(2004~5年執筆の未発表草稿)中国自然紀行~日本のルーツを求めて/West meets East(第7章)から
キャベツはナノハナの仲間(アブラナ科)、これは知っている人が多いでしょう。ではレタスは? こちらは知らない人も結構いるのではないでしょうか? 答えはタンポポの仲間(キク科タンポポ族)。なかでも、秋(9~11月頃)日本各地の野辺で普通に見られるアキノノゲシなどと同じヤマニガナ属に含まれます。
アキノノゲシは、私の大好きな野の花のひとつです。だから日本の国内はもとより、台湾でも、中国大陸でも、路傍に咲いているこの花を見つけるたびに足を止めて、写真を写しています。「レタスの近縁種だから(料理の仕方によっては)美味しいのに違いないのに、どうして雑草のまま放って置かれるのだろう、もったいない話だなぁー」と、いつも想いながら、、、。
中国の蔬菜は実に多様ですが、中心となっているのは日本同様にナノハナの仲間です。“菜の花”とは、狭義にはアブラナの花とその近縁種セイヨウアブラナの花を指すのだと思いますが、やはり近縁種のカラシナの花やキャベツの花(クリーム色)も、一般には“菜の花”と認識されているはずです。ダイコンの花も“白い菜の花”と思って良いかもしれません。ちなみに、実から油を採るナタネ、根を食べるカブ、葉を食べるハクサイやコマツナやチンゲンサイなどは、全て種(species)としては同じアブラナに含まれます( セイヨウアブラナは別種)。
中国での呼称は、「菜の花」は“油菜花”、食用としての花序の部分は“菜芯”、カブは“蕪菁”、ハクサイは“大白菜”、その他の葉を食用とするものは“小白菜”や“青菜”の名で総称されているようです(むろん品種ごとに一つ一つ名が付いています)。キャベツは“甘藍”“洋白菜”“円白菜”“巻心菜”など(カリフラワーは“菜花”)、ダイコンは“蘿ト”
です。これらアブラナ科(十字花科)の蔬菜は実に多様です。畑にも、市場にも、食卓にも、様々な種や品種が溢れかえっていて、どれがどれだかまるで区別がつきません。はっきりしているのは、その大半が、アブラナまたはその近縁種、いわゆるナノハナの仲間だということです。筆者は、歴史や文化や風俗など人間との関わりでみた中国には全く興味がないのですが、春の菜の花畑の圧倒的な美しさだけは、理屈ぬきで感動せざるを得ません。「菜の花」と「中国」は、切っても切り離せない関係にある、といっても良いでしょう。
一方、レタスとその仲間の、中国での位置づけは、どのようになっているのでしょうか? 『ナノハナvs.タンポポ 』ですから、代表者どうしの「春の草花」としてのネームバリューは、負けてはいません。しかし、食用としての位置づけは、大きく異なります。ナノハナの仲間で食用とされるものは、上述したような極めて多くの、改良・育種され農地に栽培する“野菜”から成ります。イヌガラシやナズナやタネツケバナの仲間などの野草そのもの(あるいはそれらをいくらか改良したもの)を食用とする例も、あるにはありますが、膨大な量の栽培蔬菜を前にしては、ほとんど無いに等しいと言えます(ちなみに、中国語の「野菜」は日本でいうところの「山菜」を指し、「蔬菜」が日本でいう「野菜」にあたります)。
それに対し、レタスの仲間で食用になるものといえば、レタスやチシャ(レタスと同じ種で球状にならない品種群、“サラダ菜”はその代表)以外は、ほとんどが“山菜”(中国でいうところの「野菜」)です。まず、タンポポ自体が、栽培植物のナノハナと違って純然たる野生植物です。日本では、かつて食用として導入されたセイヨウタンポポ(現在は全土に帰化)の、根をコーヒーの代用に、葉をサラダにしていた由ですが、中国では、在来種のモウコタンポポ(日本には対馬に分布)が、同じように利用されています。
タンポポといえば日本で最もポピュラーな野生植物のひとつでしょう。逆に稀産種№1のひとつが、北海道・礼文島の断崖絶壁に固有分布するフタナミソウ。同属種は世界的な視野で見れば広域に分布し、ヨーロッパなどでは近縁属の種が“バラモンジン”の名の蔬菜として普及しています。中国でもフタナミソウと同属の種(Scrzonera albicaulis、中国名は“鴉葱”)が広く分布し、野菜(すなわち山菜)として利用されているようですが、栽培蔬菜までには至っていないと思われます(他にタンポポ族の蔬菜としては、ヨーロッパなどではポピュラーな青花のチコリCichorium intybus がありますが、日本や中国では余り見かけません)。
多くの種が春咲きのタンポポ族の中にあって、少数派の秋咲きの種が、レタスと同属の、アキノノゲシLactuca indicaや ヤマニガナL.raddeanaです。日本産の種としては、ほかに花が青紫色のエゾムラサキニガナとムラサキニガナ、黄花のミヤマアキノノゲシがあり、レタスL.sativaの原種と目されるユーラシア大陸西部原産のアレチヂシャL.serriola(別名トゲジシャ、花は黄色)も帰化しています。ヤマニガナの花も黄色ですが、アキノノゲシの花は、独特の淡黄色です(レタスの近縁種アキノノゲシの花色がキャベツのそれと似ているのは、偶然とはいえ興味深い事実だと思います)。黄色い草花が多い華やかな春の野辺と違って、どこか寂しげな秋の野辺では、アキノノゲシの淡黄色(クリーム色)は実によく目立ちます。また、アキノノゲシ、ヤマニガナ、別属のヤクシソウなど、秋咲きのタンポポ族の越年草は、しばしば古い茎が木質化するのも特徴で、繊細な春の各種に比べ、ずっとワイルドです。葉や茎も荒々しく、とてもレタスの近縁種だとは素直には思えません。
それはともかくレタスに最も近縁な野生種のひとつが、雑草といってもよい程どこにでも見られるアキノノゲシなのですが、これまで私は、そのアキノノゲシを(ブタやニワトリの餌用に改良された品種リュウゼツサイを除いては)積極的に食用とする例は、聞いたことがありませんでした。日本はもとより中国でも、蔬菜として普及しているタンポポ族の種は、せいぜいレタス(チシャ)やチコリ(キクジシャ=エンダイブを含む)どまり、と思っていたのです。
だから、広東省西南部の春陽市近郊で、畑という畑に、どこから見てもアキノノゲシそのものの栽培野菜(蔬菜)が植えられているのを目にしたときは、びっくりしました。
この文章は、実はリアルタイムで書いています。野菜(以下ややこしいので、栽培されているもの=中国でいう“蔬菜”=を日本流に“野菜”と呼び、食べられる野生種=中国でいう“野菜”=を日本流に“山菜”と統一)としてのアキノノゲシに出会ったのは10日ほど前。驚いたのと共に、レタスやアキノノゲシそのものには非常に興味があっても、前述したように人間社会にかかわることには興味も知識もまるでない筆者ですから、もしかしたら(というよりもかなり高い確率で)中国でアキノノゲシが野菜として栽培されていることを知らないのは僕ぐらいであって、実際には周知の事実なのではなかろうか?という思いが、頭をよぎったのです(今でも半分くらいはそう考えています)。
周知の事実であるにしろ、少なくとも日本では余り知られていない事であるにしろ、僕自身は中国の野菜について何も知らなさ過ぎるので、とにかく一からアプローチするしかありません。花序の部分(畑に咲いている薹の立った花)と市場で買った野菜としての葉を持ち帰り、深圳在住(桂林の山奥出身)の僕の(元)婚約者Shulingに教えを乞いました。名前は“苦麦菜”(現地で聞いた名は“麦菜”、“苦麦菜”は半野生のものや薹の立ったもの?)で、桂林でもいくらかは栽培している、とのこと。早速、深圳の街中のスーパーマーケットに行って探したのですが、レタスはあっても麦菜・苦麦菜は見つかりません。
次に本屋へ行き、『 中国野菜Chinese Potherb』という出版されたばかりの分厚い本(500頁余、図や写真も載っている)を手に入れました。中国の“野菜”についての詳しい記述を期待していたのですけれど、前述したように中国語の“野菜”は日本語の“山菜”です(そのことはこの本を買って初めて知りました)。キャベツやレタスなどの蔬菜は紹介されていません。そこで書店に置いてある蔬菜の本を片っ端から調べたのですが、麦菜・苦麦菜についての記述はどこにも見当たりません。
『中国野菜』の記述によると、山菜としてのアキノノゲシは“山萵苣”で、別名として“萵苣菜”“萵菜”“山生菜”“鴨子食”などが記されています。“鴨子食”はリュウゼツサイのことでしょう。手許にある日本の辞書(*1)では“萵苣”がレタス(チシャ)ですが、この地方(おそらく華南一帯)では、レタス(チシャを含む)は“生菜”と呼ばれています。従って、“山萵苣”“山生菜”は、ともに野生のレタスということになります。
(*1)萵苣Woju【植物名】チシャ。 萵笋:萵苣の変種で、太い茎を食べる。 巻心萵苣:レタス。
ほかにタンポポ族で山菜になる種としては、ニガナ属のニガナとタカサゴソウが、それぞれ“苦賣菜”“山苦菜”、ノゲシ属のハチジョウナとハルノノゲシが、それぞれ“苣萵菜”“苦苣菜”という名で紹介されています。それらを併せて考えると、タンポポ族の(うち草丈の高い)山菜の名は、“苣”“ 萵”“賣”の字が組み合わさって成されていて、野生のもの(おおむね苦いものが多い)には、“山”や“苦”の字が冠されます。気になるのは、この本(及びその他の辞書など)のどこにも、“麦菜”“苦麦菜”が出てこないことです(本の版元が北部の吉林省であることも関係しているのでしょうか?)。
今、再び陽春市に来ています。朝の町の中心街では、大袈裟ではなく行き交うほとんどの人が、麦菜の入った袋をぶら下げて歩いています。彼らのやってくる道を遡ると、大きな市場に辿り着きました(ちなみに、この市場の周りには、何人ものお婆さん達が座り込み、山菜~というより道端の雑草? ウスベニニガナ、オトギリソウetc.~を売っている)。その広い2階の全フロアが蔬菜売り場で、幾つもの小スペースに区切られたどの店先にも、麦菜が大量に並べられています。膨大な量の、麦菜・麦菜・麦菜、、、。2つのタイプの麦菜(のっぺりとしていて葉縁に細鋸歯があるタイプと、深い切れ込みがあり葉の質が柔らかそうなタイプ、後者は葉の基部が肉厚に肥大しているものが多い)、2つのタイプの生菜(外観が麦菜に似たチシャ状のタイプと、半ば球状に巻きかけたレタスに近いタイプ)、大抵この4点がセットになって並べられています。そこに、青菜・白菜・菜芯・甘藍などの“キャベツ・ナノハナ組”も加わるのですが、ここでは明らかに“レタス・麦菜組”が圧倒しています。
それらを買って帰り、食堂でその炒め物を作ってもらいました。僕には食べ物の味を表現する能力はないのですが、くせがなく、とにかく美味しいのです。炒め物になった生菜と麦菜は、見た目にも味も全く区別がつきません。ただし、生食できるのは生菜だけで、麦菜は生では食べられないとのこと。
陽春市の南端にある八甲という町(ここにきたのは別の目的、屋久島と華南の一角に隔離分布するホソバハグマの撮影)の旅館で夕食をとりながらこの原稿を書いているのですが、麦菜の話を持ち出すと、「この町(八甲)の特産だ」と言って、早速また炒め物を作ってくれました。特産は少々オーバーだとしても、この辺り(陽春市周辺?それとも華南一帯?)が麦菜の主産地であることは確かなようです。陽春の人々に『中国野菜』の“山萵苣”の図を見せても、色をなして「これではない!」と言われます。あまりにきっぱりと否定されるので、本当に“麦菜”がアキノノゲシの栽培品種なのだろうか?と、少々心配になってくるほどです。それに加え「野生は無い!」と言われることからも、よほど重要な野菜として、大事に育てられているのだろうことが知れます。
そこにいくと、桂林あたりでは“苦麦菜”と呼ばれるように、野生品と栽培品が混在する中途半端な状況にあるようです(Shulingの記憶によれば、深圳にも桂林にも前述の2つの麦菜のうち、のっぺりした葉のほうは存在せず、また、外観が麦菜タイプの生菜も“苦麦菜”と呼んでいる由)。この、のっぺりとした葉のほうの“麦菜”は、日本でいう“リュウゼツサイ(龍舌菜)”とそっくりです。同じものである可能性が高いと思うのですが、それにしてはこんなに美味しい野菜を、日本や中国の多くの地域では豚や鶏の餌としてしか利用しないというのは、一体どういうことなのでしょうか? 外観は似ていても含有する成分が異なる(分類群も異なる?)のか、本当は美味しく食べることもできるのだけれど、何らかの理由で野菜としての改良・普及が成されなかっただけなのか..... 。
台湾や福建省でも、日本と同様に路傍に生えるアキノノゲシの野生種を沢山見ていますが、栽培しているところを見た記憶はありません。華南(の一部?)では野菜として普遍的に栽培されているのに対し、おそらく中国の多くの地域では、野生種はあっても、野菜としては栽培されていないものと思われます。桂林や深圳の辺りは、その移行地帯なのかも知れません。
“麦菜”として栽培されている地域がどの範囲に亘っているのか? 本当にアキノノゲシの栽培品種が“麦菜”なのか?などの疑問については、これから解明していくつもりでいます。
アキノノゲシは、ユーラシア大陸東部(インドシナ島嶼部を含む)の極めて広い範囲で、普遍的に見られる種です。それらのうち、華南などの一部地域のみで栽培化が成されたのでしょうか? それとも、本来はそれほど広い分布圏をもつ種ではなく、栽培による分布拡大の後、大多数の地域では栽培が行われなくなって野生化したもののみが残った、と考えることは出来ないでしょうか? ユーラシア大陸西部における“アレチヂシャ~レタス”の広がりと併せ考え、ユーラシア大陸東部における“アキノノゲシ~麦菜”の広がりの実態には、多くの興味深い問題が含まれているように思えるのです。
2004年11月2~8日 広西壮族自治区陽春市にて記述
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以上が、今回の中国滞在中(2004年10月17日~11月10日)に見聞きし、知り得たことを、これといった基礎知識もないまま、現地でめくらめっぽうに書いたものです。
日本に帰って早速、“麦菜”について調べてみることにしました。おそらく様々な“周知の事実”であろう情報が追加され、上記の文章も大幅に書き換えねばならないだろう、と思っていたのです。
というわけで、図書館へ行き、大型書店へ行き、野菜に関する本を片端から当たってみたのですが、どの本にもチシャ・レタスについては、品種の紹介(サラダ菜、クキヂシャ、カキヂシャ、チリメンヂシャ、サニーレタスetc.....)をはじめ、その伝播の歴史、アメリカ・ヨーロッパ・中国・日本などにおける現状、栽培法など、痒い処に手が届くほど詳しく説明されているのに対し、予想に反して、“麦菜”“苦麦菜”についてはもとより、アキノノゲシをはじめとした東アジア産Lactuca属野生種に基づく野菜についての記述は、ものの見事に見当たりません。
東アジア原産の食用Lactuca属についての記述は、唯一つ、『世界の野菜』(養賢堂1989)という、やはり500頁余の大部の本(ほぼ学術書)のレタスの項目中に2行ほど、「中国原産の“インディアンレタスL.indica”が、中国南部地域では炒めものなどに利用される」とあるのを、かろうじて見つけました(L.indicaがアキノノゲシだとは気付かずに“インディアンレタス”と名付けた公算大)。
もうひとつ目に留まったのは、大場秀章著『サラダ野菜の植物誌』(新潮社2004)。生物学的な視点から、キャベツやレタスの歴史を解説した、とても良い本です。東アジア産Lactuca属の食用に関する具体的な記述はないのですが、「Lactuca属の種は互いに近縁で、交雑が起こり易く、種の区分が難しい」「将来、新たな品種改良が成される可能性が、大いにある」といった由の、“麦菜”の存在を暗示する内容が記述されています(大場先生、“麦菜・苦麦菜”について何か知っている事があれば教えて下さい!*2)。
【(*2)この数年後、大場教授にお会いしたとき、以前、陽春の真南にある海南島で植物調査を行った時に、やはりアキノノゲシを栽培化した野菜に出会った、他の地域での栽培化は記憶にない、という話をお伺いしました】
なお、中国科学出版社刊『中国植物誌』(第80巻、菊科舌状花亜科菊苣族=キク科タンポポ亜科タンポポ族)では、アキノノゲシはLactuca属ではなく、Pterocypsela属に移されて、P.indicaとなっています(レタスはそのままLactuca属)。漢名は“翅果菊”ですが、これは新しく作られた学術書用の名。Pterocypselr属をLactuca属から分離する根拠とした、翼状の種子に基づくものです。
別称として示されている“山萵苣”“苦萵苣”“野萵苣”“山馬草”が事実上の中国名で、前述した『中国野菜』の記述と概ね符合します。“麦菜・苦麦菜”の記述は、狭義のLactuca属を始めとする他の近縁属の種を含め、やはり見当たりません。
ここまで書いてきたところで、『中国野菜』を読んだ当初から、ずっと気になっていたことを確かめてみることにしました。すなわち、書物には一切出てこない、華南(の一部?)における蔬菜としてのアキノノゲシの呼称“麦菜・苦麦菜”と、各文献に示されている、アキノノゲシ属(ヤマニガナ属)に近縁のニガナ属やノゲシ属の種名“賣菜・苦賣菜”は、同義なのではないのだろうか? ということです。手許の辞書をひもとくと、“麦”と“賣”は隣り合って載っています。それもそのはず、発音が全く同じなのです(尻下がりに“マァイ”、ちなみに同じ“マァイ”でも“買”は語尾が上がる)。もとより意味は全くちがっていて、それぞれ日本語の“むぎ”“うる”に相当し、両者を繋ぐ意味合いは、どこにも見当たりません(偶然でしょうが、“賣”の簡体字は“麦”にどことなく似ていて、私が両者の結びつきを思いついたのは、意味でも発音でもなく視覚によるものです)。
それでも、それぞれの語の熟語の中に一つぐらいヒントになる意味が含まれていないだろうか、と辞書を眺めていたら、ひとつありました。麦の収穫期をさす“麦秋”(秋と言うより夏に近い季節だそうですが)。“麦菜”は夏から秋にかけて収穫シーズンを迎える蔬菜の代表、ということなのでしょう。メインの栽培地である華南(の一部)では、野生のレタス、すなわち“山萵苣”“山生菜”といった脇役的な存在なのではなく、“麦菜”と言う独立した存在の主役の蔬菜であるわけです。深圳や桂林あたりまでは、メインの産地ではないにしろ栽培野菜としての影響は及んでいるので、野生種ともども“苦麦菜”と呼び習わしているのに対し、そのほかの大多数の地域では、あくまで山菜的感覚の、野生のレタス“山萵苣”“山生菜”でしかないわけです。そして(全くの推察ですが)意味を失った“麦”の語が“賣”に置き換えられ、典型的な山菜でより小ぶりのニガナ属の種などに当てられた(“苦賣菜”etc.)とは考えられないでしょうか。
最後に、『中国植物志』のタンポポ族の分類について、簡単に述べておきます。痩果の形状を重視することなどにより、属と種の組み合わせが、従来のそれとは大きく異なっています。ヤマニガナ属の関連では以下の通り。
・Lactuca属からPterocypsela属を分離。前者は主にユーラシア大陸西部に繁栄(中国ではチベット・ウイグル・雲南などに4種が分布)。後者は主に東アジア産で、中国産は次の7種。
① P.indica
② P.laciniata
①はホソバアキノノゲシ、②はアキノノゲシに該当し、従来の見解ではせいぜい品種関係に置かれる程度。日本本土産は葉が深く切れ込む②が中心となり、屋久島産は私が知る限りすべて葉の細長い①。『中国植物志』によれば、中国では両者は広い範囲に混在し、朝鮮半島には②のみが、海南島、フイリッピン、インドネシア、インドにはそれぞれ①のみが、分布地として記されています。
③ P.triangulata
ミヤマアキノノゲシ。中国北部・東北部、東シベリア、本州中部山地。
④ P.sonchus
中国固有種、貴州・湖南・四川各省の一部。
⑤ P.formosana
中国名“台湾山苦賣”。台湾産のLactuca~Pterocypsela属は本種のみ。中国大陸にも北部を除き広く分布。痩果の概形はP.sonchusに近い。
⑥ P.eiata
⑦ P.raddeana
⑥はヤマニガナ、⑦はチョウセンヤマニガナ。日本の文献では両者を変種関係に置く。⑥は日本各地をはじめ、中国大陸に広く分布。痩果の形が異なる⑦は、主に朝鮮半島~中国大陸北部に分布するほか、九州北部、四川省、福建省などからも記録がある。屋久島産、ベトナム産も⑦とされている。
・従来Lactuca属に含められていたエゾムラサキニガナは、1属1種のLagedium属へ(Lagedium sibiricum)。中国名“山萵苣”または“山苦菜”。北海道、中国大陸北半部を含む、ヨーロッパに至るユーラシア大陸温帯域に広域分布。
・やはり従来Lactuca属に含められていたムラサキニガナは、中国に15種が知られるParaprenanthes(ニセフクオウソウ=假福王草)属へ(Paraprenanthes sororia)。中国名“假福王草”または“堆萵苣”。日本(本州以南)、中国大陸南半部などに広く分布。
・Ixeris属を2分割し、Ixseris(ニガナ=苦賣菜)属とIxeridium(コニガナ=小苦賣菜)属に。両属の種は、いずれも小さな草本で、蔬菜化にはほど遠いと思われます。
2004年11月17~21日 東京および鎌倉市にて記述
≪使用写真≫(注:見つけ出すのに時間がかかるため今回は割愛、見つかり次第掲載します)
・陽春市圭岡の麦菜畑(4枚)
・陽春の市場の生菜と麦菜(3枚)
・料理した麦菜と生菜
・麦菜を買って帰る人々
・市場周辺の雑草売り
・陽春市八甲の麦菜畑
・麦菜の花(拡大)
・アキノノゲシ(兵庫県/屋久島/福建省)
・ヤマニガナ(屋久島)
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2005年10月20日 追加記事
東洋のレタス麦菜(栽培アキノノゲシ)に関する記事を、昨年11月21日の時点で一応まとめた後も、暮れから正月明けにかけ、西安や雲南省の各地を回って来ました。各地で新しい情報を得たり、インターネット検索を行ったりしていたのですが、なんと!――――――パソコン故障の為、撮影した写真の多くと、それら新たな情報の大半が消失してしまった―――――――。ということで、しばらくの間、麦菜の探索も、やる気を失っていたのです。
もっとも、その時(2005年1~2月)のインターネット検索では、特にこれといった情報は見つからなかったのですけれど、一年近く経ったことですし、新しく購入したパソコンでのインターネット操作方法もやっと分かってきたものですから、改めて検索をかけて見ることにしました。
苦麦菜20万件強(苦菜・麦菜を含む.....なお、野菜=料理の素材としての一般名称は「油麦菜」らしく、おおむねこの名前で紹介されていますが、少なくとも活字本ではこの名前でもほとんど登場しない)。でも実質的には、、、、。
中国語で検索(最初の数100件)した“麦菜”が記された地域を羅列して見ると、桂平市(広西壮族自治区東南部で陽春の北西約200km)で新品種が開発されたという情報、次いで高州(特定できず、陽春の近くの町らしい)、広州白雲山(同・北東約200km/広東省)、肇慶(同・約100km/広東)、梧州(同・北約150km/広西)、東莞(同・北北東約220km/広東)、深圳(同・東約240km/広東)、東平(特定できず、広東省の北隣の江西省、この中では最も離れている)、と続き、大半は市場情報です。この地域(陽春から半径数百kmほどの中国南部)に縁の深い野菜であることは確かなようです。
日本語検索は4万件近くがあり、ざっと目を通したところ、野菜の“麦菜”とはほとんど直接の関連はない例が大半です(苦と麦でビール関連多し)。しかし、幾つかは“麦菜”について触れた記述も見付けることが出来ました。
●『日々是ナヲチ』(主題は政治、2005年3月のサイト)
“「生菜」はレタス、「白菜仔」は青菜の1種、「油麦菜」は......不明です。”
といった記述があります(農薬公害に関連する話題)。
●『上海しーすー日記』(2005年4月のサイト)
“中国野菜「油麦菜(ヨウマイツァイ)」は、レタスのような柔らかい葉物です。食べ方としては、炒め物、お浸し、汁物の具にも合います。”
「麦菜」で検索すると120万件強、日本語検索が30万件、おおむね苦麦菜・油麦菜と重なり、似たり寄ったりで、ほとんどは“麦菜”とは全く無関係な情報ばかりですが、ごく稀に広州料理の関係などに(上海料理にも)記述が見られます。
●『上海のお昼ご飯!薬膳』(2005年8月のサイト)には、
“油麦菜は夏になるとどこにでもある。レタスのようなシャキシャキな葉茎だが、苦味はそれほどなく甘い。”
桂林近郊のスーリンの実家では、秋でなく夏に収穫される、と聞いたのと符号します。花期は秋~冬でしょうが、収穫は夏なのだと思われます。冬の西安でも(はじめに述べたように写真・詳しいデータとも消失)食堂で食べることが出来ました。各地に広く出荷され消費されているものと思われますが、仮に限られた地域のみでの栽培となると、出荷や消費のシステムや絶対量はどれくらいなのか、知りたいところです。
●『「人民中国」13億の生活革命(28)農家と食卓を彩る「緑色革命」』で紹介されている、雲南省呈貢県梅子村(昆明近郊)の農民についての話。
“現在、村のビニールハウスでは、一年に三回も四回も収穫可能で、成長期間が最も短い油麦菜(青菜の1種) 〈青山注:これは間違いで、油麦菜は青菜の仲間(=アブラナ科)ではない〉 は40日で収穫できる。こうして野菜農家の収入は著しく増えた。”
この野菜の新たな人気ぶりを裏付けているように思われます。
麦菜(苦麦菜・油麦菜)の実態については、まだまだ分からないこと(あるいは、ほかの人が知っていても、僕だけが知らないこと)だらけなのです。
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それから5年余が経ち、久しぶりにこの未発表草稿(および追加記述)を引っ張り出し、改めて麦菜(苦麦菜・油麦菜)について考えて見ることにしました(ネット検索はまだ行っていないのですが、何か分かれば後で追加報告する予定です)。
その後も、中国各地(と言っても、広東・広西・雲南・四川・重慶・陝西・湖北など、おおむね長江流域以南の中~南部で、北京など北部の状況は全く不明)の食堂で、麦菜に出会っています。大きめの食堂に行った時は、まず油麦菜を注文するのですが、案に反して、ちゃんと出て来くることが多いのです。以前はともかく、少なくとも現在では、かなりポピュラーな野菜であるようなのです。
栽培地域はまだ限られているけれど、全国に流通しつつある、ということなのでしょうか? ただし、中国南部以外の各地でも、油麦菜ではないだろうかと思われる野菜の栽培を、しばしば見かけます。最近になって、広東以外の地でも、急速に普及しつつあるのかも知れません。それとも、僕を含む日本人が知らないだけで、実際には以前から中国の各地で普遍的に栽培されていたのでしょうか?
それにしても、中国でも活字本に登場しない(中国各地の書店で「野菜=中国語での蔬菜」に関する本を見付け次第チェックしているのですが、麦菜・油麦菜については全く記述がないか、ごくローカルな野菜として紹介されている程度)のは不思議です。やはり、本来は極めてローカルな存在であり、最近になって急速に普及しつつある、と考えるのが妥当なのではないかと思っています。
左から生菜(レタス)・苦麦菜・油麦菜 深圳のスーパーにて
野生のアキノノゲシの花と葉(いずれも屋久島)