登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

ゆるり語ろう会 「顔の見える支援ネットを編む」より

2023-07-10 17:21:45 | 会報「ふれんず」から

 顔の見える支援ネットを編む 

   ―― みんなで子育てするために ――


講話内容 
■一般社団法人 オルタナ 施設長 中村さん 
「家族が、ひきこもりや精神病になったら、あなたはどうしますか?」・・・私はいつもこの質問から始めています。

<自己紹介>
 省略 大切にしている言葉は「日々是新(ヒビコレアラタ)」です。毎日がお正月のように新しい、毎日が門出だという意味です。

<うつ病を発症>
 大学を卒業して営業の仕事をしていたのですが、27歳の頃急に眠れなくなり不眠に悩まされるようになりました。活発だった自分が自宅で過ごす事が増え、人と接する事が好きだったはずなのに怖くなりました。
 仕事の評価が気になってネガティブな思考になり、眠れないので朝起きれず、仕事を休みがちになりました。誰にも相談出来ず自分の中で悩む日々でした。
 30歳の頃、会社の健康診断で行った病院で初めて相談したら、精神的なものではと言われ、精神科を受診して「うつ病」と診断されました。会社は休職しました。毎日とにかく寝てばかりいました。食事も1日1食で、風呂に入る意欲もなかったです。
 家族や友人に、病気や休職している事を何も話していませんでした。隠していた方が楽だったからです。でも逆に、隠している事が凄く辛くもありました。嘘をつかないといけないので。
<ひきこもりの生活>
 約半年後に復職しましたが2日で行けなくなりました。体の震え、人への恐怖心、生きてる価値がない、情けない、笑えない、他人の幸せな姿を見て自分の不幸さを感じるような心境でした。
 結果的に辞職をしましたが、正直、気持ちが凄く楽になりました。
 医師のアドバイスで、生活環境を見直して治療に専念したらということで、実家に戻りました。
 両親は応援はしてくれましたが、理解はしてもらえてなかったです。独り暮らしの時以上にひきこもりの生活になりました。今度は部屋から出なくなりました。
 親から「体調はどうか」「いつから仕事へ行くのか」「いつまでこの生活をするのか」と聞かれて、答えるのがしんどかったからです。そんな生活が6年間続きました。

<オルタナとの出会い>
 私は無職で結婚しました。妻は良き理解者です。
 少しずつ前向きに考えられるようになった                          頃、ある相談員さんとの出会いがありました。その方もうつ病の当事者で、私にその時の体験を語って下さいました。
 その方が一緒に仕事や支援機関を探してくださったのが、自分の人生の転機になりました。
そんな中、ピアサポーターという、うつ病の当事者同士が支え合う活動をしてみませんか?と、声かけがありました。
 私はピアサポーターという言葉をその時初めて知りましたが、「自分が病気になったことを強みにして、何かできる事があるのでは」と思い、医療機関や福祉関係の仕事を探して、オルタナに出会い就職しました。
 妻が書いてくれたリカバリーのためのその日の行動のメモを持って通ったのを、覚えてます。勤めて今年で11年目になります。

<私の思い>
 私が皆さんに伝えたいのは「自分の物語を誰かに伝え続ける事で、それが自身にとって大きな一歩になる可能性がある」ということです。
 私も自分に出来ることは、人前で自身の体験を話して伝える事だと思ってやってきました。沢山の方が聴いて下さり、共感して頂き、自分だけではなかったと気づきになりました。

<対話の大切さ>
 うちの事業所には、過去に不登校やひきこもりの生活をしてた方が通って来られます。
 理由はいろんなケースがありますが、私は対話をする事に着目して、その人と話をする機会を強く持つように意識してます。「会話ではなく、対話」という考え方です。
 実際に体験された方やご家族から得る学びが、一番大事だと思います。リアルな体験談に解決のヒントがあると感じています。
 不登校=発達障がい、ひきこもり=うつ病、といったイメージが社会の中に根付いているような気がします。しかし、もっと客観視していろんな視点を持つべきだと思います。
 学校へ行く事がゴールではないし、どうすればリカバリー出来るかを、一緒に考える。信頼関係の構築が、先ずは大切だと思います。

コメント
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