青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

斎藤緑雨 つづき

2022-01-01 09:19:02 | コロナ、差別問題と民主化運動、明治文学


★12月31日の記事に、いいね!その他、ありがとうございます。



読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

・・・・・・・・・・・・

緑雨が一般に知られているのは、(5000円札の)一葉の盟友としてですね。一葉の緑雨評は「敵に回しても面白い、味方に付けば猶更面白い」。これほどの賛辞は無いでしょう。

24歳で亡くなるまでつけた日記の最後の一文は、「正大夫(緑雨)の気持ちもわからぬではないが、、、、」そこで途切れています。「三人冗語」の話とか、ひいては日清、日露の話とかにもかかわってきます。

緑雨は貧乏な一葉に輪をかけて貧乏だったらしいのですが、どこからどう工面したのか、一葉亡き後の家族(一葉の母と妹とその御主人)の一切の面倒を見ています。結局緑雨も病と貧乏には勝てず瀕死するのですが、一葉から預かっていた日記を、友人の馬場孤蝶に託します。

弧蝶は、鴎外や露伴の意見も聞いたうえで、日記を公開します。名前を出され悪口を言われて困惑した人も沢山いたらしい。逆に島崎藤村などのように名前の欠片も出されなかった人のガッカリ度も半端なかったそうです。一番戸惑ったであろうのは、日記の最初から最後まで一方的な想いで埋め尽くされ、日記を読んだ他の文人から“何でこの三流作家が、、、”と言われなき嫉妬の集中砲火を受けた半井桃水でしょうね。

日清・日露の戦勝は、日本の大衆の共有アイデンティティとして意識に埋め込まれています(明治末年生まれの僕の母も何かにつけて誇らしげに“日清日露”と言っていたことを覚えている)。

日清の戦勝と来るべき日露の戦いを前にして日本の大衆は高揚していました。緑雨は大衆やメディアに背を向けて、明確に反戦の立場をとりました。しかし叫びはしなかった。緑雨晩年の最大の理解者であった幸徳秋水は「大逆罪」で刑死するわけですが、もし緑雨がその時代まで生き延びていたら、どうなったのでしょうか?(そのとき鴎外は助けの手を伸べてくれただろうか?)

緑雨は、露伴とはむろん、鴎外に対しても生涯良好な関係を築いていたようです。立場も手法も全く異なるのですが、一方に寄ることを良しとせず、基本的には「傍観者」に徹した(それに関しては漱石も同じだし、以前書いた広津柳浪なども同じスタンスを取っています)。

ただし、鴎外は姑息でつまらん男ですね(長生きした晩年の露伴もそう言っているし、笑)。こいつが(注:僕は大好きですが、それはそれとして)漱石と並ぶ文豪として評価される理由が分からない。

大逆事件での鴎外を“2重スパイ”であると見做す意見もあります。僕に言わせれば、そんな大袈裟なものではありません。単に姑息なだけです。

鴎外は、基本的な部分では秋水の思想(反戦論)を肯定しているものと思われます。しかし、その取り組み方や姿勢に対しては否定している。じゃあ、どうすれば良いのか。そこまで踏み込まないのです。踏み込めないのか、踏み込まないのか、、、。結局のところどっちつかずの立場に立って、「大塩平八郎」とかを書いて煙に巻こうとしている。

何かにつけて煮え切らないくせに、やたらと威張り散らしている。実は自分に自信がなくて、いろんな面での才能がないことを自覚しているのです。でも対外的には(世間がそうは思わないことを自分に対する言い訳として)天才・秀才とされる自分を受け入れている。つまらん男です。まあ、僕としてはそこに魅力を感じないでもないのですが。

漱石も、直接的には「大逆事件」には言及していません。つまらん男、ということでは、似たり寄ったりなのかも知れない。

漱石は、ほぼ一生を通じて、選挙には無関心だったようです。というよりも、制度そのものを否定していたように思われます。鴎外とは違って、自分の主張は持っています。

しかし、死の前年に、初めて投票に行きました。投票どころか、選挙参謀を自分から名乗り出ている。馬場孤蝶が衆議院選挙(東京選挙区)に参戦したからです。遅きには失したのでしょうが、秋水への弔いです。

漱石最晩年の選挙活動については余り知られていません。読んでみると、孤蝶の立候補には、めちゃくちゃ入れ込んでるのですね。いろいろ企画を立ち上げ、応援演説を行い、資金繰りのために80人余の作品を纏めた「現代文集」まで急遽出版して、その巻頭に自分の評論を掲げている。

その評論「私の個人主義」は、許はと言えば(ある意味“権力の出発点”でもある)学習院の雑誌に依頼されて書いたものだそうです。それを、孤蝶の応援評論集の目玉に持ってきた。

(大衆が無意識に旗印とする)「集団性利己主義」の対極が、「私の個人主義」です。

結果。孤蝶の得票数は、、、、23票。

それが大衆です。

当時の漱石の人気は、それはもう凄いものだったはずです。一年後に逝去した際は、ほぼ国民葬と言ってもよい大イベントになりました。孤蝶にしろ、連れだって京都府議選で立候補した与謝野鉄幹(99票で揃って討ち死)にしろ、それなりに尊敬を受けているはずの著名人です。にもかかわらず、たったの23票。

それが大衆なので仕方がないのでしょうけれど。

確か以前にも書きましたが、某知人(地方の会社の社長)から、こんな忠告を受けました。

>青山さんの、中国共産党に対する考え方がどうしても私には受け付けられません。エビデンス(証拠)が無いからと言って中国共産党側に着くような発言は、大自然の素晴らしさを切り取りそれを世間に伝えようとする真摯な青山さんの感性とは、真逆の態度だと感じています。少し目を覚ました方がいいのではないかと思ってしまいます。

それが大衆なんですね。

・・・・・・・・・・・

ネットニュースから幾つかの話題を拾っておきます。

『プーチン/バイデン電話会談』

Juji*****さん
>ウクライナがNATOに加入するかどうかは、その国の権利。それを阻害しようとするのは、人間で言えば強盗のようなもの。決して許してはならない。
[そう思う3/そうは思わない1]

milk*****
>その国自体が、異なった価値観をもつ集団で成り立っているんだよ。そんなきれいごと(一方の正義の押し付け)で成り立つ問題ではないと思うけれど、、、。
[そう思う0/そうは思わない0]

・・・・・・・・・・・・

『香港独立系メディアの「立場新聞」閉鎖へ‐警察が幹部らを逮捕』Bloomberg

コメント群は、もちろん金太郎飴状態です。

↓その中に、こんな皮肉コメントもあったです。

>早々に香港脱出した方がいいな。シンガポール、ロンドン、アメリカ大陸、日本にも全財産を持ち込んで高級マンション買ってください。
[そう思う35/そうは思わない5]

上手い!

milk*****
>香港人、金持ちだもんね。貧乏な中国人と一緒に住みたくないもんね。
[そう思う5/そうは思わない3]

・・・・・・・・・・・・・

『“まるで文化大革命”、、、コロナ禍に密入国を斡旋し、晒し物に-広西壮族自治区(TV朝日系ANN)』

なんでもゼロリスクは日本人の悪癖*****さん
>【要旨を要約】逆に思ったのだが、警察当局のこの「見世物」に、批判的なことを言っても大丈夫な自由があるんだね?日本でこんなことやったら(中略)この犯人らを批判する声がネット&リアル双方で上がるだろうから、「見世物」にするかどうかの違いだけであって、見ている人民の感じるところは、大差は無いのかな?、、、と。
[そう思う22/そうは思わない15]

typ*****さん
>中国では人権が無いどころか、日常的に人権弾圧・侵害を行っている独裁国家なんだから、法律はあっても共産党の指示によって国民の不平不満を抑え込む道具に過ぎない。私は中国人なんだけれど、中国の真相・深層って本当に想像を絶する汚くえげつない。
[そう思う17/そうは思わない2]

milk*****
>僕は、typさんとは逆に、日本人なのですが(中国には野生生物の調査・撮影のため35年間に亘り行き来しています)、確かに、中国が「弾圧・侵略」を行っている独裁国家であることは承知しています。が、日本(や香港など)の民主主義社会が、本当に「自由」であるか、と言えば、そうは思わない。大衆が共有する「空気」に沿わない人間を排除しようとする、無自覚の同調圧力を伴う「正義」の強要は、中国の一党独裁政権下での、暴力よりも、ずっと恐ろしいと感じています。
[そう思う9/そうは思わない1]

・・・・・・・・・・・

『草彅剛が語るタモリ76歳の姿』 文春オンライン

>プラタモリは好きで毎週見ています。草彅氏の「ナレーション」は、耳障りな声と、、、(以下略)

このコメントに、大喜利状態となっています(コメ主がお詫びの訂正出してる)。

milk*****
>僕は、コメント欄でいちいち誤植を指摘する傾向に、違和感を持っている人間ですが、この場合は、ちょっと違うかもしれないですね。 可能性は2つ。 ➀単なる打ち間違い。 ②この表現が最近(肯定的な意味で)日常的に使われ出している。 たぶん➀なのだと思いますが、コメントの中には②の可能性を指摘するものがありました。言葉に新しい解釈が生まれることは、必ずしも悪いことだとは思いません。しかし、往々にして「新しく出来た言葉の解釈」のほうが正しくて、元の意味が(結果として)間違っているように受け取られる方向に進んでしまうことが、垣間見られます。そのことに、少しばかし、懸念している次第です。
[そう思う118/そうは思わない9]
*何故か僕のコメントがウケていて、、、こんなところでウケても、、、、。

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書いておきたいことがあったのだけれど、トイレに行っている間に忘れてしまいました(;´д`)
今年のブログはここまで、ということで。


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なぜ、コロナに感染しちゃいけないのですか? 「香港デモ」と「新型コロナウイルス」 補遺

2021-05-12 21:20:16 | コロナ、差別問題と民主化運動、明治文学


★5月11日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。


読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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今日のブログ記事は、前々回の「つづく」を受けて、その後半の『「香港デモ」と「新型コロナウイルス」~“陰謀論”の本質を考える』を書く予定でした。しかし想うところがあって二つに分け、「後半の前半」を『「香港デモ」と「新型コロナウイルス」~“現代ビジネス”との軋轢の経緯』として、分割掲載することにしました。しかし、更に想うところがあり(突然の思い付きですが、笑)、「後半の前半」にもう一つ「前半(補遺)」を付け加えることにしました(「補遺」が本文の先に来ちゃいます)。

イミグレーション出入国時に、申請用紙に記入しますね。チェック✓欄があります。全部、是(はい)か否(いいえ)か、どちらか一方に✓(質問の方向性を受け止め間違えて、うっかり反対側に✓を入れる人が結構いそうだけれど、そういったのは“勘違い記入”との判断でスルーされちゃってるんだろうな)を入れれば良いわけです。

あの自己申請✓が、どうにも解せません。「危険なものを持っていますか?」と言われても、「持ってます」と答えるわけないでしょう? そもそも、そんな人は搭乗出来ません(まあ、それを承知で乗ったのが、バイオリンケースの中のゴーンさんですが)。インターネット使用時に「承諾しますか?」というチェック欄が出てくるけれど、「しません」という人は、最初から使う気はないでしょう。むろん、「意味」と言う事で言えば、国や企業の側の責任逃れ(リスク管理、証明)としては、✓記述の有無が最終的な免罪項として意味をもつのでしょうが。

最近は余り出会わないのだけれど(たぶん国や航路で異なる?)、こんな項目もあります。
「あなたは反社会的人間ですか?」
これは、いつも結構考えます。
僕は、十分に「反社会的」な思想を持っているので。
行動は起こしませんよ。思想です。
したがって、「はい」「いいえ」で答えるならば、「はい」のほうに✓を入れたい衝動にかられます。
でも、しちゃったらどうなるのか?
最初に挙げた例ならば、勘違いで全部「はい」と「いいえ」を取り違えた結果と、暗黙の了解でスルーされてしまう可能性が大でしょうが、一か所だけ違っていれば、そういうわけにはいかないかも知れません。拘束されちゃうかも知れない。
それでいつも、迷った挙句「いいえ」のほうをチェックしています。

ということでして、ここ(このブログ)は飛行機の中でもイミグレーションでもないですから、「あなたは反社会的人間ですか?」と問われれば、堂々と「はい」と答えます。

ここで言う「反社会」の“社会”とは、政権とか大企業とか目に見えた権力ではありません。「大衆」(の無意識強要同調空気からなる圧力)で構成される「日常社会」です。

暗黙の了解で、言ってはならぬのだろうことを言った場合、どうなるのか?「表現」と「行動」では、「自由」に対する束縛力が異なるでしょうから、言うだけなら、なんという事もないと思います。

もっとも、大逆事件(1910-11年)では、言っただけ(皇室批判)で、多くの人が死刑に処されています。それから100年以上経っているので(100年ちょっとしか経っていない、とも言えますが)、さすがに言っただけで重罪に囚われることはないでしょう。それに、僕の為し得るプラットホームからの発言など、全くスルーされてしまうでしょうから。プラットホームがまともなところ(いわゆるメジャーなメディア)からの発言だと、どうなるのかは分かりませんが。

今、プラットホームと書いて気付いた(全く偶然です)のですが、昨夜たまたま、広津柳浪の「昇降場(プラットホーム)」という短編小説を読みました。

1905年(明治38年)に発表された(執筆は前年)、ごく短い小説。全編、会話を切り取っただけで構成されています。しかし複数の発言人物の会話が非常に複雑に入り組んでいて(正直読みづらい)、たぶん何10回繰り返し読まねば良く把握できないかも知れません。

ブックレビューの感想が4人ありました。どれもよく纏められています。だいたいこんな内容です。

>主人公の美子さんが友人の若子さんと一緒に、若子さんの兄の出兵を見送りに行った時のお話。この言葉が不適切でなければ、ものすごく面白かった。何の心配もなく戦ってこいという赤子を抱いた気丈な嫁もいれば、迷惑がる兄をよそに死ぬなと泣きわめく妹もいる。謎の強面の学生もいる。色んな人間模様があり、最後の一文「顔だけは何見ても日本の人!」が最高。思わず笑ってしまいました。女性言葉で書かれていて、当時の女性の感覚が感じられます。

>日露戦争に出兵する兵士の見送りをしているプラットフォームでのワンシーンを切り取った小作。その様子は千差万別で当時、どのような態度が美徳とされていたのかよくわかる。

>出征前の駅を描く。泣いて出征を止めようとしたり、生きて帰ってくることを望み、そのことを大声で訴えることが、当時どのような目で見られていたのかが垣間見える。死の可能性を受け止めて送り出すひと、ただ生きて帰ってくることを望むひと、出征を表面上応援しながらも内心では心配でたまらないひと、短い短編だが、色々な人々の顔がみえて面白い。

>会話がかわいらしくて良いな…。心情が伝ってきて泣いた。どの人間の気持ちも分かってつらかった、時代によって白い目で見られたり同情されたりするのが。この三者三様を並行して書いてるのがまた良いな。かなしいな、ほんとうに。

柳浪は、この暫く後に筆を折ります。ちなみに前回紹介した漱石の「一夜」と同時期の執筆。漱石は柳浪と入れ替わるように、第一線に登場するわけです。

漱石は20年間に亘って「雌伏」していたことになりますが、改めて考えると、近代文学がスタートしたとされる明治20年代の初頭から(一葉が没した明治29年を挟んで)自然主義が台頭する明治30年代にかけての20年間、漱石は周回遅れ、鴎外が再び活動を始めるのは明治40年代(実質大正)、逍遥は小説の場から自ら退場し、美妙は退場を余儀なくされ、二葉亭は翻訳に専念し、露伴も多くは書かない(緑雨曰く、露伴は書けないのではなく書かない、紅葉は書いてはいるけど中身のある作品は書けない)、そして、その緑雨、紅葉、一葉らは既に亡い。

結局、明治20年代初頭から30年代を通して、一貫して第一線の小説家であり続けたのは柳浪一人で、他に誰もいないように思います。

柳浪は明治40年代に入って、完全に小説の筆を折りました。日本が日露戦争に勝利し、世界の列強の一員に加わり、やがて大逆事件が起こるなど、「異論」が日常社会から抹殺されて行く頃です。

前にも触れたのですが、緑雨(明治37年、1904年没)が生きていたなら、晩年極めて親しくしていて、強い思想的な影響を与えたであろう幸徳秋水と共に、大逆事件に関わったのだろうか?と考えることがあります。

「世の中おかしい」と、秋水らは行動を準備し、一方、片山潜のように組織作りを目指したりする人たちもいるわけです。でも、それ以外の立場で、個人的に「おかしい」に対しよう、という人もいた。

「その時々の流行を追っている、つまり、捻じれた、時代を超越したような考えは持ってもいず、解せようともしない、飽くまで穏健な、眼前に提供せられる受用を、程好く享受しているという風の、下町の聡明な若旦那の生活」を「羨ましく思う」ことで、(それは、緑雨、柳浪、漱石、鴎外、逍遥、露伴、、、別に誰でも良いのですが)それぞれの立場や方法で、「無意識強要同調空気」に対する懸念を、深く掘り下げて対峙しようとしていた人たちです。

彼らが「正しかった」かどうかは、別問題です。例えば鴎外。軍医のトップでもあった彼は、脚気の原因を読み違えて、多くの兵士を死に至らしめました。「今であれば極悪犯罪人として裁かれる」と、なだいなださんが言っていました。

でも、流されてはいない。ひとつの方向に、識者論客全員が突き進んでいくことはなかった。今の識者論客の話を聞いていると、頭脳だけ立派な、AI人間の劣化版のような人たちばかりで、ガッカリです。100年前と同じ、いや、100年前のほうが、今よりずっとマシだったと思います。

雑踏のプラットホームの中に入り組んだ個々の声や想いは、塊となった集団の声の中でかき消されるわけですが、同じプラットフォームでも、辺鄙な田舎の駅のプラットホーム(僕のブログの事です)には、もしかすると人ひとり乗降客がいない(訪れる人がいない)のかも知れないわけですから、かき消されるどころか、何を言っても誰にも届かないわけです。

そんなわけで、誰もいないプラットホーム(発信の場)から、不謹慎承知で発言し続けます。

「コロナに感染しない感染させない」「ワクチンを打とう」「マスクで防ごう」
全部意味ないですね。

別に、コロナに感染しても良いでしょう? ワクチン打つ必要もないと思うし、マスクなんていりません。

バカの一つ覚えと言われようが、繰り返して言います。

コロナは風邪です。
風邪は大変に怖い。

マスクを付けた方が良い場合もあるだろうし、ワクチンが必要な時もあるでしょう。

・・・・・・・・・・

「昼は明るい」「夜は暗い」、、、とは限りません。人間にとっての「明るさ(暗さ)」の基準と、他の様々な生物にとってのそれは、同じものではないでしょうから。光と闇は相対的な存在で、昼には光が強すぎて見えない(感じない)対象が、夜には透徹して感じることが出来る、ということも有るでしょう。

「命に代わるものはない」と言いますね。それは本当なのでしょうか? 「殺人は悪」、それも本当なのかどうか、僕は分からないでいます。

「ロジカル(理論的)に」という人は、それらの事を、ロジカルに説明できるのかどうか、余り信用も期待もしていません。もとより「~的」という語は、「誤魔化し」と同義語と僕は思っているので。

・・・・・・・・・・

今、今日の大リーグ(野球)の結果が報告されています。
大谷、マエケン、菊池、日本人三人が同日先発(ダルは明日)。
三人とも好投したけれど、勝ち星がつかなくて残念。
というニュースです。

そのコメント欄を見るに、
>今は「勝ち星」重視の時代ではない(勝ち星に拘るなんて何と古い考えなのか)。
>大事なのは、クオリティスタート、登板数、防御率、奪三振数、、、
>そのほか様々な数値をもって客観的な評価が成されるべき。
みんな、一斉に口を揃えて、見事に同じ発言をしています。
むろん、その通りです。

でも、この間まで、そんなこと言ってなかったよね?
僕も現場(アメリカ)のファンの人たちも、ずっと昔から指摘していたはずだけれど、日本の野球ファンは、無視嘲笑し続けていたよね?
それが、ひとたび「正統な意見」として認知されるや、今度は全員が一斉にそれに従いだす、、、、。

「意見」の内容の是非以前の問題。
一斉に同じ方向を向き、そうでないものを無視・排除する。

「その時々の流行を追っている、つまり、捻じれた、時代を超越したような考えは持ってもいず、解せようともしない、飽くまで穏健な、眼前に提供せられる受用を、程好く享受しているという、、、、聡明な」(鴎外「百物語」)人々から構築されている世界が、コロナよりもずっと怖いです。





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“陰謀論”とは何か?について考える~「漱石と日根野れん」

2021-05-10 20:54:39 | コロナ、差別問題と民主化運動、明治文学


★5月9日の記事に、いいね!その他ありがとうございます。
 

読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
 
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今日も快晴ですね。でも通院日なので、裏山探索は無し。F医師とI事務局長に、「マスクがウイルス感染源である」と訴えてきました(笑)。ワクチン接種の案内がひと月以上前に届いているので、打つべきかどうかの意見を聞いてきました。どっちでも良いんじゃないですか、ということで、中国に行く時に、中国製を打つ(入国条件が有利になる)、ということを基本で考えることにしました。
 
今日は、スタバに滞在しているのですが、、、マスクなしの中国人の若者が7~8人集まって、室内に響き渡る大声で喋り続けています。スタッフも日本人利用者も、マスク必着で、済々と“規則”に従い、中国人たちはお構いなしに吾勝手な行動を続ける(誰も注意しない、笑)。かなり異様な(滑稽な)光景ですね。“異空間”が同居しているという、、、、。
 
それはともかく、もし人類が、例えば「宇宙の果てに到達すること」「永遠の命を得ること」などを目標に置いているのなら、今の在り方(「マスク」「ワクチン」が正義、「科学」「医学」は絶対的存在)で進んでいくことも、選択肢の一つなのかも知れません。僕は、そうじゃない、と思うので、、、。「科学」「医学(医療)」とは何か?という根源的な問題を、科学者・医学者たちに考えて貰いたいですね。
 
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本題に入る前に、もうひとつ、今日のニュースに関する記事を挿入記述しておきます。
 
茨城県の夫婦殺害容疑者(26才)が逮捕されたというニュース。
 
例えば、
>逮捕映像を一目見ただけで感じる違和感、自由にさせちゃいけない。
といった、正義のコメントで溢れています。僕には、怖い、としか言いようがないです。
 
数100人に一人ぐらいは、まともな人もいます。
>ここで居丈高に容疑者を糾弾している人たちの言葉遣いや、一部にみられる感情に任せた無茶ぶりを見ていると、容疑者と紙一重な人たちに思えてなりません。
 
もちろん、「そうは思わない」の評価ばかりですが、僕は、ほんとうにそう思いますね。自分では気が付いていない「正義」の人々は、「分かり易い悪人」よりも、ずっと怖いです。
 
この容疑者が犯人だった場合は、いわゆる「シリアルキラー」というカテゴリーに入るのだそうです。例えば、「酒鬼薔薇」や、名古屋大学女子学生が薬品を使ってお婆ちゃんを殺害した事件、等々。むろん、その人たちも怖いですよ。
 
ちなみに、一人(それに関連すると思われる人物に)会ったことがあります。平凡社新書「屋久島の自然~大和と琉球と大陸のはざまで」を刊行してから間もなくだったので、2001年か2002年の夏だったと思います。阪大医学部大学院の若い男性で、西安から福建省の南平まで数日間一緒に旅行しました(とても楽しい旅だった)。
 
僕が出会った事のある人物のうちで、三指に入るほど聡明な人でした。死体愛好家。このあとタイに行くのだとのこと。そこで友人と落ち合って、いろんな死体を探す。その友人は、自分よりももっと死体に興味を持っていて、日本では見ることが出来ない様々な死体を求めて、東南アジアをうろついている、のだそうです。でもとにかく頭がよく、(頭の悪い)僕とも話が合って、穏やかで、非常に好感の持てる人でした。
 
彼(きちんと状況が把握できている)のような場合はともかく、我々は自分では気が付かぬうちに、人殺しをしていますね。概ね間接的なわけですが、いろんなシチュエーションで。例えば死刑制度の支持も、その一つかも知れません。良し悪しの是非、直接であるか間接であるかは別として、人を殺していることには違いありません。死刑に処されるような「悪人」は「人」ではない、という解釈に立つなら別でしょうが、、、。
 
このような事件が起こると、“人を殺す前に動物虐待をしている人がいるので怖い”という声が上がります。
 
じゃあ、例えば蝶のコレクターとかは、それに当て嵌まるのではないのかな? と思うのですが、たぶん、それは当て嵌らないんでしょうね。
 
ペットに対して愛情を持てない人は、人間としての感情が欠落している、、、、というのが、多くの人の共通認識であるようです。僕も、ペットには愛情をもって接すべきだと思いますよ。でも、その事のみが、「正しい」と言うわけじゃない、という事も、考えておきたいです。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
 
以下、4月29日執筆の記事です(後送りになってたのを何とか完結しました)。
 
ここ数日、漱石と日根野れんについて、想いを馳せています。
 
僕は、個人的には漱石派じゃなくて鴎外派なんですが、客観的には、漱石の作品の方が、何百倍素晴らしいですね。「三四郎」は最高です(その程度の感受性しか持っていない僕のことをバカにして貰っても良いですが)。「青年」は逆立ちしても「三四郎」に敵わない。
 
鴎外が「青年」を書いていた頃、漱石は「三四郎」の続編とされる「それから」を終え、三部作末尾の「門」を書いていました。
 
「青年」は「三四郎」のパロディですね。鴎外自信、実質的にそのことを認めています。でも、全然面白くないです。
 
一方、「三四郎」の“続編”(のような立場の物語)が「それから」と「門」であります。そのことを、どれだけ多くの読者が認識できているのだろうか、と、長い間、漠然と想ってきました。僕にも、なぜ「続き」なのか、さっぱりわからないのですけれど、漱石自身が「続きである」と明言しているので。
 
漱石の作品は、難しく、複雑で、読むのに苦労するものが多いと思います。「こころ」然り、「門」然り、「道草」然り、「明暗」然り、、、、。でも、それらの作品は、難しい分、まあそんなものかな、と読後に納得することが可能なように思われます。
 
一方、「坊ちゃん」とか「三四郎」とかは分かり易い。「夢十夜」などもそうですね。スッと入ってくる。スッと入ってくる分、より深遠な“何か”を感じてしまう。
 
僕が最も好きな日本文学作品は、澁澤龍彦の「高岳親王航海記」なのですが、明治大正古典では漱石の「夢十夜」に尽きます。いやもう、我ながら子供っぽい、と思いますが、北杜夫さんが(「不遜な言い方だけれど」という要旨の訳注付きで)「凄い、負けた」と、敢えて評した気持ちがわかるような気がします。
 
つづく「永日小品」も良いですね。「夢十夜」の幻想に対し、身近で現実的な話題と、入れものは全く違うのですが、トーンは一貫しています。
 
漱石が中年になってデビューした時、殆どの同時代作家は既に姿を消してしまっていました。子規、紅葉、緑雨、それに一葉らは亡くなっていたし、逍遥は小説から完全に離れ、鴎外、露伴、二葉亭らも「小説」とは違う世界で活動していました。
 
漱石は、自分以外の同時代作家が「小説家」としての生涯を全うするのを待つようにして、満を持して登場するのです。20年間、「案を練り続けていた」と言っても良いのかも知れません。
 
中年デビューしてからの、最初の数年間に為された作品(殊に短編小説)は、やたら七難しいと言うか、読むのに随分苦労するのが多いと思います。新潮文庫などで短編集として編まれている「幻影の盾・倫敦島」などは、その典型ですね。
 
「夢十夜」や「永日小品」のように、スッとは入ってこない。「難しさ」が結構剥き出しです。そんなことも有って僕はそれらの作品は精読していないのですが、ただ、その中で最も短い「一夜」(明治38年/1905年)だけは、何度か繰り返し読んできました(単に短くて読むのが楽という理由に因るだけですが)。
 
いや、何度読んでも、何を言おうとしているかについては、さっぱり分からんのです(笑)。でも、この、呆れるばかりの(一切の「説明なし」という)「読者に対する無責任さ」(三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ?人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない)は、実に素敵です。
 
ちなみに、鴎外の短編に「百物語」(明治44年/1911年)というのがありますが、その「読者がバカにされた感」満載の無責任さには、一脈通じるものがあるように思います(全編「説明だけ」という正反対のポジションですが)。
 
「一夜」に登場する人物は、次の三人です(むろん、そう記されているわけではない)。
 
日根野れん 1866~1908
平岡周造 1860~1909
塩原金之助(夏目漱石) 1867~1916
 
この短編が書かれた3年後に、れんは亡くなっています。周造はその翌年、漱石はその7年後に亡くなります。三人とも40歳代で亡くなっているのですね。この時代で言えば、40歳代というのは、必ずしも早訃と言うわけではないのだと思います。
 
「日根野れん」の名前は、漠然とは知っていたけれど、これまでは全く念頭には留め置かないままにいました。今回、たまたま上記「三四郎」と「青年」を比較した文学評論(無数にあります、笑)をネットで探しているうちに、改めて出会い、なるほど、そういう事なのか、と思った次第です。
 
ネットでチェックしたのは、Kazenokoさんという方の「甘口辛口」というコラム。「三四郎と小泉純一(1~4)」です。
 
漱石の「三四郎(小川三四郎)」と鴎外の「青年(小泉純一)」の比較。なにしろ鴎外本人がパロディであることを認めているようなわけですから、後の評論家らも遠慮なく比較が出来るわけです(「青年」とは別に「団子坂」という短編があって、これは鴎外流「三四郎」“菊人形ストレイシーブ”の場面で面白いのですが、載ってる本が探し出せないので再読できないでいます)。
 
このKazenokoさんのコラムもその一つなのですが、4回続きの第一回を読んで、正直ちょっとがっかりしました(というか物足りなさを感じた)。書かれている内容が、他の「三四郎」「青年」比較論とほぼ同じ。
 
すなわち、鴎外は「三四郎」にギヨウを感じ、それと共に不満を持った。「成長小説」なのに、ぐずぐずしていて(“ストレィシーブ”のままで)ちっとも成長しない。自分ならもっとピシッとロジカルに、成長の証を示して見せる、、、で「青年」を書いた。大多数の評論家の見解は、“文学としての完成度、理論性、内容の充実度は「青年」のほうが勝る(僕はこれっポッチもそうは思いませんが)、ただし、面白さは、圧倒的に「三四郎」が上” と言う事で、ほぼ一致しているようです。
 
Kazenokoさんの認識も、どうやら同じらしく、4回に亘って、そのことに対する見解を述べていくのかな?と思っていました。でも、第一回目を読むに、高名な先生方の理論性に溢れた評論とは違って、(漱石作品呼応するように漂う)無責任さが良い感じです。“ゆるふん”ですね。「芥川龍之介は、漱石的内容を、鴎外流の緊迫した文章で書こうとしたから、行き詰ってしまった、もっと先生譲りの“ゆるふん”を学べばよかったのに」と、誰かが言ってました。
 
というわけで、「三四郎と小泉純一」の第1回目は、だいたい他の評論と同じ論調です。第2回目から第4回目までは、どのような展開の比較論になるのか、楽しみにして読み始めたのです。
 
ところが、、、、最後まで鴎外の話題も「青年」の話題も出てこない。いや、表題に偽りあり過ぎです。第2回~第4回目には、「青年」のセの字も、「鴎外」のオの字も、一切出てこないのです。そして、“漱石の初恋の人”とされる、“日根野れん”の話に終始します。
 
Kazenokoさんは、ご自分で“愚老”とか仰っている年配の方のようなので、ボケて主題を忘れてしまったのでは?と失礼なことも思いましたが、そうではないようです。“表題に偽りあり”を承知のうえで、書かれたのだと思います。
 
最終回(第4回目)の末尾になって、やっと鴎外の名前が再登場します。最後の結びの文章です。
 
「鴎外は、離婚した先妻の死を告げられたとき、一日中、家にこもって沈思していた。」
「漱石は、れんの死んだ日は、訪問客があったにも拘わらず、沈黙を守って何事も語らず、後で相手に弁明の書簡を送っている。」
 
うーん、なるほど。
 
どういうことか、分かりますか? いや、僕にも分かりませんね。ただ、“分からない”と言う事だけは、はっきりとわかります。“そういう事なんだ”と。
 
分からない、と言う事を「是」とすることが、偉い先生方と、幼稚な僕との違いでしょうね。
 
それはともかく、Kazenokoさんの「三四郎と小泉純一」は、表題とは無関係に、日根野れんの話に終始します。
 
「漱石の想い人」の本命は、日根野れん、兄嫁登勢、大塚楠緒子の三人のうちの誰か、というのが、現在の定説となっています。他にも何人かが対象とされていますが、高名な評論家の方々が対象と目しているのは、この三人です。
 
このうち、兄嫁と楠緒子は、それぞれ特に高名な評論家によって、強力にプッシュされています。詳細な検証を行い、
資料を分析し、理論的考察を加えて、「間違いない」と断定しています。
 
その二人に比べれば、“れん”推しは、もう一つパワーに欠けます。(知名度は低いのだけれど)Kazenokoさんの“れん”推しは、その中にあって目立ちます。そして、客観的に「漱石の想い人(様々な作品のヒロイン)を一人選ぶ」とすれば、日根野れんさんかな、と僕も思います。 
 
でも、“想い人(愛した女性)”が誰であるか、一人に決める必然性はあるのでしょうか? 誰が正解で、誰は違う、と、なぜ答えを出そうとするのでしょうか? 答えはない、という答えじゃ、だめなんでしょうか?
 
仮に僕自身に当て嵌めると、万が一(実際上は万に一つもあり得ないですが、笑)後世に「青山潤三の想い人は誰?」とか言った想索が成されたとしても、絶対に当たりません。何となれば、自分でも分からないから。僕の“想い人”なんて、何人も、何十人も、、、無数に存在するし。
 
れんは、漱石よりひとつ上の1866年生れです。1867年生の著名人は多い(鴎外の1862年生も多い)けれど、1866年生の著名人は余りいませんね。写真は現存しない、とのこと。見てみたい気もするし、(たとえ美人だとしても)見ないでいる方が良いのかも知れない、とも思うし。
 
そう言えば、逍遥(1859年生)の奥さんも、1866年生れ(この二人は長生きしました)。学生時代の楼閣の馴染みの女性とは、普通卒業後には別かれてしまうものです。殊に最高学府の超エリートに於いては、卒業後も(そのような格式も教養もない女性と)一緒にいることなど、考えられもしない。でも逍遥は(周りの反対を押し切って)添い遂げたのです。実際、そのために一生苦労し続けたとも言います。でも、その苦労よりも、ずっと大事な事だったのです。逍遥、漢ですね。
 
ちなみに、現代文学の発祥は、逍遥の文学評論「小説神髄」だとされています。それとセットで、実作としての「当世書生気質」が発表されたのですが、こちらは「現代文学」ではなく、旧来の「戯作」と見做されています。僕は、むしろ逆だと思う。「~神髄」は七難しいけれど、大した事は言っていない(ような気がする)。そして、「当世~」は、実は傑作であると。
 
斎藤緑雨(1868~1904)は、逍遥とは古くから(緑雨17歳/逍遥25歳当時から)仲が良かったみたいですね。逍遥は(世間に毛嫌いされていたはずの)緑雨を、実に何度も手放しで褒めています。
 
緑雨は、一般には「女性差別主義者」と捉えられているようです。でも、緑雨ほど、女性の事を(深いところで)想っていた人は、そう多くはいないのではないでしょうか。正反対に見えて、逍遥の生き方に通じるところがあるように思います(ロジカルに説明する能力は僕には無いですが)。
 
そのことは、漱石の想い人が、必ずしも一人に限られるわけではない、という思いとも重なります。
 
先にちらっと鴎外の「百物語」に触れましたが、その中で鴎外は、物語の先導役の若い知人に対し、「その時々の流行を追っている、(中略)つまり、捻じれた、時代を超越したような考えは持ってもいず、解せようともしない、(中略)飽くまで穏健な、眼前に提供せられる受用を、程好く享受しているという風」の、下町の聡明な若旦那の生活を、「羨ましく思っている」と記しています。
 
今の、コロナ下の「民主的正義」絶対追従社会は、100年前から、ちっとも変っていない。
 
「陰謀論」について書こうとしていたんでした。
 
僕は、偉い論客諸氏のように、物事をロジカルに説明する能力は持ち合わせていません(「ロジカルに説明するべきではない」という自動制御が為されているのかも知れない)。
 
世の中(個人個人の「生命」の中、と言っても良い)は限りなく多様です。一人の人間の、“想い人”が誰であるか、光をどう当てるかによって、いくらでも答えは変わってくるはずです。
 
よく、「愛する人の事を考えて」とかの表現が為されますね。だから(コロナに際して)「マスク」は必着、とか、(香港やミャンマー問題に際して)「民主主義の大切さ」を問うべき、とか。
 
そんな、安易な発想だけで良いのでしょうか?
 
家族のいない僕など、「愛する人の事を考えて」と言われても、戸惑うしかありません。人類全員を愛している、、、、それは善良な正義の民からすれば、自分たちの社会を乱す「悪」に等しい、良くないことなんでしょうね。
 
漱石の“想い人”が、一人である必要がどこにあるのでしょうか? 奥さんを含め、いろんな人に、いろんな想いを持っていた、と思います。むろん、れんさんに対しても、特別な想いがあったでしょう。
 
様々な“想い人”に対する一見荒唐無稽に思える指摘も、案外全部、それなりに当たっているのかも知れません。
 
“正統”な側にある人は、「正論」のみを「理論」として認め、「異論」は「理屈」として排除する。
 
前回、運慶が仁王を掘り起こす話について触れました(*訂正「雨造作」→「無造作」)。
 
科学とは、原木の中に既に存在している仁王を彫り出すようなもの、だと思います。そして、科学の最大の欠点は、原木を切り崩して行く際に生じた「屑」を、捨て去ってしまうことにあります。
 
ロジカルに説明出来ようが出来まいが、科学的であろうがなかろうが、「正義は一つではない」「真実は一つではない」という立脚点に立てば、異論の中にこそ、何か(「真実」の欠片のようなもの)が隠れているのではないか、と思っています。
 
荒唐無稽な「陰謀論」。そんなのがあっても、大いに結構だと、僕は想います。
 
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写真を適当に付随しました。
 


ツバメシジミ。1975年5月。千葉県安房天津。「コダクロームⅡ」からのスキャン。
 


グリーンペペ。1993年7月。小笠原母島。初めて使った「フジクローム」からのスキャン。
 


梅里雪山。2013年5月。人類未踏の山頂は、雲南省とチベットの境。四川省との省境、およびミャンマーとの国境まで約50㎞、インド(アッサム)との国境まで約150㎞の距離です。
 





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