インスタ映えをどう使うか。ケータイで写真を撮る、スマホでカメラ代わりに写真を撮ることが行われて、ケータイで写メを送り合っていたころから、その写真でコミュニケーションをするインスタグラムをツールとする、インスタ映えである。ほかには、造語インスタジェニック、SNS映えというのがある。それだけ、利用があることと、その価値付けが人々の支持によって高まったのである。見栄えするという語であるらしいが、それはもう少し具体的になって、いいね、フォロワー、加工写真というキーワードが関係する。したがって、インスタ映えするのは、評価をとる、拡散して追い続ける、画像処理が行われるということが、見栄えになる。よい写真家というとその写真で芸術を主張する、と言っていいかどうかだが、インスタ映えは明らかに受けをねらうことになるから、写真による情報の効果が誇張されることもある。もとは、フォトジェニック photogenicであったから、写真写り、写真向きの意味の語からなる。となると、写真映えする、というだけのことであった。 . . . 本文を読む
朝のニュースで、老人が切れる話をしていた。いきなり激高するということだが、切れやすくなった老人というのは、どうも、おかしい。医療的な、その側面から意思が出てきて脳の辺縁葉などの衰えを、感情のコントロールができないとなる解説をしていた。それが病気であるなら、確かに露印象的にあることなのだろう。切れるというのも、感情が途切れる、緊張がゆるむ、堪忍袋の緒が切れる、とすると、どうも切れりの緒であるらしいことになると、それはおそらく、切れる瞬間の緒の状況があって、そこで切れたのは違った分析も必要なようである。ニュースの医師は、その衰えを自覚することが大切だと話しているから、このように、書いていると、すでに自覚がないと言われるかもしれない。しかし、切れるというのはそういうことか。大脳の働きと感情のコントロールを記憶に関係してのより詳しい状況があるのである、と思うのは、感情要因を老人の脳の働きに合わせて解説するならば、その緒の切れる瞬間までに個別事情があると推測できて、それほど単純なことではない。ニュースは老人だけにその分析をして、切れる対象のことにはおざなりの感があった。そちら側にある重要事をもっと分析しなければならないだろう。さらにはニュースが言う暴力事件になることは、別ごとである。おりしも、老人ではないが、横綱の暴行というニュースが切れた状況を表わすように一方的だが、このことについて語る朝青龍がモスクワでインタビューに答えていたのは、ニュースが早く届いているのか、コメントに聞きごたえがった。無いか、あるか、同郷人だけに、よくわかることがある。 . . . 本文を読む