
今回の旅の目的の一つ、瑠璃光院は電車やバスを乗り継いで、少し山あいに入った八瀬というところにある。

春と秋に期間を絞って公開しているのだが、最近とても人気が出ていて、かなり混雑していると聞いていた。
なので、8時に宿を出て一日乗車券を手に入れて、バスや電車を乗り継いで、9時過ぎに門前に辿り着いた。
開門は10時。それまで列を作って待つ。
開門は10時。それまで列を作って待つ。
10月1日に秋の公開が始まったばかりで、紅葉にはまだまだ早い。ってことは紅葉は見られなくても、ちょっと空いてるかも。と望みを抱いて、開門を待った。
私のところで30人弱だったかな。


拝観料は2,000円。ちょっと高いです。
門のところでお金を払って、庭を進んで、坂を上って、橋を渡ったら建物が見えてきた。

履物を脱いで、順路に沿って二階に上がる。
座敷の角に、漆を磨き上げた卓が二つ置いてある。
その二辺にカメラやスマホを置くと、庭の木々が卓に映り、(私のような素人でも)見事な写真が撮れる、という趣向になっている。
何枚か撮ったら、場所を次の方に譲っていく。

私が撮っても、こんな感じ。
とっても自己満足であーる(^^)
水面に映っているような感じだが、卓なら水面と違い天候や風の強さなどの自然条件を選ばない。いつでも誰でも、それなりにきれいな写真が撮れる。
考えた人は頭がいい。
私なんか、まんまとハマっている^^;

寺の若い人が、サービスで写真を撮ってくれた。「向き合って」と言われて姉妹二人向き合っていたら、笑えてきてしまったところの一枚です。

寺の若い人が、サービスで写真を撮ってくれた。「向き合って」と言われて姉妹二人向き合っていたら、笑えてきてしまったところの一枚です。
ちょっと言いにくい話なんだけど、アジア系外国人のカップルやグループが、一人ずつずっとポーズを変えながら居座り続ける。みんな待ってるのに、意に関せず。知らん顔で、庭を見たり、足を投げ出したり、少しずつポーズを変えて(そんなに変わってるようには見えないけど)、ずーーーーっといるんだよ(怒)
みんな待ってるのに。
写真撮ってもいいけど、みんなの場所だからそこは譲り合わなきゃ、と私は思う。
ちょっとびっくりした。
いい場所は、みんなそんな感じだった。
あれはいかんよね。私はそう思う。

一階の座敷に降りると、同じ場所でも苔や水辺が見えて雰囲気が違う。
実はこの写真も、ポーズ取ってる横に何とか入って撮ったもの。
きれいな景色より、そんな印象の方が強く残ってしまっているのは残念だ。


建物の一角には、釜風呂の遺構が再現したものも展示してあった。これって岩盤浴式なのかな。それとも湯気の出るサウナ式なのかな。
古代の人もきっとこの釜風呂で健康を取り戻したことだろう。

窓の外の緑を眺めながら、写経にも挑戦。
写経というものを初めてやってみた。
手本には意味も書いてあり、それを考えながら漢字を書くだけでも気持ちが落ち着く。中々いいものだ。このボールペンと、写経セットも拝観料に入っている。
書いたお経の最後に願い事を書いて、寺に納める。何となくありがたい感じ。
その側には朱印も置いてある。これも拝観料に含まれていると思われる。
筆ペンを使って、自分で日にちを書いて、判子を押して完成。これはちょっとフクザツな気持ち。自分の下手な字では、ありがたい感じは少ないよなぁ。
まあ、いろいろとエンターテイメント性のある寺だった。現代的というか。
でも、仏教って、巨大な大仏作ったり、清水の舞台のような見どころを作ったり、どの時代も人の気持ちを惹きつけるような仕組みを工夫しているところがあるのかな。

京都バスというのに乗って、出町柳へ。そして、あの店へ!(つづく)(たぶん)