川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

こっつん こっつん 土・・・金子みすず

2008年03月31日 | 川柳

             金子みすず詩集より(1903~30)

                 土
                 
             こッつん こッつん
               打たれる土は
               よい畠になって
               よい麦生むよ。

                朝から晩まで
                踏まれる土は
               よい路になって
                 車を通すよ。

                打たれぬ土は
                踏まれぬ土は
                要らない土か。

                いえいえそれは
                名のない草の
                お宿をするよ。

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しあわせ・・・金子みすず

2008年03月30日 | 川柳

             金子みすず詩集(1903~30)
           し あ わ せ

          桃いろお衣(べべ)のしあわせが、
           ひとりしくしく泣いていた。

           夜更けて雨戸をたたいても、
           誰も知らない、さびしさに、
          のぞけば、暗い灯(ひ)のかげに、
           やつれた母さん、病気の子。

           かなしく次のかどに立ち、
           またそのさきの戸をたたき、
           町中まわってみたけれど、
           誰もいれてはくれないと、

            月の夜ふけの裏町で、
           ひとりしくしく泣いていた。


 深い味わいのある「詩」です。科学はいつも進歩はしているけれど、「人間そのもの」は、いつの時代も同心円をぐるぐる描きながら、かえって退化さえしている。
「しあわせ」という、「人間が対峙する、やっかいなテーマ」に挑んだ金子みすずさん。
26歳でこの世を去ったとしても、「精神年齢の高さはいかばかりか・・」と、思わずにはいられません。
「しあわせ」という「漠然としたテーゼ」を「桃色おべべ」に具象化させて・・・「しあわせ」なるがゆえに・・なかなか容易に「人間の生活、心の扉に受け入れてもらえない」「しあわせの嘆き」を「しくしく泣く桃色おべべ」と表現しています。「しあわせの象徴に人格を吹き込む・・創造主・・金子みすずさん。」信じられない比喩です。

   個々人の、「鑑賞の感性度」を突きつけられた「詩」のような気がします。

 人間の「魂」は、「脳の中の一千億の神経細胞の関係性から生じる」と脳科学者の「本」に書いてあったとしても、彼女の「神経細胞」が放つ言語空間には、「ただ、ただ畏れいります」。
 

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空をみるのによいように・・・金子みすず

2008年03月29日 | 川柳

             お日さん、雨さん
                

              ほこりのついた
                芝草を
              雨さん洗って
              くれました。

              洗ってぬれた
                芝草を
              お日さんほして
               くれました。

              こうして私が
               ねころんで
              空をみるのに
               よいように。

まぼろしの名詩が50年ぶりに発掘されてから、昭和59年に第一版が刊行されました。(1903~30)

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からりころりと通りゃんせ・・・金子みすず

2008年03月29日 | 川柳

             金子みすず詩集より(1903~30)

             波 の 橋 立
                

            波の橋立よいところ、
        右はみずうみ、もぐっちょがもぐる、
            左ゃ外海、白帆が通る、
      なかの松原、小松原、さらりさらりと風が吹く。 

         海のかもめはみずうみの鴨とあそんで
               日をくらし、
               青い月出りゃ
            みずうみの、ぬしは海辺で
                貝ひろう。

             波の橋立、よいところ、
           右はみずうみ、ちょろろの波よ、
            ひだりゃ外海、どんどの波よ、
              なかの石原、小石原、
            からりころりと通りゃんせ。

               
童謡の詩です。海とみずうみを眼下に望み、その風情の対比を試みています。
「かもめ」がその海と、みずうみを行きかう「昼と夜」の生態さえも教えてくれているような気がします。「かもめは今でも、海が荒れると察すれば、水のあるところならどこでも退避します。」
「ちょろろの波」「どんどの波」で、みずうみはわずか「湖面を走る波」海「高波」だから、かもめがホームグランドを離れ、湖の「鴨」と遊んでいるのですね。「鴨」も、穏やかな海で遊ぶのですよ・・蛇足まで。

「もぐっちょがもぐる」「ちょろろ」「どんと」「からりころり」のリズム感と大きなイメージを連想させてくれます。

 「どんな絵描きさんでも、この風景を絵にすることは至難のわざでしょう・・」
      みすずさんのチャレンジの姿が眼裏に浮かんできそうです。

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いい眼・・・金子みすず

2008年03月28日 | 川柳
             金子みすず詩集より
                 
               い い 眼
                 
             山のむこうの鳩の眼を、
            ねらって鉄砲が射てるよな、
             いい眼が私にあったなら、

            町のかあさんのそばにいて、
             田舎の、林の、木の枝の、
            小鳥の巣かけもみな見える。

             沖の、小鳥の、片かげの、
             岩のあわびもみなみえる。

             空の、夕焼けの、雲のうえ、
             天使のすがたもよくみえる。

             そんないい眼があったなら、
             いつも、母さんのそばにいて、
             いろんなことをみようもの。

こどもの頃の「いい眼」好奇心は、宝物です。それをどの方向に導いていくのかサポートするのか、あるいは、じっと見届けていくのか。
             むずかしいところです。
「子育ては一大事業である」・・と、おっしゃっていた方がおりました。
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田舎の町と飛行機・・・金子みすず

2008年03月28日 | 川柳
             金子みすず詩集より(1903~30)

             田舎の町と飛行機
                  
            飛行機お空に見えたので、
            町じゅう表へ出て来たよ。

            菓子屋の店にも誰もいず、
             床屋の鏡も空っぽで、

             みんな揃って口あけて、
             春のお空をみていたよ。

             群れて小鳥のとぶように、
             ビラがお空を舞ってたよ。

             うちの庭にはちらちらと、
              桜になって散ってたよ.

             飛行機お空をすぎたので、
            町じゅうぽかんとしていたよ。

大正・昭和の初期にもこのようなビラが空から撒かれていたのですね。
  私も、2・3度子供のころに、ビラを追いかけたことがあります。
        今は、法で規制されているのでしょうか。
         ワクワクした思い出のワンシーンです。
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桑田投手にさくらは満開です!!

2008年03月27日 | 川柳

 昨日の、桑田投手の引退スピーチ。「心技体」の完成された人格の大きさに拍手・拍手。「スポーツ選手は花を咲かせることに命を燃やしたら、きちんと美しく散る散り方も心得なければならない。」私。
「散るさくら残る桜も散る桜」良寛様の名句が似合う桑田投手でした。
 派手ではないけれど、PL学園時代から甲子園での決勝戦の力投と1球・1球・「天に誓いながら・・天と相談しながら・・天に感謝しながら」があのパフォーマンスだったのだろうと思います。「孤高の戦いの相手は、自分なのだと天を10代で、引き寄せることの出来た稀有な選手でした。」
 アメリカ進出は、野茂のフロンティアスピリッツに続き、イチロー・松井・桑田・松坂ETC.
 アメリカ国民の大多数は、それ以前「日本」をほとんど知らないよ!!「中国の一部くらいの印象しかなかったのですよ・・それが、米国のお家芸に花を咲かせた日本野球選手の皆さんは、日本の優秀な外交官の役目も果たしてくれたのです。
もちろん、動く教育者であり、平和の使者でもあり・夢を運ぶ日本のサンタクロースでもあり・・です。」

     それに比べて、情けないのが「日本の政治」
(でも、戦後の政治のひずみ現象の・・雪崩現象だから・・福田首相は小泉さんの お傷のお手当てに・・お顔もこけて、おかわいそうに・・同情しちゃいます・・福ちゃんがんばれ!!・・名字はいいぞ!福・福・福・・たぬき顔で、名将には腹芸も大切だ。総理大臣がいなくても、日銀総裁がいなくても、庶民は生きていけますから・・!。政治と・官僚のやるべきことって・・なーんだったんでしょうか・・?コンセプトに着けないのね・・漂流しているのね・・にんげんらしいのね・・川柳のネタが増えるのね!ありがとう!でも、世界一優秀といわれた日本の官僚ですよ・・。)
 そういえば以前、惜しくも自決した「新井将敬氏」の生前の言葉が浮かぶ。「一国の首相たるもの、4年の任期で一つのプロジェクトを完成させることだ、それができるかできないかであろう。」(生きていて欲しかったなー・・。)
       スポーツから政治、世界経済の動脈のお話です。
 今回のサブプライムにおける、アメリカの平均株価の下落率は10パーセント。
日本のバブル以後の今は、平均株価は3分の1以下。
今回のサブプライムちゃんの、損失金はアメリカの倍の被害をこうむったジャパンちゃん。
このジャパンちゃんの個人資金が毎年平均一兆円海外に流出しているという。為替と株の動きは、今まで逆転現象を起こしていたのが、今までにない株価の動きを最近しているという、円安にふれると、株価が上がるというグラフを見て・・驚き!

今や、政治は「経済」によって動かされているのは明白ですが、

 日本は、本当の意味で「日本国株式会社」にしなければ!・・首長は「全員・経営者にする」。(ここで問題なのが・・そんな、損な役回りをする大器の経営者がいない。だってそうでしょう・・改革して功績を挙げても以前の不祥事に責任を取らされるのジャー・・たまったもんじゃあありません!そこを何とかしてからじゃないと、変革できないでしょう・・変革って言っても、あたりまえにするだけなのですが・・これが出来ないのは政治だけではありません。)世界の経済総合国力評価が日本は昨年の5位から8位にランク落ち、アメリカはいつも1位。イギリスの10年に一度くらいしか日本特集の表紙を飾ることがない「エコノミスト誌」も最近特集を組んで「経済は、日本を素通りする」と書かれていたそうです。
 素通りするのは「風」だけで、世界に「自国」が誇れるようなまともな国にしてもらいたいものです。
      「自立・自律」「自分の舟は自分で漕ぐ」ですよ。

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おうちで鹿は飼えないよ!

2008年03月26日 | 川柳

 あーらあら、このブログも気がついたら1年が過ぎていました。

 仕事で机のお向かいの元プログラマーで、会計事務所にも勤務していたことのある才女のスタッフが、ブログをやっているというので「面白い?」と聞いたら「おもしろいですよー・・!」「どこが面白いの?」と聞いたら「・・・・やってみたらどうですか?わかりますから!わたしはページ3つ持っていますから・・」
「へーぇ・・じゃあやってみましょうか・・」で始めたブログ。

   彼女のコンピューター頭脳には、いつも敬服するばかり。

「今日の夕食は何を作るの?」私
「さあ・・何にしましょう・・。」彼女
「まず、冷蔵庫に残っているものを、インターネットで検索して料理することも多いですよ・・」彼女「へーえ!」私

「ねえー・・個人情報保護法ってどう思う?」私
「そんなの守られっこないじゃありませんか!」彼女
「どうして?」私
あきれた顔で「行政が国民のあらゆる台帳を入力するのに民間のあらゆる機関に発注している時点で情報がもれているじゃありませんか!!」彼女
「なーるほどね・・」私。そんな会話はもう何年も前のお話で彼女からコンピュータ関係の裏の趨勢を聞いて驚くばかり。

       彼女の夫もプログラマーであり管理職。

「この間笑っちゃいましたよ!」彼女
「どーしたの・・」私
「うちの夫とこどもで鹿部に行ったんですよ!!そしたら鹿が、家の玄関に立っていたので子供たちとびっくりしていたら、ウチの夫がそこの家のこどもに・・・ボクのウチで・・飼ってる鹿なの??・・って聞いているんですよ!!・・なーわけないのに・・大笑いなんですから・・」彼女

その場面を想像して、私も笑っちゃいましたが、プログラマーの仕事っていうのは大変を通り越しています。
  会社から3日も1週間も帰らずに、3日3晩眠らないこともあるそうです。

パソコンを打ちながら、「点滴」しながら仕事をしている光景などは、珍しくもないそうです。

北海道も札幌がIT産業の集積地ではありますが、確実に伸びている産業です。

        将来の日本人の寿命が、ちょっと気になります。
フリーターも実質的には1900万人とこの間、H教授から聞いてびっくり!!

大企業の好況や、東京・東海の景気が良かったのは、「蟹工船」「野麦峠」の現代バージョンが支えてもいるのでしょう・・。

  書く事は、習慣にもなり自分の姿を逆に投影していることでもあります。



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大人になれたらうれしいな

2008年03月25日 | 川柳
           金子みすず詩集より(1903~1930)

           打 出 の 小 槌(こづち)
                
           打ち出の小槌をもらったら
            私は何を出しましょう。

          ようかん、カステラ、甘納豆
           ねえさんとおんなじ腕時計、
           まだまだそれより真っ白な
           唄の上手なオウムを出して、
         赤い帽子(シャッポ)の小人を出して
           毎日踊りを見ましょうか。

           いいえ、それよりお話の
           一寸法師がしたように
           背丈を出して一ぺんに
          大人になれたらうれしいな。

「一寸法師がしたように背丈を出して一ぺんに大人になれたらうれしいな。」
という、最後のフレーズに心がとまります。

「一寸法師」の物語は、おじいさん、おばあさんの悪だくみを聞いて、おわんの舟で櫂をこいで一寸法師が逃げるストーリーから御伽草子が始まります。
もし、一寸法師が大人で背丈が大きかったなら、小さな体でおわんの舟をこぐ必要もなかった訳です。こどもが急に大人になったらうれしい!へんしーん!!ミラクルです。
こんな作者のこどもの願望を創れる「あたたかなまなざしに、大変成熟した女性の金子みすずさんを感じます。」
  
 こどもたちにとっての「打ち出の小槌」は、今やどらえもんの「なんでもポケット」などに表現は変わっていても、「夢のプレゼント」をしてくれるものは、古今東西、普遍の子供たちの欲求でしょうか。

 ちなみに私は、大人になっても誕生プレゼントに何がいいかと父に聞かれ、「デパート一つ欲しい!」と答え「馬鹿!」と言われました。
 でも、「本気」でしたよ・・「デパート一つあれば何でもありますからね・・・」
逆に父の日に「プレゼントに何がいいでしょう?」と私が尋ねたら・・「何でもいいですよ!何だったら・・クルーザーでも買ってもらいましょうかねー!」と応酬されました。いつもそんな調子ですが。

もしかしたら、人間はみな「こころに打ち出の小槌を持っているのではないでしょうか?」それを実現させた人を「成功者」と呼ぶのでしょうか?
         いえいえ、それは・・・大人のへんな観念です。
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函館にドラえもんが来る!すごいzo!

2008年03月24日 | 川柳


 函館の美術館に「ドラえもんが来る!」ワーイ!!と喜んでるのは私だけではないでしょう!「漫画」も「絵画」も一本の線から生まれた親子ではありませんか・・。
どっちが親かっていうのは抜きにして、日本で一番古いといわれている「絵」が「鳥獣戯画」なのは皆さんもご存知でしょう!
 その絵巻を「画」として見れば「画」。「漫画」と見れば「漫画」。漫画は「漫遊を描く」ことを意味しています。
美術というのは「美の術(美のテクニック)」なのですから、ある、既得権意識の美術史の高い壁が取り外されたと思うことが・・私の「ワーイ!」「ワーイ!」なのです。
「はじめて鳥獣戯画が載っている教科書を見たときの印象は、うさぎやかえるや猿が描かれていました。その絵は、私の眼には漫画にしか見えませんでした。」 暗い採光の下で、けげんそうな顔をして鑑賞するだけが「芸術品」ではありません。
    世界では日本の「漫画」や「アニメ」が次々と評判を呼んでおります。
もとをただせば、「日本人の平和への考え方や、夢のありようが世界の大衆に受け入れられているのです。」
芸術にはもともと「ジャンルなどななかったはずです。」「なんでも定義づけたいのが、人間というものだ。」と言った人がおりますが、ホントにそう思います。
 私の好きな画家の知人が「画道というものは、貧乏人の僕たちに与えられた唯一の光への道だ、日本はまだしもヨーロッパへ行ったら貧乏人が金持ちの夢を見れるのは芸術しか道は無いよ!」とおっしゃったことばを今、噛みしめております。
            芸術の目指すものは「愛と平和」です。
「宮崎駿氏」のアニメも「ドラえもん」も、日本の政治では決して解決できない「世界平和」を日本の「憲法9条」を、アニメに乗せて今も、世界のお茶の間や映画館、そして本を読みながら育ったドラえもんを愛する子供達が、いつしか世界の「悪」と戦ってくれることでしょう。
 耳のないドラえもん・・犬が嫌いなドラえもん。次から次と生み出す新兵器は「芸術家の粋を集めた世界の大衆が認めた動く平和希求の美術史です。」

   「一枚の絵画もすばらしい!」「万枚の漫画の共同制作もすばらしい!」
         楽しく笑いながら歩ける美術館の到来です!

 

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