文章を複数の文とする。その定義は、文は句点をもってなる、と言う説明と同じように、単純で至極明快である。複数の文であるかどうかの検討を行って、その文の単位を集めた文章を分析の対象として見てわかることがある。それは複数の文と言うのが、文の種類をもって見れば、数種類あるということである。それはパラグラフとなれば当然であるのだけれど、その種類を分けて見なければ文章を構成する文と言うのが決められないのが日本文法である。何を言っているかと言うと、文の統一した定義があって、それを文章でもって見れば、これまでのようなとらえ方では、その統一した定義では説明ができない。説明をするにしても、文は述語からなる、とか、 文は補語と述語からなる、とか、それは日本語文法を茫洋としたものにしてしまう。述語を言えばそれで文となるというので、陳述をもってするかつての議論の拡大構文になる。拡大構文とは何か。 . . . 本文を読む
イギリスがEUからの離脱を宣言した。英国に続いて何が起こるのか。米国には口出しをさせないと、何やら息巻く様子が聞こえてくる。米国大統領の就任式は時代の転換を示す。それは、これから分断されようとする地球上のモデルとなるアメリカ社会はの在り方が姿を示すのか。格差と貧困の中に、地を奪われた人々が行き交う情勢は、日増しに情報量をまして現実を見せている。 . . . 本文を読む