顔の見える支援ネットを編む
―― みんなで子育てするために ――
講話内容
■一般社団法人 オルタナ 施設長 中村さん
「家族が、ひきこもりや精神病になったら、あなたはどうしますか?」・・・私はいつもこの質問から始めています。
<自己紹介>
省略 大切にしている言葉は「日々是新(ヒビコレアラタ)」です。毎日がお正月のように新しい、毎日が門出だという意味です。
<うつ病を発症>
大学を卒業して営業の仕事をしていたのですが、27歳の頃急に眠れなくなり不眠に悩まされるようになりました。活発だった自分が自宅で過ごす事が増え、人と接する事が好きだったはずなのに怖くなりました。
仕事の評価が気になってネガティブな思考になり、眠れないので朝起きれず、仕事を休みがちになりました。誰にも相談出来ず自分の中で悩む日々でした。
30歳の頃、会社の健康診断で行った病院で初めて相談したら、精神的なものではと言われ、精神科を受診して「うつ病」と診断されました。会社は休職しました。毎日とにかく寝てばかりいました。食事も1日1食で、風呂に入る意欲もなかったです。
家族や友人に、病気や休職している事を何も話していませんでした。隠していた方が楽だったからです。でも逆に、隠している事が凄く辛くもありました。嘘をつかないといけないので。
<ひきこもりの生活>
約半年後に復職しましたが2日で行けなくなりました。体の震え、人への恐怖心、生きてる価値がない、情けない、笑えない、他人の幸せな姿を見て自分の不幸さを感じるような心境でした。
結果的に辞職をしましたが、正直、気持ちが凄く楽になりました。
医師のアドバイスで、生活環境を見直して治療に専念したらということで、実家に戻りました。
両親は応援はしてくれましたが、理解はしてもらえてなかったです。独り暮らしの時以上にひきこもりの生活になりました。今度は部屋から出なくなりました。
親から「体調はどうか」「いつから仕事へ行くのか」「いつまでこの生活をするのか」と聞かれて、答えるのがしんどかったからです。そんな生活が6年間続きました。
<オルタナとの出会い>
私は無職で結婚しました。妻は良き理解者です。
少しずつ前向きに考えられるようになった 頃、ある相談員さんとの出会いがありました。その方もうつ病の当事者で、私にその時の体験を語って下さいました。
その方が一緒に仕事や支援機関を探してくださったのが、自分の人生の転機になりました。
そんな中、ピアサポーターという、うつ病の当事者同士が支え合う活動をしてみませんか?と、声かけがありました。
私はピアサポーターという言葉をその時初めて知りましたが、「自分が病気になったことを強みにして、何かできる事があるのでは」と思い、医療機関や福祉関係の仕事を探して、オルタナに出会い就職しました。
妻が書いてくれたリカバリーのためのその日の行動のメモを持って通ったのを、覚えてます。勤めて今年で11年目になります。
<私の思い>
私が皆さんに伝えたいのは「自分の物語を誰かに伝え続ける事で、それが自身にとって大きな一歩になる可能性がある」ということです。
私も自分に出来ることは、人前で自身の体験を話して伝える事だと思ってやってきました。沢山の方が聴いて下さり、共感して頂き、自分だけではなかったと気づきになりました。
<対話の大切さ>
うちの事業所には、過去に不登校やひきこもりの生活をしてた方が通って来られます。
理由はいろんなケースがありますが、私は対話をする事に着目して、その人と話をする機会を強く持つように意識してます。「会話ではなく、対話」という考え方です。
実際に体験された方やご家族から得る学びが、一番大事だと思います。リアルな体験談に解決のヒントがあると感じています。
不登校=発達障がい、ひきこもり=うつ病、といったイメージが社会の中に根付いているような気がします。しかし、もっと客観視していろんな視点を持つべきだと思います。
学校へ行く事がゴールではないし、どうすればリカバリー出来るかを、一緒に考える。信頼関係の構築が、先ずは大切だと思います。