北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

2015GW「にっぽん丸」日本一周クルーズ」➉大湊no.2

2016-01-31 15:16:03 | Weblog

5月3日、大湊港でのオプション の続き。
中身の濃い一日だった。


ミユウジアム前に展示されている錨。この建物の名前・アルサスは「アルカディア・サイ・シップ
「理想郷・佐井村・船」を意味する言葉を組み合わせたもの。
そこで、アルサスという船がここに留まるために錨を設置した、
建物の大きさからいって「さんふらわあ
号」(役12000t)の錨と同じ位の大きさが
良いのではということで、それに合わせという。

元禄9年(1696年)から伝わる同村の箭根森八幡宮例大祭で使われる山車の模型。


縄文時代の土器、矢じりなども展示されている。

北前船により伝えられたアイヌ様式の蝦夷錦や地図なども。


蝦夷錦と呼ばれる中国(清朝)の古官服の絹製品。


「こゝ本州最北端の地」と書かれている。


さすが、まぐろ一本釣りのまち・大間だ。

弁天島。晴れた日には、北海道の山並みが見える。

石川啄木の歌碑。いずれも「一握の砂」から。
(右)「大海にむかひて 七八(ななやうか) 泣きなむとすと家を井でにき
(中)「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
       通常は、啄木の詩作の道・函館の大森海岸で詠んだと言われるが、
       弁天島のことを詠んだという節もある。
(左)「大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰へり来(きた)れり

日本海軍特務艦豊国丸戦死者忠霊碑

碑文
昭和20年7月14日 午後2時36分 米軍艦載機と交戦し 激闘のすえ乗員135名

の勇士艦と共にこの海に眠る

英霊に捧ぐ
海を征き 海に散りたる つわものゝ 御霊よ永遠にあらかにあれ

昭和五52年7月14日 豊国丸遺族会 戦友会 第四監視艇隊関係者 建立

特務艦豊国丸
漁船「幸丸」が襲撃された同じ7月14日、商船を改造した特務艦「豊国丸」は、

米軍艦載機の執拗な襲撃を受け大間崎の北西約3kmで沈没。乗組員147人中
135人が戦死。船は水深160mの海底に今も沈んでいるという。

近くには、屋台村がある。


大湊の岸壁には、海産物などの名産品などの出店が。

下北最大のお祭り「田名部祭」、むつ市小川町の山車。

大湊でも盛大な見送りを受け、感激!

夜は、船内で、先日聴いた津軽三味線の「高橋孝・民謡団」のコンサート、
入船亭扇治の落語を聞いて大満足の一日だった。

 

 



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