大相撲で白鳳が40回になる、優勝をして、前人未到の大台にのせた。これで2017年を終わる。横綱の待った物言いという物議をかもす展開があった。それも場所中に起きた出来事に横綱の暴行事件があったから、それを影響したかとみるようなことであった。その世間を騒がせた横綱の所業は、モンゴル力士の会合でのことであったから、日本人社会とモンゴル出身の力士の会であったにもかかわらず、相撲協会の組織管理にまで出来事が及んだ。国技に相撲の神様とまで日本相撲としての体面をかけた。暴行と刑事訴訟になるか、年内にもその決着を図るというが、部屋住まいの親との人間関係、親方と弟子のあいだが、社会性の異なる様相を示している。解決には日本社会の縮図をみるか。 . . . 本文を読む
卒業論文の追い込みの時期でゼミ生諸氏は凝縮したときを送るころ、論文のテーマ説明にトピックスから、アンサーを導く方法を中間発表とする。タイトルの決定と、自分の手作りの調査実験は何か、文献探索の勉強はどれほどか、したこと、わかったことを、引用の注記とともに、参考文献として発表させる。持ち時間は30分。日に3人か、4人のペース。発表は20分であるから、スライドショーの用意に20頁と、対応したレジュメをつけさせる。そこで、卒業研究論文となることに、どうも、卒業論文を卒論と言い、それを卒研として見るなら、これまた言いにくいこと限りなくなる。いずれも同じようなものだと声が聞こえてきそうなものの、卒業するための論文と、卒業するための研究論文とで、卒業するための研究とだけ限定されてくるように思われて、卒業のための研究論文は論文であってそれをわざわざ研究論文というところで噛んでしまうのである。 . . . 本文を読む
おこの古語を知っていれば、この用法はなかなか使えない単語である。おこ 漢字変換して、尾籠となる、これを音読みすれば、びろうなことであるから、おろかなこと、ばかげたこと、として、ばかと言うようなものだから、つかいにくい。それをまた、おこがましいと言えば、ばかげたことである、となるから、その意味を知るか知らないかでは、使うところを間違うことになる。あるいは、知っていて、おこがましいですが、などの謙譲しての物言いに、差し出がましさが伴うものであるから、身の程知らずであるとだけ、意味内容を心得ていったりすると、とんでもないことになる。ビジネスシーンで注意を要すると、サイトで説明するとおりである。類語をあげて、同様に、謙遜の難しさを言う。 . . . 本文を読む