北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

「1956」-14歳の心象風景④

2009-07-08 10:38:56 | Weblog

<作文>

          私の兄弟
                    
(A・M)

 私のきょうだいは10人きょうだいです。姉妹は、私を入れて4人です。ねえさんが2人、いもうとが1人です。一番上のねえさんはお嫁さんに行きました。二番のねえさんは、夏、びょうほ(苗圃)に働きに行き、冬は家であみものをしています。

いもうとは、来年から小学校です。家で一番末っ子なので、あまえたり、おしゃれが大好きです。母が寒いといって、ふくをたくさんきせると、おこるので母はあきれて、わらいだすのです。

 男で一番ちいさい弟は、今年5才になります。きかなくて母におこられると、まねをするので母はあきれて、わらいだすのです。一番上の兄さんにそっくりなので近所の人たちは、あそびに行くと「Tさん」(兄さんの名)とよぶのです。

だから「ぼくはお兄ちゃんににている」と自分からいうのです。「ちいさくても、これだけおとなになるんだね」と、おばさんたちはわらうのです。

         ☆         ☆

私たちが子どもの頃は、兄弟姉妹が多いのは当たり前だった。私の場合も、姉2人、兄、弟、妹の6人兄弟姉妹だった。遊ぶときは、クラスの仲間と遊ぶよりも、2歳上の兄の後をついてまわることの方が多かった。

 ヤマベ釣り、山ブドウ・コクワ採り、スキー・野球など、どちらかというとアウトドアは、あまり得意ではなかったので、時には兄の足手まといとなった。だから、兄は私に気づかれないように、こっそりと遊びに出かけることがしばしばだった。

そんな日常だったので、兄の友達とも仲良くなり、ちょっと大人になったような気分で、生意気な口をきいていたらしい。当時流行っていた模型のグライダーづくりを教えてくれたのも、すぐ隣の「お兄さん」だったし、メンコの相手をしてくれたのも向かいの「お兄さん」だった。

 今は、みんなふるさとを離れてしまったが、会えば「○○さん」「○○ちゃん」と呼び合い、遠い幼い日の思い出に花を咲かせることになる。