません。
それで、イルクーツクへ向かいました。シベリヤ総督の交代が有ったりして、願いは聞き入れられませんでした。
それならばとロシアの首都。サントペテルブルグへ雪原をトナカイや馬を乗り継いで、向かいました。




エカテリーナ2世の登場シーンです。
白い4頭立ての馬車に乗って現れました。

後ろの建物。
エルミタージュ美術館です。




光太夫が馬車でエカテリーナ宮殿へ入っていくシーンです。




馬車がエカテリーナ宮殿に着きました。




光太夫がエカテリーナ2世に拝謁するため、通されました部屋。
この物語のマックスの場面となっていきます。




緒方拳が演じる大黒屋光太夫。




エカテリーナ宮殿の大広間。
エカテリーナ2世が最奥に控えています。



光太夫とラックスマン。




光太夫がエカテリーナ2世の前に傅き、進み出ます。




マリナ・ヴラディが扮するエカテリーナ2世。
私は見ていませんが、マリナ・ヴラディが主演した映画で、コメディとなっていますが、「女王蜂」と言うイタリア映画がありました。
どんな映画だったのだろうか。





ロシアからの帰国を許され日本へ向かいます。
それでも、日本に着いて直ぐに上陸を許された訳では有りませんでした。
鎖国をしていた時代です。外国から戻って来たのですが、その事が犯罪者と見なされたのです。映画では長い歳月を待たされたと印象付けるためヒゲになっていました。
上陸を許されてからでも、罪人と同様の扱いを受け唐丸籠で江戸へ護送されました。




光太夫の日記。
幕府役人に差し出しました。





光太夫がロシア船で日本へ送ってこられてから、幕府の役人に差し出したものが有ります。
9年9ヶ月に亘って滞在した「ろしあでの日記」です。
この日記を基に桂川甫周がまとめ、「北槎聞略」を表したのだと思います。
映画の中で、幕府役人に差し出すシーンが有りましたが、8月に鈴鹿の光太夫記念館へ行った時、北槎聞略を知りました。それを無しにを見ていたならば、何にも気に留めず過ぎたのだとも思います。
改めて、このシーンが「おろしあ国酔夢譚」の根拠となったポイントの場面であると思いました。


ストーリー、そして感想。
伊勢の白子港を出て嵐に遭い、遭難して神昌丸が漂流しました。たどり着いたのがアリューシャン列島のアムチトカ島です。日本に帰りたいと言う気持ちがつのりました。それで、小船を建造して海を渡りオホーツク市に着きました。でも、ここでは帰国させれないとのことで、それならばとイルクーツク市に向かいました。ここでも願いが聞き入れられませんでした。ここで地球儀を目にしました。江戸と京の距離を元に、イルクーツクからサンクトペテルブルグまでの距離が、その何倍もの長さである事を感じ取りました。
最後の手段で、首都で有るサントペテルブルグへ雪原を横断して向かいました。
エカテリーナ宮殿の大広間で光太夫がエカテリーナ2世の前に進み出て、帰国を嘆願します。この映画の最高潮の場面です。エカテリーナ2世が日本の唄を唄ってみよと言われ、光太夫は義太夫を唱えました。
帰国を許されロシアの船で日本へ送られました。根室に来ても直ぐ上陸は許されませんでした。ここまで一緒してきた小市(川谷拓三)亡くなってしまいました。
この前にも多くの人が亡くなりました。白子を出たときは17人でした。最終的に江戸へ着けたのは光太夫と磯吉だけになりました。
漂着してオホーツクに向かう過程、そしてイルクーツクに向かう過程。次々と仲間が亡くなっていきました。イルクーツクに滞在していて庄蔵(西田敏行)と新蔵(沖田浩之)は現地の女性と一緒に残る決心をしました。
約10年に及ぶ長期間の出来事です。凍傷から庄蔵が右足を切断するシーン。次々と亡くなっていく仲間たち。
光太夫とラックスマンの友情。色々の場面を描いていました。
原作者。井上靖が、このようにストリー立てて描けたのは、蘭学者・桂川甫周の編さんした「北槎聞略」が有ったからです。光太夫が帰国を許され上陸する際に自筆の日記を差し出すシーンがありました。井上靖が北槎聞略を読み、ストリーを組み立てたのだと思います。
映画の最終場面では、将軍の目にかかるのを許されて対面したと、文字で表示していました。この映画。1992年の制作となっています。今日のようにCGの発達していない時代の物です。難破した神昌丸やロシアの帆船。実物の船を使ったと思います。凄いと思いました。


映画の中でエカテリーナ宮殿の外観。それに大広間が出てきました。旅して実物を見てきて、映画でその場所が出てくる。あの時の印象を呼び戻す事が出来ました。



8月6日に鈴鹿市の大黒屋光太夫記念館へ行って来ました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/21d702198df0d41a1ea8edc4cb321e58三重県総合博物館で「みんなの のりもの 大集合」を見たついでに寄ってきたのです。
ロシア旅行に行ってきて、大黒屋光太夫に興味を持ちました。それで、記念館に行ってきました。そして図書館から「おろしや国酔夢譚」のDVDを借りてきました。
旅を単に終わらせるのでなく、関連付けて考察できました。
その事が面白かったです。
隣の県の一宮市。そこの図書館からDVDを借りました。他市の市民にも貸出して貰えました。有り難いと思いました。

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積水ハウスオーナー感謝祭  南壽 あさ子(なす あさこ)コンサート

2017年10月01日 23時44分18秒 | コンサート

誘いを受けて、コンサートに行って来ました。アーチストは南壽 あさ子さんと言う人です。セキスイハウスのCMソングを唄っているシンガーです。


会場の不二羽島文化センターです。




積水ハウスの受付です。




スカイホールの中です。
時間が流れ、沢山の人となりました。




今日のチラシです。
コンサートとお楽しみ抽選会です。




ステージ上のグランドピアノ。
ここからは撮影を控えました。




お楽しみ抽選会です。




コンサートの終了後、サイン会とCDの販売会が有りました。



正直、南壽 あさ子さんと言う人を知りませんでした。
唄を聞いてみて、とっても、透き通った声の人だと思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=3JthGDXIhDQ

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