読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
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種とは何か、個とは、命とは、時間とは、、、貧弱な僕の頭では、いつまで経っても答えを出せません。
自己認識に関する話題を取り上げたブログを見つけました。鏡に映った自分が“自分である”と認識できるのは、人間をはじめとするごくわずかな生物に限られる、という話です。それを実証した実験の紹介。
なるほど、とは思うのですが、僕に於いては、なんか根本的な次元で、何のことかさっぱり分からない。頭が悪い、理解力がない、、、つくづく情けなくなってきます。
この話題に関しても、その違和感のような部分をうまく表現できない。
例えば、眼が見える、という前提でなければ、話は成り立たないのじゃないでしょうか?
、、、なんてことを考えるのは、ピントが外れているのかも知れませんね。
あと、鏡の存在も、絶対条件、と思ったりもします(むろん池とか影とかでも良いのでしょうが)。
いずれにせよ、鏡に映った対象物が自分であるという認識(自覚)することに、どのような意味があるのか、意識はそれを確認することで成り立つのか、意識が存在するから確認ができるのか、そこらへんが僕にはよくわからない。視覚での認識以前に、自分とは何かの認識(意識の存在)について考えないと、先に進めないんじゃないのだろうか?とか思ったりもします。
意識は、方法とか、次元とかは異なるとしても、どの生物も持ち合わせていると思いますよ。
目が正常に機能している人は、その機能の特性の範囲の中で対象を見ているわけで、生物によっては、いわゆる目(またはそれに準じる)の持つ特性とは別の機能の働きで、人間が見えている範囲とは異なる対象が見えている可能性もあります。
人間の場合、自分以外の対象は(物理的障害に隔てられない範囲で)全てが見えます。ただし、自分自身は見えない。自分の頭部(顔)の大部分と背中は永遠に見えないわけですね。他人の姿は見えるのに、自分だけは見えない。
三世が、「自分を見つめ直す」云々という話題を振ったら、コバヤシさんは「そんなことは俺には絶対できない」と言い切っていました。なるほど、そうですよね。人のことは分かっても、自分のことはなかなか客観視できない。
でも、逆も言えますね。目が見えない人、耳も聞こえない人、もしかすると5感全てが欠如している人がいるかも知れない。そのような人は、自己しか認識できないわけで、、、、結局、意識とは何なんだろう、という話になってきます。
すんません、2日続けて、つまんない(支離滅裂な)話をしてしまいました。
頭のいい人は、こんな話題でも、容易に理論的・体系的に解析できるんだと思うと、自らの知能の低さが、ほんとに情けなくなってきます。
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白井審判問題を引っ張ります。
「佐々木朗希君、審判は偉いんだよ」蝶野が黒い説法 ウィル・スミスにはビンタの極意伝授 (msn.com)
清原和博氏「白井さんが気の毒」朗希の球審騒動で言及「一球だけで絶対にしない」/野球/デイリースポーツ online (daily.co.jp)
「内野ゴロで全力疾走怠った」若手選手呼び出し叱った審判 85年前の逸話が渦中の2人に示す“互いにプロであれ” (msn.com)
なんか、風向きが変わりつつありますね。
空気に乗っかっていた人たちは、乗り換えるのかな?
「コロナの茶番に気づいてほしい」“マスク拒否”市議 航空会社などを提訴 (msn.com)
こっちも、風向きはかなり変わってきています。みな、気付きつつはあるんですよ。でも、そう簡単には乗り換えないでしょう(外は嵐かも知れないし)。まだまだ“空気”のシャボン玉の中にいたほうが居心地よいでしょうから。空気の風船に乗って、人類、どこに漂っていくのでしょうか。