貴ノ花部屋の九州場所後に行われたパーティ―で親方挨拶がユーチューブで流れた。まるごと公開しているから、これまでの情勢でマスメディアに沈黙を守る姿勢が明らかになったひとつの事実である。マスコミ対策を話す口調は親方らしいのだろう。いわく自分がマスコミでしゃべれば当事者が癒されるものではない、そのことを自らの体験で思うと言っていた。その渦中にあって、マスコミに追われることになる弟子が見たり聞いたりすることは被害者のものである。暴行事件はけがの回復と詫びの挨拶を入れることで、当人同士の話し合いでその社会で決着する。それには加害者と被害者を明確にした裁きがいるというのが、いまの刑事訴訟になるかどうかの推移している状況であり、そこに相撲協会との考え方の相違でもある。その側に立てば組織にその解決能力がないという見方が加わって、かつての相撲における八百長、賭博に絡む力士の生活が脅かされかけたことを問題視する展開となっている。貴ノ花にすれば兄弟子であった貴闘力関の処分をめぐる不公平、それにまつわる不正をいうものであるから、闘いを宣言している。 . . . 本文を読む
記憶は何年さかのぼるかと10年前のブログを再録して見るが年号と日付でかろうじて思い出せることは限られているから10年ひと昔はその通りのことばであると実感して電子情報をこのように記録に用いるとこの年数は30年前も可能にするであろうしそうなると果たして記憶は脳を使い記録を探る作業であったものをそうしなくなって直接にそれを取り出すような状況になるのは脳にとってはどうなんだろうかと思いつつ忘れる働きは皮質の上塗りか海馬の層の形成になるようだから」あるいはその作り方をも変えてしまうことになって記憶と記念または記録に加わる記事となって記号となっていくようになる。 . . . 本文を読む