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アテルイ(蝦夷アイヌ酋長)の現代評価・・・一例

2008年08月20日 | 川柳

            

              現代のアテルイ像

                   評価

坂上田村麻呂が偉大な将軍として古代から中世にかけて様々な伝説を残したのに対し、アテルイはその後の文献に名を残さない。明治以降の歴史学の見地からは、アテルイは朝廷に反逆した賊徒であり、日本の統一の障害であり、歴史の本流から排除されるべき存在であった。

再評価されるようになったのは、1980年代後半以降である。学界で日本周辺の歴史を積極的に見直し始めた点と、一般社会において中央に対する地方の自立が肯定的に評価されるようになった点とが、背景にある。アテルイは古代東北の抵抗の英雄として、一躍歴史上の重要人物に伍することとなった。

これに伴って、アテルイ伝説を探索あるいは創出する試みも出てきた。田村麻呂伝説に現れる悪路王をアテルイと目する説があり、賛否両論がある。

石碑、顕彰碑

上述の枚方市宇山にはアテルイ・モレの胴塚と伝えられる塚がかつてあり(現存しない)、その近くの片埜神社のかつての社地(現在は牧野公園内)には首塚と伝えられる塚がある。但し、胴塚と伝えられていた塚は発掘の結果、アテルイの時代よりも200年近く古いものであることが判明した。1995年ごろから毎年、岩手県県人会などが主催してアテルイの慰霊祭を行っており、片埜神社がその祭祀を行っている。もう1つの比定地は枚方市藤阪で、王仁博士の墓とされている墓が、実はアテルイの墓であるとする説がある。

田村麻呂が創建したと伝えられる京都の清水寺境内には、平安遷都1200年を記念して、1994年平成6年)11月に「アテルイ・モレ顕彰碑」が建立されている。牧野公園内の首塚にも、2007年(平成19年)3月に「伝 阿弖流為・母禮之塚」の石碑が建立された。

2005年には、アテルイの忌日に当たる9月17日に合わせ、岩手県奥州市水沢区羽田町の羽黒山に阿弖流爲・母礼慰霊碑が建立された。同慰霊碑は、アテルイやモレの魂を分霊の形で移し、故郷の土の中で安らかに眠ってもらうことを願い、地元での慰霊、顕彰の場として建立実行委員会によって、一般からの寄付により作られた。尚、慰霊碑には、浄財寄付者の名簿などと共に、2004年秋に枚方の牧野公園内首塚での慰霊祭の際に、奥州市水沢区の「アテルイを顕彰する会」によって採取された首塚の土が埋葬されている。

又、JR東日本は、東北本線で運行している朝間の快速列車1本に、彼の名前を与えている。

創作

1990年代からは、アテルイを題材とした様々な創作活動が起こった。2000年吉川英治文学賞を受賞した高橋克彦著「火怨」や、これを原作としたミュージカル「アテルイ」(わらび座)などである。後者は2004年月刊ミュージカル誌の作品部門で10位にランクイン。タキナ役の丸山有子小田島雄志賞を受賞している。他に高橋克彦原作による漫画「阿弖流為II世」(「火怨」とは無関係)や2002年新橋演舞場で公演された市川染五郎 (7代目)主演「アテルイ」(松竹株式会社)が有名である。

アテルイの首塚(枚方市)


首塚部分拡大


「伝 阿弖流為・母禮之塚」碑(枚方市)


阿弖流爲・母礼の顕彰碑(京都清水寺)


阿弖流爲・母礼の顕彰碑(裏側)


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