佐藤容子 作品
あそび・なれあい・ごまかしだらけの川柳・そしてその川柳から脱落逃避している位置でなお川柳があるとしたら、いや現にあるからおもしろい。
算盤に合う冠を川柳のうたにのせることに、素直に脱帽すべきだろうか。川柳へのひたむきな純粋さをコッケイと嗤うべきだろうか。
感動の表層部にのみ安住していない屈折の世界こそ自己批判の原点であろう。にんげんのおろかさをふりむく冷酷な眼こそ真実な悲しみと輝きをそこに見出す。
くっきりと指紋を残しておくこの世
順調に老いてドッコイショと座る
矢印の通りに歩いてきた迷子
芯折れる音に目覚めるわが背筋
作者の内なるロマンと力強い志向があたたかい。立ち止まることなく高齢化社会は音もなく進んでいる。おそらく川柳界の平均年齢は75歳を超えているだろう。
余談だけれど健康のために59歳で社交ダンスを始めて18年になる。その50人ほどいるダンスサークルの平均年齢は78歳である。即ち、これが日本の年齢の縮図だろう。それだけ日本は老いている。
「そして今ここに「泥」という川柳誌がかたちをなした。三人が描いた三本の線は、太さも長さも別々でありながら組み立ててみると何故か、正三角形になった。
同等の辺でありながら鋭角を持ち決して円の中には存在しない三角形であることが分かった。三人には、何かを編まずにはいられない共通の思いが内在していた。」
未来性へのこころくばりが見える。
池 さとし 作品
どの指がいちばん重い偽証罪
偽証するにんげんのきずなのひろさ・深さがある・次に不思議さを残す。どの指もみな一連托生なのに自分だけいい子になろうとする。
金持ちとゴミ箱は溜まるほどきたねえのだ。
街角の星占いは愉快犯
うろこほどの夕焼け一枚盗りにゆく
駄菓子屋に昭和の夕焼け空が浮く
愉快犯は少しあそんでいるさとしであり、夕焼け二作品は軽いタッチの印象風景でやさしい自嘲。「書くことは、恥をかくことである」という言葉に頷きながら、「恥をかくことは前進につながる」ことと信じ肝に銘じたときペンが少しずつ軽くなってくるような気がした。・・中略・・、「誌をつくるプロセスに充実感がある。」・・散隔情誼から共感したことば。