太陽的な感覚を持ち、幾何学的に考えるシュタイ ナー
さて、それではシュタイナーの番です。シュタイナーに入る前に、前置きとして三つのタイプを挙げたのは、シュタイナーのあり方をよく理解するためです。
シュタイナーは1861年2月25日、オーストリア・ハンガリー帝国のクラリィエヴィツァ(現在クロアチア)にオーストリア南部鉄道の鉄道員の長男として生まれました。彼は科学的な考え方をとても大切にした人です。少年時代から幾何学が好きで、8歳の時、先生の部屋から幾何の本を持ち出して自習するほどでした。彼の著作や講演集を読んでみると、幾何学的な捉え方が、あちこちに見うけられます。彼が書き残した図形も沢山あります。その点、少年時代数学が不得意だったC・G・ユングとは対照的です。
ユングの場合、何かを述べても、言葉にならないものがいつも、うごめいている感じです。うまく整理しきれないものがいつも残っているふうです。まさに無意識の闇が彼の言葉の周囲に広がっています。しかしシュタイナーは自分の言いたいことをすべて言葉に表そうとします。言いたいことを言葉の形に切り揃えて、それを幾何学的に再構築して示そうとします。良い意味でも悪い意味でも、行間に何かを残すことはしません。理論で切り揃えるという点では、シュタイナーは現実家タイプに近いとさえいえます。
彼は大学もウィーン工科大学を選びました。そのころの彼が化学を専攻していた友人とよく論争したというエピソードが自伝の『わが人生の歩み』の第四章で紹介されています。それによると、この友人は自然科学的な見方に染まっていたので、シュタイナーが霊的な見方を述べる時には唯物論の立場から激しく反論したそうです。しかし次が大切なところなのですが、二人は、「日頃、物を見、考えるさいに全く同じような感じ方をしていることが沢山あった」とシュタイナーは述べているのです。彼は、この唯物論者の友人だけでなく、やはり唯物的な二元論者のエルンスト・ヘッケルにも親しみを感じています。そして、文学的飛躍に満ちたルー・アンドレアス・ザロメのニーチェ論や、アナトール・フランスのデフォルメされた歴史小説を嫌う彼は、屈折した文学的空想力の持ち主ではなくて、素朴な現実家に近い感覚を持っているといえるのです。それは太陽的な感覚ともいえます。明るくて暖かく、すべてを照らし出して闇を残さない姿勢です。その点、おぼろ月で象徴される月的な感覚を持つユングとは正反対です。