青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

7月後半 自宅近所のシルビアシジミ(上)

2023-07-31 22:15:07 | コロナ、熱中症、差別問題と民主化運動


マスクは人類の敵
エアコンは地球の敵
集団性自己中が人類を滅ぼす

・・・・・・・・・・・・・

カメラは完全にぶっ壊れてしまって、シャッターはごく気まぐれにしか下りないし、画面の1/5ほどしか映らないし、ピントはほぼ全く合わない(というよりも解像度自体が最悪劣化)し、といって観察は続けねばならないので、せめて証拠写真として利用出来ればと、四苦八苦しながら撮影を続けています。

7月中旬以降は、僕のアパートから徒歩5分の、シルビアシジミが発生する刈り残し草地のチェックです。ここんところ連日の炎天下(時には驟雨)の中朝7時半頃からお昼過ぎ、一度部屋に戻って夕方。一文無しで朝マック食べるお金もないので、日が暮れてから近所の耳鼻科の前にWi-Fiを拾いに行きます。

久々に痛風の激痛に襲われていて、足を引きずりながらの行動。それは何とか我慢できる(座薬を貰ってきている)のだけれど、一昨日までの4日間は何も食べていなかったものですから、さすがにふらふらです。

7月の生活保護費受領は8807円(手続きの失敗)、光熱費の支払いと幾許かの援助金を±しても、とても一か月暮らすのは無理です。この一週間一文無し。それで先日は病院で栄養剤の点滴を受け、市役所やシルバーセンターや知人から非常食や期限切れインスタントラーメンなどを貰い受け、なんとか生き延びています。

ということで、連日、カンカン照りの灼熱光を何ひとつ遮るもの一つない刈り残し草地や池畔堤防の小道で、何時間にも亘りシルビアシジミの観察を続けているわけです。さすがに暑い。でも夏だから当たり前。

巷では、熱中症がどうのこうの、危険な暑さ故、出歩かずに部屋に籠ってクーラーを、、、、、何言ってんだかと。

コロナは唯の風邪、夏は暑いのは当たり前、、、と言い続けていて、そのために仕事を無くしてしまっている(「陰謀論」なんだそうな)わけでして。

唯の風邪が大きな脅威であるのと同様に、夏の猛暑も(豪雨とか暴風とかも)脅威に違いありません。それらの外圧から身を守るのは当然です。

だから人々は(ずっと昔から)知恵を出し合って、それらのリスクと対峙し続けてきたのです。退治ではなく対峙ですね。共存しつつリスクを避ける。それがいつの間にやら(科学や文明に対する)過信の果て、全てのリスクを排除する、という方向に進みつつある。

やってること、違うんじゃないでしょうか。科学や文明に頼って根本をおざなりにしているとしか僕には思えません。

何度も何度も同じことを書きます。中国で40年間活動してきて、3度「コロナ」と同様の症状に罹りました。医者は「何らかのウイルスに感染」「未知のウイルスなので対処しようがない」と言います。唯一の治療方法は「充分に休んで、充分な栄養を採り、体力を維持する事」。それで良いのだと思います。

コロナに関して言えば、僕は当初から「怖いのはパンデミックでなくパニック」と言い続けてきました。実際、パニックを引き起こすだけ引き起こしまくった挙句、何の解決も得られないまま(コロナ自体は終結していない)、何事もなかったように有耶無耶に幕引きが為されているという茶番劇、、、哀しいことに大衆はその茶番劇を当たり前であるかの如く受け入れているのです。本質を考えようなどとは誰もしません。

熱中症についても然り。

熱帯の密林や厳寒の高山を歩き回っていたら、そんなこと言ってられないです。暑いときは、基本は我慢。打ち水をし、風通しの良い木陰で休み、団扇で仰ぐ(せいぜい扇風機)、、それで充分。

僕なんて、少々気候の変化に晒されても、ほぼ同じ服装(基本はTシャツ1枚、それで気温10度前後から40度超まで対応できる)。

リスク管理など全くしていません。国外ではそこいら辺の湧き水を飲んだりしているけれど、特に酷い目に会ったりはしていない(下痢はしょっちゅうしているけれど)。少々怪しい食材でも、安ければなんでもありです。それは日本にいる時も同じ。

多くの人たちの常識からすれば、リスクまみれの日常生活ですね。

それでもって後期高齢者に突入しているわけですが、いまだに過激な調査活動を続けています。なんの自慢にもならないのですけれど(実際本人の意識上は満身創痍の断末魔状態だし)、例えば血液検査をしても43項目中ひとつも異常値がない、先日わけあって眼(本人的にはほぼ全く目が見えない状況)の検査をしたら、両目とも1.2だそうで。 
健康管理、リスク管理を徹底している同年配の多くの人たちより、どうやら遥かに健康なんだそうです。これは一体なんなんでしょうね。

熱中症の話題に戻します。100歩譲って、温暖化を含む気象の異常化が急速に進んでいて、そのことが人類・地球に齎すリスクに対して真剣に取り組む必要がある、としましょう。

その原因が自分たちにあることを忘れてはなりません。科学・文明に頼り切った人類の傲慢さ。本気で危機に対応するならば、それなりの覚悟が必要です。

車も冷房も、諸々の文明生活も、やめれば良いのです。出来んのよね(僕はやってますよ)。

「集団的自己中」から逸脱した立場を採ると、皆(大多数)が恩恵を受ける民主主義社会と敵対する自己中な人間と見做されて、はじき出されてしまう。

ユナボマー氏も、グレタさんも。

・・・・・・・・・・・

そんなわけで、カンカン照りの中、刈り残し草地と池畔の堤防上で、連日シルビアシジミの生態チェックを行っています。ときおり木陰に場所を移して、ギラギラと煌めく木漏れ日の下、ペットボトルに詰めた水を飲みながら、アゲハチョウ類がクサギの花にやってくるのを待ちます。林縁を吹き抜ける風が爽快!

午後、雷雨が襲来しそうになると部屋に戻って、水道水でシャワー。暑い夏大歓迎、熱中症クソくらえです。

・・・・・・・・・・・・

ぶっ壊れたピンボケカメラで辛うじて撮影した、今週のシルビアシジミ。今日は前半、アパートから5分の刈り残し草地。明日は後半、そこから50m程先の堤防の小道。



2023.7.23  17:32  シルビアシジミ 



2023.7.23  17:50  シルビアシジミ



2023.7.24 8:11  シルビアシジミ



2023.7.24 8:31  シルビアシジミ



2023.7.24 8:36  ヤマトシジミ ヤマトシジミは隅っこにいる



2023.7.24 15:15  ヤマトシジミ



2023.7.24 15:43  ウラナミシジミ(今年の初記録)



2023.7.24 15:43  ツバメシジミ



2023.7.24 15:48  シルビアシジミ



2023.7.24 16:18  シルビアシジミ 産卵



2023.7.24 16:21  シルビアシジミ



2023.7.24 16:25  シルビアシジミ



2023.7.24 16:26  シルビアシジミ



2023.7.25 8:32  シルビアシジミ



2023.7.25 16:31  ヤマトシジミ 昨日と同じ個体



2023.7.26 8:43  ツバメシジミ 汚損個体・新鮮個体がともに見られる 



2023.7.26 8:50  シルビアシジミ



2023.7.26 9:00  シルビアシジミ


  
2023.7.26 9:05  シルビアシジミ



2023.7.26 9:06  シルビアシジミ



2023.7.26 9:07  シルビアシジミ



2023.7.26 9:14  シルビアシジミ 雌



2023.7.26 9:15  シルビアシジミ 産卵



2023.7.26 9:15  シルビアシジミ 産卵



2023.7.26 9:22  シルビアシジミ 卵



2023.7.26 9:51  シルビアシジミ コマツナギ訪花



2023.7.26 9:52  シルビアシジミ コマツナギ訪花



2023.7.27 8:59  シルビアシジミ  帰化植物(ナデシコ科)花上






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黒魔術

2023-07-23 20:59:44 | コロナ、差別問題と民主化運動、身近な自然



コロナの敵(原因)はマスク。
熱中症の敵(原因)は冷房。
ついでに、正義の敵は正義、平和の敵は平和。
集団性自己中で早晩人類は(たぶん最初に日本人が)滅びます。

・・・・・・・・・・

NHK深夜番組を、ついつい朝4時まで見てしまった。8時に起きて、アパートから5分の草地でシルビアシジミのチェック。朝から群れ飛んでいます。でも、壊れたカメラと、(K氏からお借りしている)壊れた撮影用スマホでは、いかんとも仕様がありません。指をくわえてみているだけ。9時半のイオン送迎バスでマクド(朝マック)。

再び残り1000円を切りました。次の支給日まで、まだ10日。モニカ(「お金持ちになった」と自分で言ってるので)から借金する(あるいはスマホを購入して貰う)ことも考えているのですが、癪に障るし、中国からだと滅茶時間がかかってしまいます。

ギリシャ(ロードス島とアテネで大規模山火事のニュース、いつものことなんでしょうが)。三世たちは黒魔術のせいで、悲惨なことになっているそうです(これも今に始まったことじゃないのでしょうが)。僕も黒魔術に呪われているのかも知れない。

考えてみればエーゲ海というのは面白い位置にあるのですね。北方、ロシア・ウクライナから、海路で西側諸国へ、黒海 を横切って地中海に向かう途中の、プラスαの空間。反対方向の南からは、アフリカのソマリアとかスーダンとかリビアとかの常時紛争地から、地中海を北上してのどん詰まり(その延長は黒海を抜けてロシアに辿り着く)。東西で言えば、中東・トルコから、イタリア・ヨーロッパ各国に至る海の回廊。

ジャンクションでかつ吹き溜まりなんですね。日本の沖縄・南西諸島の位置付けとも共通しているように思えます。淀んだ空気の中に怪しく蠢く黒魔術(必ずしも黒魔術を全面否定しているわけではないです)。

黒魔術の話題は改めてにして、、、。ちなみに僕は「魔術」と「科学」は同義語だと思っています、、、その話も改めてということにしときましょう。

さて深夜番組、統一教会問題をはじめとする宗教二世などがテーマ。各分野の専門家のディスカッションです。僕は専門家というのが嫌いで。理路整然と高説を宣うのですが、どうしてもついていけない。今回も、どのパネラーも、「なるほど」という話をされていて、それはそうなんだろうけれど、、、という想いはあっても、だからどうした、というか、もう一歩先の別の側面から見ればまた違った答えが出るはずと、(凄く頭の良い人達だなあ、と自分の知能の低さを思い知らされるとともに)そこはかとない物足りなさを感じてしまうのです。でもまあ、(目から鱗の落ちるような)傾聴に値する話も少なからずあって、ついつい最後まで見てしまいました。

イスラム研究家のクリスチャンの女性学者曰く、イスラム宗教は女性を軽視している、というのが定説のようになっているけれど、そうは思わない。彼らの価値観の中では、我々とは別の次元に於ける、女性の位置付けがある、という要旨。慧眼です。そのような、いろんな問題提起があったのですけれど、終わってすぐ寝ちゃったから大半覚えていない。

そうそう、日本人に蔓延する自己責任論、実は大きな問題である、という要旨の発言もあったですね。これはヤフコメにも端的に現れています。夏山遭難のニュースに湧き上がるヤフコメ民のステレオタイプ的集中非難。山とか海とか危険なところには行くな。救助する人たちの身の危険を考えろ。救助には我々の税金が使われている、、、、云々。徹底したリスク排除が美徳とされる国民的価値観。

全空間を公園化し、あるいは過酷な環境・気象にも危険な外敵にも晒されなくて済む、科学の進歩によって齎されたバーチャルで楽しめる“大自然”探索の推奨。

(ことに外国人に対して)「サンダルや軽装での山歩き、単独行、弾丸登山、、、、ケシカラン」という、非難の嵐(マスコミが先導)。彼らからすれば、何もマナー違反とかではなく、それが自然(最も理にかなっている)として選択しているわけで、、、。いつもサンダルで歩き回っている僕なんてマナー違反の象徴的存在なのでしょうかね。

若いころ(10~20代)、北ア立山連峰薬師岳から裏銀座、槍ヶ岳を経て上高地に、長靴履いて1日で縦走していました。
南ア三伏峠から、塩見岳(途中蝙蝠岳に速攻往復)、間ノ岳、北岳を経て、広河原に革靴とワイシャツ姿で縦走。まあ、ほぼ犯罪行為ですね。それはともかく、かつて、それぞれの登山者は、それぞれの理念や経験に基づいて山に登っていたのですが、今は全員が統一された行動をとらないと許されない、という時代になってしまっているのです。

狭間シリーズ。
「大和と琉球の狭間で~世界遺産の森・屋久島」(2001年刊行済み)
「ElvisとBeatlesの狭間で~Johnny Tillotsonの時代」(一応2016年に自主刊行)
「夜と朝の狭間で」(これはいつになったら完成する事やら)
ギリシャ絡みで、
「陽光と黒魔術の狭間で~エーゲ海に漂う光と闇」とかも、一応予定しています。
科学(文明)と魔法(人類の持つプリミティブな価値観)の関係性みたいなことも織り込みながら。
その次が、
「繁栄と亡滅の狭間で、、、」
シルビアシジミをメイン題材に、絶滅危惧種とは何か、その本質みたいなところを探究していきます。

上種シルビアシジミは、究極の繁栄種の成れの果てかも知れません。
繁栄集団としての狭義のZizina otisヒメシルビアシジミが、旧大陸熱帯(アフリカ~アジア~オセアニア)広域に、かつ複数系統が重複しつつ分布。周縁に残存集団のZ.emelinaシルビアシジミ(日本本土と中国雲南)とZ.oxleyiムカシシルビアシジミ(ニュージーランド)。 

実は、そう単純な図式には類型化出来ない。系統的な立証とは別の視点からの複雑な要素が絡み合っているのです(ちなみに雄交尾器の形状は、上種シルビアシジミ各集団間に種差はありません)。いずれにしろ、日本、雲南、ニュージーランドの集団が、古い由来を持つことは確かなように思えます。だが単純にそれだけではない。食草のミヤコグサも、軌を一にする問題を内包していますが、それについては改めて。

とりあえず模式的に。

Mega-species Zizina otis
=(((アフリカ+アジア+オセアニア)+(アフリカ+アジア+オセアニア))Z.otis+アジアZ.emelina)+オセアニアZ.oxleyi
*狭義のZ.otisに関しては、旧大陸熱帯各地に複数系統に所属する種が混在している可能性を便宜上模式的に示した。実態がこの模式通りか否かは不明。
**Z.emelina原名亜種の分布域は、本州西半部~九州(南限種子島?)。Z.otisの分布域(北限屋久島)に隣接する。
**Z.emelina ssp. tibetanusの分布域は、中国西南部(西蔵・四川・雲南・広西?)。一部Z.otisの分布域と重なる?
***Z.oxleyiはニュージーランド固有。一部Z.otisの分布域と重なる。

この数日、ぶっ壊れたカメラで辛うじて撮影した、シルビアシジミの写真を何枚か追加紹介しておきます。



























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ゼリンスキー大嫌い

2023-07-15 20:54:31 | コロナ、ウクライナ問題、身近な自然


コロナの敵(原因)はマスク。
熱中症の敵(原因)は冷房。
ついでに、正義の敵は正義、平和の敵は平和。
集団性自己中で早晩人類は(たぶん最初に日本人が)滅びます。

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横殴りの暴風雨の中、女子高生が必死に傘をさして匍匐前進していました。見ると手に携帯型扇風機を持って、それを顔に当てながら、、、。なんか、今の日本を象徴しているように思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・

カメラ、絶望的です。
10数回に一回ぐらいしかシャッターが下りない。
のみならず、画面滅茶苦茶(添付写真参照)。
ピントも滅茶甘で使い物になりません。
いくら「弘法筆を選ばず」といえども、さすがに厳しいです。
誰か、廃棄カメラがあれば、譲っていただけないですかね(どんなボロカメラでも僕の寄りマシだと思う)。

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愛知県で(地域)絶滅した淡水巻貝が再発見された、というヤフーニュース。もちろん良いニュースには違いないのですが、「絶滅」関係のニュースがマスコミで取り上げられるたびに、(おそらく大多数の人たちとは正反対の意味で)気が重くなります。

ちなみに、2020年の(たぶん)1月16日に、「湖北省で新型コロナウイルス人人感染を確認」の初報がネットで取り上げられたとき、そのすぐ隣に、同じ湖北省の世界最大淡水サメ絶滅認定の記事が載っていました。僕としては後者のほうが大ニュースだと思っていたのですが、その後の展開は天と地の差。

以下、別にその事とは関係ないのですが、、、。

シルビアシジミとクロマダラソテツシジミ。正反対の立場なんですけれど、根っこのところで繋がっている。どういうことかというと、、、書きだすと一大論文になってしまう(笑)ので、やめときます。

やはり直接関係ない話ですけれど、、、。

分布様式に於けるクロマダラソテツシジミの発展形(完成形?)がウラナミシジミですね(両種とも去年10月末~11月には沢山いたのに今年はまだ出会っていない)。

そして、とんでもないこと(大袈裟かも知れないけれどそれなりに意味があると思う)に気が付いた。ウラナミシジミとシルビアシジミ(ヒメシルビアシジミ)の分布圏(アフリカ-アジア-オセアニアを全カバー)がそっくりだということ。立ち位置は対極も対極にあるのですが。

ウラナミシジミは1属1種、地域による変異もなく、近縁分類群も他に見当たらない。ナミアゲハ、キタテハ、ナミヒカゲなど(人里での)繁栄種は、みな似た分類上の位置づけにあります。

これらの種は、究極の繁栄種であるとともに、(その本質は)究極の遺存種でもあるのです。

シルビアシジミは、もしかしたら繁栄種の成れの果てですかね。そしてその亡霊のような存在が、日本本土と、中国奥地(雲南)と、ニュージーランドに残存している。

これも全く無関係な話ですが、、、、ニュージーランドのルイスと(雲南の大学以来)かれこれ10年ぶりにコンタクトとって、ルイスから「ニュージーランドに移住しませんか?」と誘いを受けて、「ニュージーランドにはシルビアシジミという蝶の祖先集団がいる」、という話題を話したその翌々日に、日本でシルビアシジミに(全く偶然)遭遇した。

考えてみれば実に不思議な話です。

・・・・・・・・・・・

カメラ、こんな状態です、、、。

写真1‐8
















3日前に突然、、、。撮影中は気が付かなかった。

写真9‐11







ここでやっと気が付いた。それで隅っこに寄せて撮るようにした。でもピントが甘い。

写真12‐15







今日。益々ピントが怪しくなってきた。万事窮すです。







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今日のシルビアシジミ 

2023-07-06 21:28:34 | コロナ、差別問題と民主化運動、身近な自然



コロナの敵(原因)はマスク。

熱中症の敵(原因)は冷房。

ついでに、正義の敵は正義、平和の敵は平和。

集団性自己中で早晩人類は(たぶん最初に日本人が)滅びます。



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7:54


8:12


8:15


8:16


8:18


9:53刈り取り開始


9:55


10:09産卵


10:11


10:13


10:20


10:24


10:29


10:30


10:31


11:03交渉してここだけ残してくれた


11:16


11:18刈り取ったすぐ横にいます


11:24


11:25






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篠田博之 猿之助 シルビアシジミ

2023-07-04 21:16:24 | コロナ、ウクライナ問題、身近な自然


コロナの敵(原因)はマスク。

熱中症の敵(原因)は冷房。

ついでに、正義の敵は正義、平和の敵は平和。

集団性自己中で早晩人類は(たぶん最初に日本人が)滅びます。



・・・・・・・・・・



このあいだも少しだけ書いたけれど、市川猿之助事件の報道に対する篠田博之氏の重要な指摘。

市川猿之助さん逮捕をめぐる報道と騒動のあり方にますます違和感を覚えざるをえない(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース



篠田氏は僕が最も尊敬している言論人です。氏の評論対象は、いわゆる凶悪犯に関わる事例が主流だと思います。



凶悪犯罪はもちろん悪ではあるのですが、そう解釈することでのみ済ましてしまったら、なんの解決にも至りません。被害者と加害者を「善悪」とは別の視点から俯瞰して考察する。問題の本質は何処にあるのか、という困難極まりない作業を、正面から取り組み探り続けているのが、篠田氏のスタンスです。



平和な社会、差別のない社会、自由な社会、、、声高に標榜することは簡単です。でも、現実には、それらのユートピアは実現しないでいる。なぜなら、「平和」や「自由」を絶対的なものとしか捉えていないからです。反対側を含めた全体像を俯瞰的に把握することから始めねばなりません。別に悪を肯定しろと言っているわけではないのです。それぞれの悪の持つ意味を追求する。非常に深く重い作業です。



僕の好きな明治の小説家(悲惨小説・深刻小説)広津柳浪に対する評論にこんな指摘がありました。

>誰もが気付いていても取り上げない対象を敢えて取り上げる(意訳)。

それと軌を一にするように思われます。



その篠田氏が、珍しく軟派的なテーマを取り上げ、問題提起を行っている。一見軽く見える対象なのですが、実は(現代の日本を象徴する)非常に重大な問題が含まれているのですね。



ここでは具体的な内容には踏み込みません。添付した本文を読んで欲しいです。



僕は、猿之助は、どちらかと言えば嫌いな人の部類だし、歌舞伎には全く興味ないし、そもそもこの事件にも興味はありません。しかし、そういったこととは全く別次元に於いて、この事件に対する報道の在り方に、非常に大きな違和感(嫌悪感と言っても良い)を覚えるのです。



ある意味些細な事なのでしょうが、その(報道の在り方に対する)問題点を「なあなあ」で済ましてしまうのではなく、根本的な部分を直視し、将来に繋げていかねばなりません。



そもそも僕からすれば、大抵の「報道」には違和感を覚えるのです。何のための「報道」なのか、ということ。「報道」はどこまで必要なのか。



40年ほど前、神戸新聞の連載で、「報道」の在り方に疑問を呈したことがあります。阪神大震災に関しての報道。一応地元民で一応報道関係者の端くれとしての僕の矜持。複数の読者から「よく言ってくれた」という励ましの言葉を頂いたのですが、編集部からは譴責を受けました。そのような考えは報道に対する冒涜であると。



姿勢は間違っていないと思います。今後も同じスタンスで対処していきます。



・・・・・・・・・・・・・・・・



ここんところ、腹立たしい事ばかり頻発しています。まあ、結果として社会の枠外で生きている僕自身に問題があると言ってしまえばそれまでなのですが。



しかし、後期高齢者に突入して達観しました。日本の民主主義は間違っていると。そして、科学ひいては文明をはっきりと否定します(科学云々については説明が必要)。



そんなこと言ってるから、益々社会から取り残されてしまうわけですが。まあ、僕の場合は打たれ強い(換言すれば鈍感)ので、「無敵の人」(予備軍はゴマンといるはず、たまたま大事に至らないだけで、何事が起こっても全然不思議じゃない状況)化しなくて済んでいるのです。



平和とか自由とかは、金持ち(ここで言う金持ちは、最下層以外のほぼ全ての人々に相当)や権力者(空気に従って生きる大衆も結局のところ権力者なのです)、声高に権利を叫ぶ人々にのみ齎される特権(集団性自己中の肯定)なんですね。それらの枠からはみ出た(空気の外にある)人間は、風によって空気を乱す、リスクの対象として排除されていきます。それが民主主義の実態です(と言って共産主義を支持しているわけではないですよ)。



・・・・・・・・・・・・・・・



前回前々回と同じ話題に触れたのですが、もう一回繰り返します。アパートの近くの公園(およびその周辺の道端)の草刈りについて。それ自体は致し方ないですね。いろんな虫とかがいる藪を刈って市民をリスクから守る、それは分からんでもないです。それと遷移の問題。人間が手を入れないで放っておくと、やがて鬱閉した照葉樹林と化してしまう。教科書的な理屈としてはその通りですね。でも、本当かな?という気もします。ほっといてもそれなりに(勝手に)調節して、極相以外の様々な移行的(遷移途上の足踏み状態の)環境も出現するのではないでしょうか。



それはともかく、人間が関与したものは「善」で大切にし、(人間の思惑とは無関係に)勝手に為されたものは「悪」で排除する。おかしいとは思いませんか?



道端で蝶の撮影をしていると、草刈りの作業員から「じゃまだ、どけ!」と言われたりします。それだけならまだしも、「撮影許可を取っているのか?」とか。前にも言ったけれど、TV番組見ていると、「許可を得て撮影しています」というテロップがしょっちゅう出てくる。もちろん、許可を取ることが必要な場合もあるでしょう。でも、何でもかんでも許可、それはおかしくはないですか?道端の蝶を撮影するのにも「許可」、、、むろん申し込めば腕章とかを与えられて、特権を得ること出来るわけですが、そんなのは本来の自然観察じゃないです。腕章などは、くれても突き返します。



シルビアシジミ。絶滅危惧種第Ⅰ類(福岡県も)だそうな。それこそ申請すれば、急遽保護の対象になって、草刈りのパターンも変更されるのかも知れません。おもろいですね。



シルビアシジミに「ついて。2つの問題提起。



2種(ニュ-ジーランド産を含めると3種)に分割されるようです。でも、僕は安易には従いません(笑)。まあ、否定するわけではないのですが、といって素直に受け入れるわけでもない(キタキチョウとかヤマトスジグロシロチョウとかも同様)。確かに、日本に於いては異所的分布する(屋久周辺のみ複雑)2つの集団に分かれるのでしょうが、ほとんど全ての生物の種が同様の(かつそれぞれに独自のパターンで)問題を内包している。



種の認識の問題です。DNA解析に拠って示されたデータは、問題の提起(すなわちスタート)であって、「答え」「結論」ではない。別に2種に分けることを反対しているわけではないのですよ。それで決着をつける、という安直なやり方を避けるために、敢えて(従来どおり)1つに纏めておくのです。前進のための、守旧です。



もうひとつの問題提起。日本のシルビアシジミは、本当に衰退しているのか?



衰退状態のまま、継続して生き続けている、というのが本来の姿である、とは考えられないでしょうか? オガサワラシジミの例で指摘したことがありますが、この蝶は一時的な大発生をした。それはアブノーマルな状態なのですね。でもそこを基準として「衰退・絶滅危惧」を考える。繁栄していること(その要因は人為による環境変化)は、むしろ異常事態なのであって、ほそぼそと生き永らえている状態こそ、健全な状態なのかも知れない。それを人間が余計な思惑で搔き乱す。



僕が子供だった頃、ヤマトシジミを100頭採ればシルビアシジミが一匹混じっている、という噂を信じて、せっせとヤマトシジミを採っていたことがあります。噂ではなくて本当だった。確かに混じっていました。須磨浦小学校の校庭脇の藪で(確か1959年)1頭を採集しました。マッチ箱に入れて、今でも探せばどこかに保管されているはずです。その後1962年だったかに(阪神タイガース優勝の時)岡本の甲南中学の校庭脇でもう一頭を採集。



次に日本本土で出会ったのは、1980年代前半。千葉県鴨川市の内陸部、愛宕山山麓の牧草地の隅っこです。



それから40年ぶりの再会ですね(中国雲南省では何度も出会っていますが)。



どの産地も(中国でも)、ごくつまらない、というか、ありきたりの環境ですね。隅っこです。(人間の生活に於いて)無駄な空間。環境保全とかの対象とは無縁な、いわば、生物にとって好ましからぬ(ように思える)環境です。



ツマグロキチョウとか、チャマダラセセリとか、ウラナミジャノメとかの(あるいは山地草原のヤマキチョウとかヒメシロチョウとかの)、絶滅危惧メンバー諸種も、似たようなパターン。類型化するのは難しいのですが、「狭間」とか「移行途上」とかいった概念の上に成り立って生育を続けている。



これは人間がどうにかすれば良いという問題には馴染みません。それぞれの種が、微妙なデリケートな綱渡り的状況下で生き続けている。絶滅危惧状態であることで、正常が保たれている。 



シルビアシジミをはじめ、上掲各種は日本では絶滅の危機に直面している(そのことは必ずしもネガティブな状況ではない)わけですが、その本質を探るヒントは中国にあります。これらの種は、中国では街中を含む雑然とした環境で、結構普遍的に見られるのです。日本に於いては、そのような「無駄」な環境を排除している。



インターネットで福岡県のレッドデータ生物を検索してみました。蝶については矢田修氏と上田恭一郎氏という、最も信頼するに値する研究者が監修しているので、資料としては一級です。



シルビアシジミはともかく、数多くの意外な種が「絶滅危惧」として羅列されています。ほとんどが21世紀に入る少し前 頃から急減したのだそうです。その要因は環境変化にあるのではないかと。本当かなあ~。環境の変化自体は事実なのでしょうか、それが蝶たちの衰退に直結しているとは、僕には思えません。環境の変化だけでは説明つかない部分が多々あります。



この報文をチェックして、驚愕したことがあります。九州に於けるヒカゲチョウ(ナミヒカゲ)。ヒカゲチョウは、日本に在来分布する240余種の蝶のなかで、最も重要で、かつ不思議なアイデンティティを有する種です。「日本固有種」というだけでなく、唯一、海外に姉妹種が見当たらないのです。



中国には外観の類似した多数の種が分布していますが、雄交尾器の形状は、どれもヒカゲチョウと大きく異なります(従ってヒカゲチョウ一種で独立属を立てる研究者もいる)。雄交尾器の形状が類似した種を敢えて探すと、北米産の種(それも外観が似ている種ではなく、似ていない種)がそれに相当する。偶然なのか、何らかの必然性があるのか。



青森県‐山口県(含む四国4県)に広く分布し(島嶼部を除く)、ただし、両端の青森と山口のどこかで、突然分布が途切れる。北海道と九州にはいない(九州については後述)。



究極の遺存分布種であるわけで、それとともに、究極の繁栄種でもあるのです。



分布圏内に於いては、最普通種のひとつ。東京をはじめとした大都市の中心部でも、ごみ捨て場とか公衆便所の周りとか駅前の雑然とした空間とか、タケ(メダケ(ネザサ)類)が生えているところでは、どこにでも現れます。もっとも、意外なことに、郊外では余り姿を見ない。そして山奥(例えば南ア三峰川源流とか北ア上高地とか)に行くと再び姿を現す。



九州では、近年になって福岡県や大分県の一部地域で見つかっているという情報を聞いていました。おそらく二次的な拡散なのではないかと。



ところが、この報文を読むと、九州での実態は、僕が認識していたのとは全く逆だったのです。いなかったところに新たに侵入したのではなく、かつていたのにいなくなってしまった。19世紀から記録があり、1960年代には九州北部でごく普通に見られたのが、1992年を最後に、姿を消してしまった、と。



その要因を「環境の変化」としていますが、それは有り得ない。上にも記したように、(分布圏内では)最もありきたりの、雑多な環境に多産している、まあいわばゴキブリのような「生命力の強い」種なのです。なんで九州の集団だけがデリケートなのか?



こんなことを考えてみました。全く同じ環境条件下でも、繁栄の中心地(日本の大部分の地)と、その末端部分(本州の北端や西端および九州北部)では、それぞれ何らかのバイアスのようなものが働いて、違う結果として表現されるのではないかと。全く同じ条件下でも、中心では繁栄し、末端はアウト。ヒカゲチョウも、東京など分布の中央では繁栄を謳歌しているけれど、端っこの九州では衰退に直面している。



シルビアシジミは、中国でも日本でも、生育する環境自体は同じだと思うのです。ヒカゲチョウとは一回りスケールが違うのですが、置き換えて考えてみましょう。中国では都市の街中にも繁栄している。(やはりありきたりの雑然とした空間に棲息してはいても)日本では衰退。



「大阪府とその周辺の蝶:シルビアシジミ」というコラムに記されていた次のような指摘、慧眼ですね。

>蝶がある場所に生息するということに、普通の人間には見えない何かが影響を与えているような気がします。



今日(2023.7.4)は、午前中、一昨日と同じ場所でシルビアシジミのチェックを行っていました。





メス





写真中央左側の草地の5m四方ぐらいの空間に発生しています。団地の背後に僕のアパートがあります。













食草のミヤコグサは、余り大きな群落を形成せず、ぽつぽつと生えています。雌は花ではなく葉に産卵します。









産卵。









メス









オス


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2023.7.2 シルビアシジミ 

2023-07-02 21:16:21 | コロナ、差別問題と民主化運動、環境保全

2023.7.2 シルビアシジミ 

カテゴリー:「コロナ」「差別問題と民主化運動」「環境保全」



コロナの敵(原因)はマスク。

熱中症の敵(原因)は冷房。

ついでに、正義の敵は正義、平和の敵は平和。

集団性自己中で早晩人類は(たぶん最初に日本人が)滅びます。



・・・・・・・・・・



久しぶりに晴れたので、アパートの下の草地の横を通ってバス停に向かいました。草地は、先日きれいさっぱり刈り取られてしまったのですが、一番手前のところだけまだ刈り取られずに残っていました。



れれれ、シルビアシジミがいた!










モンキチョウ



草地の大部分は、きれいさっぱり刈り取られたうえに、こんなのが。



ここで言う「自然」は、「人間が作った人間の為の自然」なんですね。

奇麗に整地されて、園芸植物が植えられて、人間の被るリスク(虫に刺されたり)を避けた。

勝手に生えている雑草とかは、人間の要望ではないわけですから、排除の対象でしかありません。

ここにも「集団性自己中」に基づく正義が、、、。

それって、ゴミを捨てる輩と、たいして変わらんと思うのですが。

シルビア、仮にも絶滅危惧種ですぞ!

ということは、そのうち「保護」の為の政策が始まるかも知れません(変なの。。。。。。)。







今日





先々週



樹液にコムラサキが4頭(ボロ)集まっていた(他にアカタテハ、キタテハ、ルリタテハ、オオスズメバチ、カナブン類&タマムシ)。ボロカメラ故なかなかうまく撮影できず、午前中のバスに乗り損ねて、朝マックを食べ損ねました。


























追記:

シルビアシジミは、近年のDNA解析によって、3種に分割されています。



上種シルヴィアシジミZizina otisのうち、最も祖先的形質を残しているのがニュージーランド産Z. oxleyi、

ついで古い由来なのが、日本(本州~九州)と中国雲南省周辺のシルヴィアシジミZ.emelina(日本では各地で絶滅の危機)、

最も新しく発展・繁栄したのが、屋久島以南の亜熱帯広域分布(アフリカー熱帯アジアーオーストラリア)のヒメシルヴィアシジミ(狭義のZ.otis)、

ということになるようです。



ただし、僕は、このDNA解析に拠る最終判断を、必ずしも支持していません(具体的な理由については改めて)。







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