悟りの段階 -4純粋な心-3. 一来向 (イチライコウ)一来向 (いちらいこう) とは、須陀洹 (預流) から、斯陀含 (一来) へと向かっている者です。

一来 (いちらい、巴: sakadāgāmin サカダーガーミン) は、仏教において、一度 (sakRd) 天界に生れ、再び人間界に戻って悟り (さとり) に入る者のことで、四向四果 (しこうしか) の1つです。

根本仏教では、有身見 (うしんけん)・戒禁取見 (かいごんじゅけん)・疑 (ぎ) の三結を断ち、貪 (とん)・瞋 (じん)・癡 (ち) の三毒が薄くなった者です。

◎ 一来 – 一回人と天の間を往来して悟りに至る位。斯陀含 (シダゴン) を指す。


    • 「私がいる」という最大の邪見が消えて、預流果 (ヨルカ) になりました。



一来向 (イチライコウ) とは、ジニャーニの知識を理解しようとしているもの。
ジニャーニの知識を理解しようとしているものとは、自己同一化を否定しているもの。

「倶舎論 (ぐしゃろん)」では、一来向は、欲界の修惑 (しゅわく、情的煩悩) の前三品または、四品を断じた者とし、人界の家と天界の家とを往復するから「家家」(けけ) と呼ぶ。
一来果は、欲界の前六品を断じた位である。

このような方法で、無意識にある前提や思い込み (執着や険悪の感情や考え) を、書き換えます。この方法では、小さな成功体験を繰り返すことで、自信になり確信を持つようになります。









五蘊皆空 (ごうんかいくう) です




 般若心経は、「空 (くう)」を解いた経典です。この経典に、五蘊皆空 (ごうんかいくう) とあります。


一来 (いちらい) 一来果は、三毒 (貪・瞋・癡) が薄まっている。

預流果 (よるか) に達してから、「私がいない、何もない」経験をすると、一来果 (いちらいか) になります。一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は消えています。そして、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。