日本語に主語がない、と言えば、人目を引いてそれはどういうことかとなる。日本語に主語がある、というのは、当たり前のように聞こえてその事実が分析されない。主語がある文に比べて主語のない文がひとつの文章の中で同じくらいあることを調べてみたら、すぐにもわかることなので、いろいろな文章を単位にして調べてみることを奨める。
いまここで、文に対して文章というまとまりをとらえて主語のあるなしを説明したら、あるべきものがないことがわかる。ということは、文が主語と述語とからできていることをモデルにして、日本語で主語のない文をどう扱うかが議論となるが、それについてはほとんど言及がない。文にはやはり主語がなければならないのである。
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現代日本語「誤」百科 786 幹事長を続投する を、例題にしている。正しくは、幹事長が続投とする と言わなけらばならないと、コラムは説明している。続投する の用法をたとえでとらえている。続投 は、何を続けて何を投げる、また、投手を続ける という分析ができる。日本語表現の熟語にある問題を考えることで詳しく見てみる。幹事長を 投手を 続ける という表現は、続投 という熟語を文法構造にもって、続投する という動詞を構成する。したがって、~を ~を となる言い方は二つ重なって本来は不自然であるが、漢字の熟語を取り入れて日本語表現は、続投する という動詞に、~を と用いることができる。熟語とは何かを考えなければならないが、いまは文法要素が熟語として成立するととらえて、それはいろいろな場合があるが、この 続投する を用いると、この動詞が、~を続ける という内容を含み持つので、その動作主体の表現がおのずと求められ、幹事長が続投する となる。 . . . 本文を読む