青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

つまんない(支離滅裂な)話

2022-04-30 08:11:38 | コロナ、差別化問題と民主主義、ウクライナ紛争



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



種とは何か、個とは、命とは、時間とは、、、貧弱な僕の頭では、いつまで経っても答えを出せません。



自己認識に関する話題を取り上げたブログを見つけました。鏡に映った自分が“自分である”と認識できるのは、人間をはじめとするごくわずかな生物に限られる、という話です。それを実証した実験の紹介。



なるほど、とは思うのですが、僕に於いては、なんか根本的な次元で、何のことかさっぱり分からない。頭が悪い、理解力がない、、、つくづく情けなくなってきます。



この話題に関しても、その違和感のような部分をうまく表現できない。



例えば、眼が見える、という前提でなければ、話は成り立たないのじゃないでしょうか?

、、、なんてことを考えるのは、ピントが外れているのかも知れませんね。

あと、鏡の存在も、絶対条件、と思ったりもします(むろん池とか影とかでも良いのでしょうが)。



いずれにせよ、鏡に映った対象物が自分であるという認識(自覚)することに、どのような意味があるのか、意識はそれを確認することで成り立つのか、意識が存在するから確認ができるのか、そこらへんが僕にはよくわからない。視覚での認識以前に、自分とは何かの認識(意識の存在)について考えないと、先に進めないんじゃないのだろうか?とか思ったりもします。



意識は、方法とか、次元とかは異なるとしても、どの生物も持ち合わせていると思いますよ。



目が正常に機能している人は、その機能の特性の範囲の中で対象を見ているわけで、生物によっては、いわゆる目(またはそれに準じる)の持つ特性とは別の機能の働きで、人間が見えている範囲とは異なる対象が見えている可能性もあります。 



人間の場合、自分以外の対象は(物理的障害に隔てられない範囲で)全てが見えます。ただし、自分自身は見えない。自分の頭部(顔)の大部分と背中は永遠に見えないわけですね。他人の姿は見えるのに、自分だけは見えない。



三世が、「自分を見つめ直す」云々という話題を振ったら、コバヤシさんは「そんなことは俺には絶対できない」と言い切っていました。なるほど、そうですよね。人のことは分かっても、自分のことはなかなか客観視できない。



でも、逆も言えますね。目が見えない人、耳も聞こえない人、もしかすると5感全てが欠如している人がいるかも知れない。そのような人は、自己しか認識できないわけで、、、、結局、意識とは何なんだろう、という話になってきます。



すんません、2日続けて、つまんない(支離滅裂な)話をしてしまいました。



頭のいい人は、こんな話題でも、容易に理論的・体系的に解析できるんだと思うと、自らの知能の低さが、ほんとに情けなくなってきます。



・・・・・・・・・・・



白井審判問題を引っ張ります。



「佐々木朗希君、審判は偉いんだよ」蝶野が黒い説法 ウィル・スミスにはビンタの極意伝授 (msn.com)



清原和博氏「白井さんが気の毒」朗希の球審騒動で言及「一球だけで絶対にしない」/野球/デイリースポーツ online (daily.co.jp)



「内野ゴロで全力疾走怠った」若手選手呼び出し叱った審判 85年前の逸話が渦中の2人に示す“互いにプロであれ” (msn.com)



なんか、風向きが変わりつつありますね。

空気に乗っかっていた人たちは、乗り換えるのかな?



「コロナの茶番に気づいてほしい」“マスク拒否”市議 航空会社などを提訴 (msn.com)



こっちも、風向きはかなり変わってきています。みな、気付きつつはあるんですよ。でも、そう簡単には乗り換えないでしょう(外は嵐かも知れないし)。まだまだ“空気”のシャボン玉の中にいたほうが居心地よいでしょうから。空気の風船に乗って、人類、どこに漂っていくのでしょうか。



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追記:ダルビッシュ、、、、

2022-04-25 08:11:47 | コロナ、差別化問題と民主主義、ウクライナ紛争





読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



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ダルヴィシュが、今回の白井球審問題についてコメントを寄せています。



ウクライナ問題の本質と重なるように思います。



ダルビッシュ 批判集中の白井球審を擁護「選手も散々態度出すんだから」と理解求める/野球/デイリースポーツ online (daily.co.jp)



ダル

>>野球の審判って無茶苦茶難しいのに叩かれることはあっても褒められることはほとんどないよなぁ。選手も散々態度出すんだから審判にも態度出させてあげてください。



フォロアー

>感情出してもいいとは思うけれど、こればかりは誤審だからねえ(フォロアー:その投球はストライクに見えた)。



ダル

>>誤診と言いますが、テレビで見てる分には判定は簡単です。ですが、あの場面にいてリアルタイムであれだけ誤審が少ないのは本当にすごいです。元プロ野球選手が審判とかすると誤審連発なので、自分からするとプロ野球の審判は全員化け物です(笑)。



フォロアー

>試合中に選手のメンタルを考慮せず恫喝まがいのことをして、なんの弁解も説明も謝罪もしなかったことが問題なので、看過しろってのもおかしいと思うけど



ダル

>>選手がセルフジャッジで審判のメンタルも考慮せずに恫喝まがいのことしても弁明や説明、謝罪すらされないのは当たり前、むしろ忘れ去られる審判側のことは考えたことありますか?











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空気によって正当づけられる世論の危険性について

2022-04-25 08:05:01 | コロナ、差別化問題と民主主義、ウクライナ紛争




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】

マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】

「沖縄に対する日本」

「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」

の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。



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佐々木朗希の17イニング52人完全シャットアウト継続後の注目の試合、初回先頭打者初球にヒットを打たれて、あっけなく途切れてしまいました。



けれどこの試合で圧倒的な話題となったのは、2回、ボール判定に不満の態度を示した佐々木投手に対して、白井球審が注意を促しにマウンドに向かったことです。まあ、白井球審という方は、パフォーマンス好きな我の強い方のようで、プロ野球ファンからの風評も余り良くないらしい。



ネット民からは、「44歳のおっさんの行為としては大人げなさすぎる」「止めに入った18歳の松川捕手のほうがよっぽど大人だ」という声が、怒涛の如く押し寄せられています。井口監督も「審判員にはもっと冷静でいて貰わなくては困る」と批判の言葉を公にしています。



佐々木朗希VS球審「松川君が神」18歳捕手が堂々制止&なだめる姿にネット沸く「松川さん凄すぎ」 (msn.com)



僕も、確かにそう思いますね。画像を見ているだけでも、いいオッサンが見っともない、という思いが感じ取れます。「20歳の佐々木朗希投手が可哀そう」「18歳の松川捕手が立派」という大多数の意見も当然のように思われます。



しかし、そのような「白井球審に対する非難」「佐々木投手擁護・松川捕手絶賛」の世論の中にあって、元プロ野球審判員の柳内遼平氏が、真っ向からの反対意見を述べている。



佐々木朗と白井球審の「トラブル」 元NPB審判員記者は広島・九里と経験 出てきた6年前の「報告書」 (msn.com)



なるほど、、、、と思いました。審判員は、プレイヤーや監督・コーチの言動を窘めるという権限を持っているのですね。いや、権利というよりも義務なわけです。無限の将来の可能性を秘めている佐々木朗希投手にとって、今最も必要な事の一つは、“天狗になってはいけない”ということだと思います。世間からの称賛だけに目を向けていてはならない。世間というのは、どだい無責任で自分勝手なものです。



白井球審は、自らが(世間に対する)敵役になって、佐々木朗希投手を、ある意味守ってくれたと解釈できるのかも知れません。まあ、たまたまなんでしょうが、、、(笑)。



米アカデミー賞の撲打事件もそうなのですが、ある行為に対して“空気”だけで称賛や批判を行うことに対する危険性、それを強く感じるのです。コロナやウクライナ問題に対しても同じ。“空気”だけで物事の善悪を決めつけることが、どれほど危険なことなのか、殊に日本の人々は、そのことが分からないままでいるのだと思うと、懸念は尽きません。



追記:

ちなみに、TVの録画再放送では、この場面を全面カットした由。このような事態を公衆に晒すのは、良くないこと、と判断したのだそうな。日本の将来は、真っ暗なようです。




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