自宅で行われた音楽葬には、学生時代の仲間が集まり、男声合唱が何曲か演奏された。
亡くなった本人が何より愛した男声合唱。
本人も歌っているような感覚を、そこにいた誰もが抱いていた。
私も葬儀の最初に「アメージング・グレース」をアカペラで歌わせていただいた。
「レクイエム」でいう「入祭唱」
「これから葬儀が始まりますよ」という合図の意味のつもりで、心を込めて歌った。
故人の妻には姉がいて、彼女もまた、私も夫も若い頃から知る知人なのだが、実は医療を仕事にしている。
男性は我慢強い人が多い。
医者嫌い。
何でもないという。
我が夫もそうだし、同級生だった故人もまたそうだった。
通常ではない状態でも
「何でもない」
「医者は行かない」
「救急車は呼ばなくていい」
朝からの様子を聞いて、医療者である妻の姉は言った。
「朝の状態で救急車を呼んでいたら、命は繋がっていた」
「その時点で適切な検査をすれば、血管の詰まっている場所が分かり、通すことができた」
「少なくとも、その日に命をなくすことはなかった」
「男性は嫌だ、何でもないという人が多い。
でもそんな状態なら、嫌がってもどうでも、
躊躇なく救急車を呼ぶ」
「その時点で呼ばなかった事が、本当に悔やまれる」
躊躇なく救急車を呼ぶ。
故人から、大事なメッセージを受け取った。
でも、そうは言ってもね。
亡くなるには若過ぎるよ。
お読みくださったみなさん。
大切な人が大変な状態と思われたら、
本人がどう言っても、
躊躇なく救急車を呼んでください。
どうか、そうしてください。
実感がこもったコメントです。
リタイア後のお幸せな日々を拝見できるのは、その日の躊躇ないご判断があったから。
本当に良かったです。
そうです。
躊躇なく救急車に乗り今を生きてます。
あの日サッカーワールドカップの試合日で道路が混み数時間後では、今のリタイア後の日々は無かったと思います。
先ず掛かり付け医を見つけ気軽に体調変化に対応した方が良いです。