★記事の後半部分が抜けていたので、追加しました。4月1日
読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*毎回(リンドウの項目奇数回)のブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けることにします。
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「ほぼ書き終えているけれど、ブログにアップしていない記事」が大量にあるので、それをどのように処理していけば良いか、いつも考えています。“ほぼ”というのが、一番困るのですね。書いているときはイケイケなのですが、一息ついて読み返すと、なんか違うな、、、と。
そういうのが無数にあって、何処に収めたのか、パソコンの中から探し出すのが大変。
で、どんどん後回しになって、行方不明のお蔵に溜まって行きます。
「アメリカン・ポップス」と「明治文学」関係には、特に多い。
大作の一例を挙げると(もう繰り返し何度も予告していますが、笑)
『A Short Story of The Cadence Record』と題してスタート、いつの間にやら「ショート・ストーリー」じゃなくなり、1954(53)年~1963(64)年にリリースしたシングル盤212枚A/B両面の全曲解説などに取り組んで、それもほぼ終わり(大半の曲はユーチュブから見つけ出せる、音源が無くても最低限の情報を探す)、更にアルバム解説とかに手を付けて、、、、いつに成ったら日の目を見るのか?
斎藤緑雨の話題も書きかけたままです。どんどん枝葉が広がって行って、収拾がつかなくなっています。
文学、ということで言えば、ぐっと新しいところで(僕より20歳近く若い作家の)酒井順子さんの著作『金閣寺の燃やし方』。これ、最初に読んだとき“やられた”と思いました。いわゆる「ギヨウ」を感じた、という事なんですが、、、以前にも触れたのだけれど、この言葉がいくら手繰ってもパソコンでは表示されないんですね。いやもう本当に腹が立ちます(そんなことでいちいち腹立ててたら生きていられませんが、笑)。やっと出てきたのがこれ↓
技癢ぎよう
でっかく振り仮名付きで、、、なんとかならんでしょうか。
もう一つ見つけました。こちらは略字。
Akizukidさんという方の、「シリアルなポップな日々」というブログ(2008年)からです。
>年2回の芥川賞の発表を迎え、自分と同世代の誰かが受賞したりするとギヨウを感じます。
>ギヨウって漢字がわかりません。
>これは森鴎外が「舞姫」を発表した際に夏目漱石が感じた感情です。
>ギヨウ。
>ザウルスSL-C1000の辞書にはありませんでした。
>技痒。伎【養に病だれ】。
と、記されています。
↑しかし(細かい事ですが、笑)間違ってますよ。
逆ですね。
これは“夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表した際に森鴎外が感じた感情”です。
ただし、これも以前指摘したことですが、確かに、漱石は鴎外の「舞姫」にギヨウを感じていたらしい。子規とのメールやり取りでそれを知ることが出来ます(ギヨウという言葉を使ったかどうかは不明、たぶん使ってない)。メールに書かれた言葉が分からない、というのは、残されている往復書簡の、何故かその部分だけが欠落しているからです。子規に「そんなのを褒めちゃいかん」と怒られたそうで、、、その時、もし、怒られていなければ、漱石も発奮して小説書きに取り組み、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」の15~6年前から、大作家として君臨していた可能性があると思います。
因みに、(唐突ですが)三四郎はお初さんと、純一は雪子さんと、それぞれ結婚したのでしょうか?100年以上前のことですが、ずっと気になっています。
「金閣寺の燃やし方」に話を戻すと、これほど完璧な文芸評論には他に出会ったことがない。何度も読み返して、「なるほど」と納得する事ばかりです。そのたびに、ギヨウどころか、自信喪失しているのです。具体的なことは、いつか書きます。相当長くなります。
ということで(この語句は便利ですね、笑)、とにかくリンドウを終えてしまわねば、先に進めません(次回は、一見リンドウらしからぬ花姿の、ハナイカリ属です)。
なんの因果でリンドウなんかに取り組みだしたのか、と思うと、それも腹立たしいのですが。
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今日のネット・ニュースから。
アイルランドでは、溶岩噴出中の火山の横でバレーボールしてたり、溶岩の岩でホットドック焼いてたり、、、。
大阪は、エスカレーターの片側歩行禁止条例を作った、と(どうやら僕の住む青梅線も禁止になったらしい)。
日本は、ほんとうに「美しく優しく従順な立派な国」ですね。
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前回文章の訂正。
マンションはオブじゃなくオンです(単純誤記)。
因みに、フランキー・ヴァリの「君の瞳に恋してる」は、オブじゃなくてオフ、こちらは暫くわからないでいた(ニュージーランドのルイスが教えてくれた)。
それと、レイ・チャールズの「ファッド・アイ・セイ」は、トじゃなくてド(これはラオスで会ったドイツ人のおっちゃんが教えてくれた)。
それらの事を知るたびに、自分の語学力の貧弱さを痛感して、凹んでしまうのです。
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ネット社会を遮断し、対人関係を拒否して、エーゲ海の小さな島の山のてっぺんの洞穴に籠っている三世から、久しぶりに(無事を知らせる、、、、この状態のどこが“無事”なのか、笑)メールが届いた。
モニカからもメールが来た。中国は“everything is back to normal”と。
一段落着けば、ギリシャに行こうか、中国に行こうか、、、どっちにしろ、日本からは早く脱出したいです。