「社会の窓から」
最寄り駅の駅前ビルの5階に、屋上野外銭湯(スーパー温泉)があります。入浴料は普通の銭湯の倍近くしますが、普通の銭湯に行くための電車賃を考える(風呂代+往復電車賃=880円)と、むしろ安くつきます(860円)。
昨日は、年に一度の「スペッシャル割引日」500円の入浴料、ということで、虎の子の財産を叩いて、久しぶりに風呂に漬かりました。
浴槽の周りには、様々な季節の植物が植えこまれています。今は冬ですから、目立った花は見当たりません。その中にあって、ひときわ目を惹くのが、背丈の倍ほどもある大きなヤツデ。ちょうど満開の時期です。花の一つ一つは小さな薄卵色で全く地味なのですが、ぎっしりと咲き誇っている様はなかなか見事です。
バラン、ソテツ、ツワブキ、オオムラサキシキブ、アオキ、オオカメノキ、クロガネモチ、コハウチワカエデ、ヤマツツジ類(サツキほか)、ジャノヒゲ、、、、、とりあえず思い出せるもの(正確な同定ではない)を列記しましたが、他に見落としているものも含め、概ね園芸品ではない野生種が中心のようで、趣深いです。
この面子は、屋久島(落葉樹は山上部)や三島列島、トカラ列島などの植生に被ります。殊に、屋久島の西北60㎞余に浮かぶ、三島列島黒島の植生とそっくり!
屋上野外浴槽の周りにはバラン(ハラン)の濃い緑の葉が目立ちます。バランは、お寿司や弁当の中仕切り「縁がギザギザに切り込まれた緑の葉(現在では通常セルロードの模造葉が使われている)」で、一般の人達にも馴染みの存在だと思います。
けれど、この植物の由来、野生地がどこにあるのか、などについては、長い間、謎でした(ある意味、今でも謎のままです)。都市のビル脇や公園で最も普通に見かける超ポピュラーな植物ですが、野生ではありません。そして、その野生地は、どこにも見当たらない。そういった場合、「古い時代に中国大陸から持ち込まれた」と、(何の根拠もなく)結論付けられてしまうのが普通です。バランもその例外に漏れませんでした。
ところが、どうやら、中国にも野生していないらしい。中国の文献には「古い時代に日本から持ち込まれた可能性がある」など、日本の文献とは正反対の指摘がされていたりします。
そういえば、僕がチェックした限りにおいては、中国の都市の街角や公園では、日本と同じバランを見かける機会は、ずっと少ないような気がします。もっとも、バラン属の野生種は、中国南部や台湾、東南アジアの各地に多数の種が知られていて、それらの中に「バラン」そのものの野生種が含まれている可能性も否定できませんが、これまでの文献にはそのような指摘は為されていませんし、僕自身、台湾や中国南部で出会った野生種も、明らかに日本のバランとは異なる種でした(都市で植栽されているものも異なる野生種に由来している可能性大)。
日本にも中国(を含めた東南アジア諸国)にも分布していないとなると、野生種はどこにあるのか?
実は、三か所から野生群落が確認されています。南西諸島の北端付近に位置する3つの島。北から、無人の宇治群島、三島列島黒島、トカラ列島諏訪瀬島。
この一帯は、生物地理学的にも文化人類学的にも、非常に興味深い地なのです。時間レベルで言えば、前者が数100万年単位、後者が数1000年単位。日本列島、琉球弧、中国大陸、、、との絡みで、おそらく想像もつかないような、様々な出来事が繰り返され、今に至っているはずです。
黒島のバラン群生地は、島の中央の山地帯の照葉樹に覆われた原生林中に有ります。「日本で一番好きなところはどこですか?」と問われれば「黒島のバラン群落地」と答えるほど、気に入っているところです。
植生の面子が素晴らしい。僕のメインテーマの野生アジサイでは、分布北限(といっても分布域自体が狭い範囲)のトカラアジサイ、南限近くのヤマアジサイ(屋久島山頂部にも分布)、三島列島黒島とトカラ列島口之島に、本州中部と台湾山岳地の南北から飛び離れて分布するタマアジサイ(トカラタマアジサイ)。分布南限のスズタケ(屋久島には分布しない)。分布北限のリュウキュウテイショウソウ(屋久島には分布しない)など。トカラ火山列島(三島列島・口永良部島・トカラ列島)固有種のトカラカンアオイ、それに準じる分布域をもつマルバサツキ(園芸植物「サツキ」の一方の親)。着生するオオタニワタリやへゴ、、、。
黒島とバランの話題は、これで打ち切ります。話していけば、単行本数冊分ぐらいになってしまうので(笑)。
屋久島から、東シナ海を真西に向かって最初に上陸する陸地が、中国浙江省・舟山諸島の岱山島です。諸島の北端で、同時に香港西方から弓状に東北方面に、大陸にへばりつく様にして連綿と繋がる「中国大陸南半沿岸諸島」の北端に位置するのが、岱山島の北東の花鳥島。東シナ海を隔てて黒島の真西に当たります。ちょうど、八重山諸島から大隅諸島に至る日本の南西諸島と対を成すように、香港から上海にかけての中国大陸南縁の島々が連なっているのです。ちなみに、舟山諸島の北方対岸が、上海市の南縁で、僕がよく在住している「芸術家村」は、そこにあります。
岱山島には、11年前の元旦に訪れました。失恋直後の最初の旅だったので、格別な想いがあります(笑)。春には、舟山島の調査も行いました。照葉樹林と夏緑広葉樹林が混在する、なかなか魅力的な環境で、誰かじっくりと腰を落ち着けて(南日本との比較において)調査を行えば、興味深い成果が結構出てくるのではないかと思っています。
これらの島々(南西諸島や中国南半部沿岸諸島)で僕が当面興味を持ってる対象の一つが、ツワブキとヤツデです。バランと違って日本の暖地で広範囲に普遍的に分布している、ごくポピュラーな植物です。しかし、属単位でみると、アジアの南部に数多くの種が分布しているバラン属とは対照的に、それぞれ「ツワブキ」「ヤツデ」の一種が、日本の南部を中心とした(大局的に見た場合)ごく限られた地域に分布する、という正反対の構図になります。
ツワブキ属は、日本の南半部沿岸地域から、中国東部~南部の沿海地域にかけて分布するツワブキと、屋久島・種子島固有種のカンツワブキ(種子島産は屋久島産と形態的にも相違し絶滅寸前)の2種からなり、前者のうち、南西諸島中~南部産を変種リュウキュウツワブキ、台湾産を変種タイワンツワブキとします。中国大陸産との関連性は、よく分かっていません。カンツワブキは屋久島ではツワブキと混生し、両者の種間雑種も生じますが、形態面での両者の差は極めて大きく、思いのほか類縁は類縁は離れているかも知れません(血縁的な距離と稔性は必ずしも一致しないというのが僕の考えです)。将来、膨大な種数を擁する広義のキオン属のなかに、ツワブキ属と類縁を持つ種が見出される可能性もありそうです。
ヤツデ属も、日本の暖地沿海地域に広く分布するヤツデと、小笠原諸島に固有のムニンヤツデの2種から成ります。南西諸島中~南部産をヤツデの変種リュウキュウヤツデ、台湾産を変種タイワンヤツデとします。ただし、基準亜種との明確な相違点や、どの地域で分かれるか、などの詳しいことは不明です(黒島産の外観はリュウキュウヤツデに似ている)。中国大陸には野生しないことになっていますが、僕は明らかに野生と思われる中国のヤツデに複数地域で出会っています。別属の(外観的に著しく異なる)セイヨウキヅタとの間に雑種が形成されるほか、それぞれやはり別属の、フカノキ属やコノテガシワ属とも関連性があるように思われます。
いずれにしろ、日本の暖地のごくポピュラーな野生植物であるツワブキやヤツデは、中国の暖地でも極めて普通に見ることが出来ますが、それらが野生種(または現地野生に基づく栽培)なのか、日本から導入されたものなのか、などについての情報は、ほとんどありません。
他にも、日本の暖地から、南にぐるっと回って東シナ海対岸の中国大陸中~南部沿海地域に至っている植物は、少なくないと思われます。マイナーなところでは、先にも述べた、黒島を分布北限とする(屋久島には分布しない)オキナワテイショウソウ(リュウキュウハグマ)などもそのひとつですね。
南回りでなく、南西諸島中・北部から、九州・朝鮮半島・中国北部を経て中国大陸東~南部に至るパターンや、北も南も含めて、東シナ海をぐるりと取り囲むように分布するパターンもあるかも知れません。さらに広い視野で見渡せば、西はヒマラヤ地方から中国大陸内陸部を経て、東縁が日本列島となる多くの生物も、それに準じるでしょう。
そのような視点から、日本、中国、東アジアの生物相を捉える場合、東シナ海の西岸地域の生物の日本(日本本土・南西諸島)との関わりが重要になってくるはずなのですけれど、意外に調べられていない、というのが現状だと思われます。