【生物地理の不思議シリーズ・6】
“桜”は、いつごろから、どのような経緯で、日本の文化の象徴となったのか?
~実は、その歴史は、意外に新しいのです~
2018.3.22 記(オリジナル原稿) 2018.4.1掲載(「現代ビジネス」)
中国人にとっての「日本櫻花」
今年も、サクラの季節がやってきました。東京付近では、3月20日過ぎと、例年よりやや早めの開花が見込まれていたようなのですが、開花直前になって突然の春の雪に見舞われたことから、結局は例年とさほど変わらない開花時期に落ち着くようです。
近年は、桜を見るため、この時期になると大量の中国人が押しかけてきます。中国に於ける日本のサクラの人気は、それはもう凄まじいものです。
筆者は、日本と中国を行き来する生活をしています。中国人は、筆者が日本人だと分かると、真っ先に(ほとんど挨拶代わりに)サクラの話題を投げかけてきます。
「ルーベン(日本)・インファー(櫻花)・ヘン(とても)・ピャオリャン!(美しい)」
春節が終わる頃には、日本のサクラの話題で持ち切りになります。最近の中国人は、もしかすると大抵の日本人よりも、日本のサクラに詳しいかも知れません。ひと月以上も前から、開花時期の予想も頻繁に行われています。
日本に対してはネガティブ批判が多い中国ですが、ことサクラになると全面的な支持です。不思議に思うのは、何でも模倣する中国が、なぜかサクラだけは模倣しないのだろうということ。その気になれば、どこにでもいくらでも植えることは出来るのです。あえてそれをしない(積極的に力を注がない)理由は、「日本」と「サクラ」がセットになっている、という背景があります。
上に「桜花」と書いたけれど、正確には「日本櫻花」でセットの語になります。単に「桜花」だと、中国では食用のために栽培する「桜桃」(サクランボ)の花のことかも知れませんし、あるいは、正確には日本より遥かに種数の多い中国産野生サクラを指すのかも知れません。
筆者は、去年たまたまサクラの季節に中国から日本に帰って来て、真夜中に羽田空港に着きました。乗客は、ほぼ全員が中国人?どうやら日本人は僕一人のようです。
到着ゲート出たところで驚愕しました。ベンチや飲食店の周りがサクラのデコレーションで埋め尽くされて
いるのです。花を満載した本物の木を、水を湛えた大きな甕に差して、見事な景観を作っています。
日本人が特に喜ぶわけでもないと思うので、明らかに外国人、特に中国人向け、流行りの「忖度」ですね。
まあ、来日したばかりの外国人に喜んで貰おうとする気持ちは、良いことではあると思います。
そんなわけで、多くの中国人にとっては、日本に行って桜を見るのが人生の目標の一つとなっている、と言っても、決して大袈裟ではないように思われます。
私たちが思う以上に、「日本イコール桜」という概念が定着しています。中国だけでなく世界の人々(ルーツが自国であると主張する韓国だけは別、笑)の共通認識として、サクラが「日本の象徴」となっているのでしょう。
サクラは日本の「国花」ではない
したがって、読者の方々の中には、漠然と「サクラ」を「日本の国花」と思われている方がいるかも知れません。でも、「桜」は日本の国花ではありません。日本の国花は「菊」です(「国花」の設定には法的な拘束力がないので、最近は「桜」も共に「国花」として扱う傾向にありますが)。
サクラとキクは、春の花と秋の花、樹木と草本、すぐに散る花と長持ちする花、と何かにつけて対照的です。
実は、他にも大きな違いがあります。ともに、日本を代表する文化の象徴ではあるのですが、そこに至った「経緯」が異なるのです。そのことを説明するために、まず「菊」についての話から始めます。
菊は「日本の国花」ですが、「日本生まれ」ではありません。主に中国の北部や朝鮮半島に自生するチョウセンノギクと、中国東部などに自生するハイシマカンギクが、中国のどこかで自然(あるいは人為的に)交配して作出された、「中国生まれ」の植物です。
チョウセンノギクもハイシマカンギクも、同じ種(の別変種)が、日本にも在来分布しています。
ということは、日本でも自前で「菊」を作出しようと思えば出来たのです。でも実際は、自分たちで手がけることはせず、中国で作出されたものを導入し、やがて「日本の国花」まで出世した、というわけです。
ゼロからのスタートではなく、出来上がったものを外部から取り入れて繁栄に結び付けるのが上手な、日本人の面目躍如たるところです(同じ「模倣」でも中国のそれとはクオリティが違う、というところがミソ)。
キクに限らず、私たちの身近にある有用植物(野菜や果物や園芸植物)も、おおむねスタートは国外からの導入です。興味深いのは、キク同様に、その多くが日本にも同じ(あるいはごく血縁の近い)種が在来分布しているのにも関わらず、素材として利用しなかった、ということ。
でも、僅かではありますが、例外もあります。すなわち日本に在来分布する素材をもとに作出された有用植物。その数少ない例のひとつが「アジサイ」です。園芸植物としてのアジサイの母集団は、伊豆諸島に分布しています。
もっとも、アジサイの場合、素材は日本産であっても、作られたのはやはり国外。古い時代に中国に渡ったあと、近年になってヨーロッパに伝えられて、そこで園芸植物としての改良が成され、日本に里帰りした、というわけです。
そして、非常に稀な例として、正真正銘、日本に在来分布する「素材」を基に、日本において作出され、日本国内に広く普及した植物が、「サクラ」です。
日本の「サクラ」は“何種”ある?
「サクラ」という名の種はありません。「サクラ」は、通常、サクラ属(サクラ属を広義に捉えた場合はサクラ亜属)の総称です。
実は、サクラ属の野生種(広義でも狭義でも)は、日本よりも中国もほうが、ずっと多いのです。なのに、中国では園芸植物としては利用されていません。多くの種は山の中に、どちらかと言えば慎ましく咲いていて、華やかな存在ではありません。
日本には一体何種の「櫻」があるのでしょうか? これは結構難しい問いです。2つの意味で、、、。
まず、生物学的な「種」と、一般にいう「種類」は、全く意味が異なります。前者は人間の思惑には全く関りのない、純粋に「植物」の側から見た分類です。
一方、後者はあくまで人間の判断(都合)による分類で、植物自体のアイデンティティには、ほとんど関与していません。「自然科学」というよりも、どちらかと言えば「商業」とか「美術」に近い分野、と捉えても良いでしょう。
「生物学的な分類」も、研究者によって結果が異なります。ある研究者が、種の下の単位の亜種とか変種とかに置いた分類群を、別の研究者が独立の種と見なしたりたりすることは、ごく普通にあることです。
「研究者によって」と書きましたが、正確には「研究機関」によって(あるいは「人脈」によって)異なる、と言った方が良いでしょう。ぶっちゃけて言うと、その時点で最も権威のある研究者の意見が、定説となるわけです。
現時点では、日本の野性サクラは「9種」とする見解が多いようですね。筆者には、全くしがらみがないので(笑)、勝手なことを言えます。最も統合的な見解に沿って、一応5種と考えています(別段、全くこだわってはいません)。
その5種は、ヤマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ、マメザクラ、および系統のやや異なるミヤマザクラです。
通常は、ヤマザクラを、ヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラの4種に、マメザクラは、マメザクラとタカネザクラに分けられます。これで9種ですね。
でも、研究者によっては、もっと多くに分割したりします。例えば、チョウジザクラを、チョウジザクラとオクチョウジザクラに、マメザクラを、マメザクラ、キンキマメザクラ、イシヅチザクラなど数種に、
タカネザクラを、本州の高山に生えるタカネザクラと北海道の山のチシマザクラ(ともに開花期は7月)に、それぞれ分割したりします。
それでも、多く見積もっても15種にも達しないでしょう。中国産は45種(中国植物志)とされています(日本には自生しないスモモやウメやモモのグループを含めると100種を超す)が、研究が進むにつれて、増えていく可能性があります(研究自体のクオリティーに問題がある、と言えば身も蓋もないのですが)。
ちなみに、沖縄ではポピュラーな櫻として知られているカンヒザクラは、国外からの移入種です。石垣島の非常に狭い範囲(沖縄県最高峰の於茂登岳北斜面)に生える個体が、在来自生、という説もありますが、結論は出ていません。カンヒザクラはアジアの暖地に広く分布するので、どこからかの移入であっても、古くから石垣島に自生していたとしても、ともに不思議ではありません。
開花宣言の時期、というのも混同があります。沖縄での開花時期は、ソメイヨシノではなくカンヒザクラを対象としているようです。沖縄にもソメイヨシノは植えられていますが、圧倒的に数が多いのはカンヒザクラです。両者は全く別系統の種で、性質も著しく違います。「沖縄が温かいから早く開花する」のではなく、「もともと開花時期が早い」のです。カンヒザクラは東京付近にも普通に植えられていて 2月末から3月前半に花盛りとなります。多くの人々は、サクラだとは知らずに、モモの一種とでも思っているのでしょう。
ちなみに、人為的に作成された(上記5種のうちミヤマザクラを除いては互いに交配が可能)品種や、野生であっても見かけ上の僅かな違いに注目して愛好家が名を付けた品種は、いったいどれほどあるのでしょうか? 想像もつきません(500品種とも1000品種とも言われています、なお、シダレザクラとかヤエザクラは、共通の特徴を持つ品種群の総称)。
属の範囲も、研究者ごとに見解が異なります。サクラ属の場合、広義には「梅」や「桃」も含まれます。そして中国では、サクラ(桜花/桜桃)よりも、スモモ(李子)やアンズ(杏子)やモモ(桃子)のほうが圧倒的にポピュラーです。「櫻桃」の呼び名からも分かるように、中国の一般の人々にとっての(野生の)サクラは、桃の一種のように思われているのかも知れません。実際、サクラと、モモやアンズやスモモの花はそっくりです。
スモモやアンズやモモは、狭義にはそれぞれ独立の属に属します(でも花は、見た目には野生種のサクラとほとんど変わらない)。ヨーロッパなどにも同じ仲間が分布し、スモモ(亜)属はプルーン、モモ(亜)属はアーモンド(食用とする部分がモモと異なる)が主流です。
ウメ(亜)属はアジアの植物で、中国などでは一方の代表種アンズのほうが著名です。一般に「ウメ」と呼ばれている、公園や果樹園に植えられている樹木の中には、(ともに中国に野生する)ウメとアンズのハイブリッドも多く混ざっています。
ちなみに、サクラ(亜)属のヨーロッパにおける対応種は、いわゆる“チェリー”(セイヨウミザクラ)、すなわち「サクランボ」の花です。中国にも独自のサクランボ(桜桃・シナノミザクラ)の品種が数多くあります。以上のことからも分かるように、(狭義でも広義でも)サクラ属は、花を愛ずるよりも、果実(や種子)を食べるのが、世界の主流です。
ソメイヨシノの出現
サクラは、日本においても、江戸時代末期までは今のように華やかな存在ではありませんでした。
前にサクラは(狭義の)サクラ属の総称だ、と記しましたが、一般の人々には、「サクラ」イコール(一園芸品種の)「ソメイヨシノ」として捉えられているかも知れません。
中国で言う「日本櫻花」をはじめ、外国人達が日本の代表として崇めるのも、このソメイヨシノのことです。
漢字で書くと「染井吉野」。(東京駒込の)染井で作出された吉野桜(奈良県吉野山のヤマザクラ)という意味です。
自分たちでゼロから新しく何かを作り出すことが苦手な日本人なのに、よくやった、と褒め称えたいところなのですが、実は、偶然に見つかった僥倖の産物であります。
本州から朝鮮半島にかけて分布するエドヒガンという種と、伊豆諸島周辺産のオオシマザクラとの、自然交雑が基になっている、と考えられています。
植木市場で両者を栽培していたところ、いつの間にか勝手に(人為的にという説もある)交配して、新しい品種が生まれた、というわけです。
葉が出る前に花が咲くエドヒガンと、大きな花のオオシマザクラの特徴が合わさって、ひたすら明るく豪華絢爛な、私たちになじみのソメイヨシノが生まれ、それを売り出したところ爆発的な人気を呼び、全国いたるところに広がりました。僅か150年ほど前の、江戸時代の末期から明治にかけての頃です。
現在、日本中で見られるソメイヨシノは、全て最初に染井の植木屋さんで見つかった個体のクローンだということで、全国どこで見ようが、変わらぬ姿を保ち続けています。
ソメイヨシノは、確かに豪華絢爛で、明るい気持ちに成れて嫌いではありませんが、筆者の個人的な好みで言えば、樹々の新葉が芽吹き始めたばかりの薄墨色の山肌に、ともしびのように仄かに萌えあがる、ヤマザクラやカスミザクラやマメザクラなどの野生種のほうが好きです。
今著者は、ソメイヨシノを見に日本を訪れる大量の中国人観光客と入れ替わりに、一人で中国の山野に野生の桜を見に行くため、複雑な気持ちで空港に佇んでいるところです。
成田空港到着ロビー。2017年3月31日。
中国の野性サクラの一種。甘粛/陝西省境の秦嶺山地にて。
中国の野生サクラとハルカゼアゲハの一種(アオスジアゲハの仲間で、早春に出現、日本にはいない)
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付記
今朝(4月1日)アップされた(冒頭部分に「首都圏以南の桜の名所では、今日がお花見の“最後のチャンス”というところも多いかもしれません」が付け加えられて、編集U氏の苦労が偲ばれます)のですが、昨日のブログとの間隔を開けねばと思い、一日遅れで紹介します。
その間、いろんなコメントをチェックすることが出来ました。幾つかのサイトを読み比べるに、U氏の指摘通り、圧倒的にヤフーニュースのコメントが低俗ですね(コメントチェックマニアの僕としてはその方が楽しいけれど)。中韓噛みつきまくりです(笑)。
「現代ビジネス」のほうのタイトルは「中国人も韓国人も“日本の桜”が気になって仕方がない理由」、元原稿では「“桜”は、いつごろから、どのような経緯で、日本の文化の象徴となったのか?」。内容にはダメ出しをすることがあっても、タイトルだけは、これまで全て編集部の出した案に素直に従っています。
読まれるためには、少々ハッタリ気味であってもインパクトが必要です。しかし僕の記事に限らず「驚くべき」の多用は、少なからず引いてしまいます。読者の一人としては、いいかげん止めてほしいと思います、、、意識的にそうしていることは分かっているのですけれど(笑)。
コメントに「タイトルと内容が違うじゃないか」というのが幾つかありました。僕の責任ではないです。まあ、このタイトルだと中韓いじりが益々激しくなるわけです。
あと、「エンタメ」「ライフ」「国家・民族」「中国」「韓国」の項目に入っているけれど、本来ならば「科学」とか「教養」のほうだと思うのですが、、、。まあ良いでしょう。
U氏曰く、「書きたいことを書く」のではなく、「読者が知りたいことを書く」。僕も賛同です。売れて(読まれて)ナンボですから、個人ブログとは訳が違います。
しかし、僕としては、「書きたいこと」でも「知りたいこと」でもなく、「伝えるべきこと」を書く義務があると思っています。
一般の日本人の、知識に対する要求志向が、余りにも「応用」的な対象に偏っていて、「基礎」的な対象が全く無視されているように思えてなりません。「そのような知識は“科学論文”で表現すれば良いのだ」と。しかし僕はそうは思いません。何事に於いても、基礎知識がまず必要であると。
その“橋渡し”をしたいのです。しかし、多くの読者は、それさえも求めていない。
「読者が要求する知識」は、わざわざ僕が書かなくても、誰にでも(殊に頭の良い優等生には)書けます。
「誰でも知っているはずのこと」
「知っている人は知っているが多くの人が知らないこと」
「僕しか知らないような新たな事実や考え」
2番目に重点を置き、3番目はちょこっと付け加える、というのが僕の考えなのですが、編集U氏に言わせれば、1番目さえも多くの人は知らない、ということらしいのです。
そして多くの人は、人間社会に関りのない(特に生物学的な)話題には、興味を示さない。そのような話題は、マニアックな(趣味的な)場か、アカデミックな(学術的な)場で行えば良い、と思っているのでしょう。しかし、それは違う。「人間社会」に係わる話をするのであっても、対象が人間以外の生物であったなら、まずその生物のアイデンティティから探索していく必要があると思っています。それが成された上で、はじめて「人間社会」における考察が成し得るのです。
「分かり易く伝えること」と「正確さを期すこと」は、しばしば相反します。どちらも不可欠なのですが、それを両立させることは、結構難しい作業です。
読者の中には、「野生種とか起源とかはどうでも良い、大事なのは、中韓にはない日本独自の文化として成り立っていること、その歴史についてもっと詳しく書く必要がある」という人がいます。一つの側面から見れば確かにその通りではあるのだけれど、それらについての考察や紹介記事は、履いて捨てるほどあるのです。一方、「成り立ち」に至るまでの、植物自体の歴史についての記事は、ほとんどと言って良いくらい見当たらない。
ということで、ここでまず必要だと思ったのが、最低限の「分類」の話です。
狭義のサクラ属の日本産野生種は、5~10種ほど。
(僕は5種と考えている、しかし現時点での定説は9種、それを列記する)
中国産は日本産の10倍近く。
野性栽培を問わず「品種」の単位でなら、野生の「種」の100倍近くの「品種」が日本に存在する。
残念ながら、それらの大半は、削除されてしまいました。仕方がありません。
その「分類」の話はともかくとして、ごく簡単に今回の記事の梗概を示しておきます。
日本人に最もなじみ深い植物である、キク(家菊)もサクラ(ソメイヨシノ)も、野生種ではなく、人為的に交配された「品種」。
共に、両親に当たる野生種(変種の場合も含む)は、日本にも中国にも韓国にも在来自生している。
従って、中国・韓国・日本のいずれの地域も、「起源」たりうる可能性を持つ。
しかし、キク(家菊)が作出されたのは中国大陸、ソメイヨシノの作出は日本であることが、(形態形質による比較に於いても、分子生物学的解析結果に於いても)証明されている。
ごく簡単な、分かり易い話だと思うのですが、、、。
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追記
「現代ビジネス」の記事がアップされるごとに、このブログに「オリジナル記事」を載せて行っています。「なぜか中国」シリーズに関しては、2月上旬までに9回分を纏めて執筆を終え、編集部に送ってあるのですが、まだ残り4回分が掲載されていません。「モリカケ問題」をはじめ、政局の動向によって先に掲載しなくてはならない記事がどんどん増えていくため、(一応毎週と想定してもらっている)僕の記事が、どんどん後回しになってしまうのです。加えて、前々回は「チベットの火事」、
今回は「サクラの季節」と、もともと予定していなかった自分の記事も割り込むことから、いつになれば「なぜか中国」シリーズが完結するのか(そのあとは「沖縄」関係のシリーズに移行したい)、予測がつかない状態です。
出来る限りスムーズに掲載を進めるため、より多く(最大公約数)の読者の求めに応じた記事を書かねばならず、僕自身が読者に伝えたい「重要部分」は、必然的に削られてしまいます。また、文体を「インターネットコラム」的スタイル?に統一せねばならず(そのため、「現代ビジネス」に限らず、僕以外の執筆者によるネット上の多くの記事も、どれも似たスタイルの文体になってしまう)、その結果、僕の文章の特徴であるリズムや言葉遣いの多くが、排除されてしまいます。
それで、本来伝えたい部分も読者に示しておきたい、という思いから、(編集氏の了解を得て)「現代ビジネス」掲載直後に、ブログのほうに「元記事」のほうも、並行して掲載している次第です。
ただし、最近は(上手な文章を書く必要性よりも優先して)「出来るだけ書き手の文体の個性を尊重してほしい」という僕の意向を、編集のU氏は理解してくださっているようで、最初の頃に比べれば、元原稿と余り大差のない内容・文体になっています(編集氏の理解もありますが、僕自身も合わそうと努力をしている)。
「元原稿」というのは、大きく分けて2つあります。一つは、プレゼンの段階で編集部に書き送ったもの(すなわち「オリジナル原稿」)。
それを編集U氏がリライトし、僕がチェックする。間違い部分を訂正し、削除された部分で、どうしても復活させたいところは、改めて差し込む。文体や言葉遣いや文章の流れも、譲れない部分は元に戻してもらう。こちらが、もう一つの「元原稿」(「改稿」としておきます)。
原則、U氏のリライトを、タイトルも含め、おおむね受け入れるようにしています。U氏のほうでも、最終的な僕の要求には応えてくれています。従って「現代ビジネス」の記事に、不満があるわけではありません(ことにここ数回は、センテンスの順序と、僅かな表現を変えるぐらいで、オリジナル草稿をほぼ全面的に生かしてくれている)。
オリジナ原稿と発表記事の大きな違いは、冗長な部分と、(生物学的な記述など)読者が読み辛いと思われる部分の有無です。より多くの読者に対しては、それらを無くすことで、読みやすくなっているはずです。従って「現代ビジネス」のほうを読んでもらった方が良いでしょう。一方、コアな読者の方々は、「削除した」部分にこそ、興味を示して頂けるのではないかと思っているのです。
実は、「完全なオリジナル原稿」は、編集氏からのリライトのチェックを重ねているうちに、どこに行ってしまったのか分からなくなっているものが少なくありません。ということで、この「あや子版」に紹介する「なぜか中国」シリーズの記事は、ある時は「完全オリジナル原稿」であったり、ある時は「編集者からのリライトの再チェック改変原稿」だったりします(おおむね、両者の中間あたり)。
今回も完全オリジナルは見つけられず、改稿途上のものを「生物地理は面白い」シリーズ6として、「あや子版」に掲載します(「完全オリジナル」と「現代ビジネス発表記事」の間の差は僅かです)。