ローマ字入力で、ハグを出そうとと打鍵し、変換してみるが、刃具、と出てきてびっくり。剥ぐ、矧ぐ、これもまた、接ぐ、である。米大統領と従軍慰安婦とのはぐであるから、ハグの映像は衝撃的である。外交のこと、政治から見てのこと、まして近隣諸国の歓迎行事なのだから、ニュースを受けていればよいのであるけれど、これはなにを表わしているかと、フェイクかと思ってしまった。マスメディアがこぞって報道する見出しになっていて、いやはや、ニュースなのである。外交の演出をここぞとして見せたが、かの大統領にとってみれば、拉致者のことと重なるのか。 . . . 本文を読む
どう見えるか、それは年齢相応に違いない。一挙手一投足をまぎれもなく、矍鑠と言うには、漢語の出典は、後漢書の馬援伝に見えるが、どうも62歳の出陣らしいから、もはや、この用語は、かけ離れたことである。テレビ映像などに紹介される85歳、90歳、中には100歳にもなる人の日常活動が伝えられて、それは年齢を感じさせない。するとどう見えるかは、こまかな一つ一つの動作や行動による、と辞書の見えることと、くわえて、ちょっとした努力か、わずかな骨折りのことでもあるから、その行動に現れることがある。一挙手一投足に気を配る、一挙手一投足の労を費やす、という例文は、同じことのようである。この語の出典は、韓愈「応科目時与人書」から、一度手を挙げ、一度足を踏み出す意と見える。以上は、デジタル大辞泉、小学館 より。
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文典は文法、語法を説明する書とある。日本大文典、日本小文典となると、ポルトガルのイエズス会の宣教師である、1577年、天正5年頃に来日した、ロドリゲス João Rodriguez 1561~1634 の著述の日本語訳である。時代が下がって、文法論議は文法の呼称をもってすると、近代になっての西洋文法の折衷から始まる。翻訳文法書の言いは、翻訳のための文法ではない。語学学習書から影響して、幕末から明治初期にかけての文法書である。日本文法について代表著述に、大槻文彦 1847-1928 の、広日本文典、同別記 1897年をあげる。それまでに、田中義廉、小学日本文典、1874年、中根淑、日本文典 1876年 など、日本語に合わせたものが出ている。また、 B.H.Chamberlain、日本小文典 1887年、A Hand-book of Colloquial Japanese 、1888年初版、W.G.Aston、 Grammar of the Japanese Spoken Language 1888年 第四版=増訂版など挙げる。 . . . 本文を読む