川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

 (漕艇)ボートとの出会い

2010年10月30日 | 川柳

                     (漕艇)ボートとの出会い

     「ねーえ・・かわはら・・・ボートって面白い??」私 16歳

 

 1966年夏のインターハイボート女子ナックルフォアで全国優勝を成し遂げた級友が私の前の席。

小樽商業高校で陸上三段跳びの青木澄雄先輩とボート部だけが全国大会出場の花形。

私は高校一年、水泳部に所属し男子部員は10数名いるけれど、女子部員はわたしひとり。

  それじゃあ嫌だから、友人6名を一人で勧誘して、高校1年生でキャプテン。

成績も道大会100m自由形5位、200m2位、室内50m道1位といい成績だったのが、2年になるとまったく水泳に夢が持てなくなった。

                    理由は2つ

①コーチは今でも、北海道水泳協会を代表するお偉い方で、父とも旧知の仲。

                    それゆえか

「俺は強くなれる部員しか教えない!」と言って、20名ばかりいる部員の中で私に対する指導時間が7割位に及ぶ。

 中学時代から水泳部に入ろうと決めていたのに水泳が全く楽しくなくなって・・・毎日が競泳プールの下のラインと、タイムとのにらめっことコーチの叱咤激励の・・・モルモットであった。…ここから・・

コーチたるもの選手にとって「好きこそものの上手なれ」を第一義に指導することが大切と・・・教わった。

②インターハイへの切符を高校一年で手にした私は、「内心喜んだ」・・・当たり前である。

ところが45年も前の北海道水泳のレベルは全国最下位であった。(水泳選手を育てる室内競泳場の不完備とコーチのレベルの差によるものである。)

「○○チャン!インターハイいくかあ・・・?行っても最下位で・・・拍手もらって終わりなんだよなー・・・」コーチ

               「・・・・・」私(答えに窮していた。)

          当たり前である・・・全国へ行く為に頑張ったのだ!

自分を押し殺し・・・では行きません・・・と、コーチの考えに沿うしか答えは無かった。。。(そのインターハイの出場プログラムを後から見て愕然とした。あの木原美智子さんの隣の5コースが私で、棄権と書いてあった。最下位でも死ぬほど行きたかった。口惜し過ぎた思い出である。)

・・・・ここから学んだことは・・・たとえ最下位であっても大きな試合の環境を与える事が選手の人生にとって大きな学びになるはずだ。したがって、このコーチの選択は勝つ事のみに力点を置いた結果だろう。(スポーツは多義に亘った人生舞台なのだ。)

    この高校1年間の経験は、その後の人生にとって大き布石となった

        自分が中学3年生に描いた、人生目標はスポーツで

           若いうちに 「日本一になる」であった。

 

そして、その後は精神性を生かした分野で日本一を目指す。であった。

 

 そして偶然、小樽商業高校で私の前席の「k」さんがボート部。

それも、私が行けなかった夏のインターハイで全国優勝を成し遂げて来たのだ。

         「ねえ・・・ボートって面白い??」私

「面白いかどうか・・・艇に乗ってみな!乙坂先生(顧問)に言っておくから。。。。」

      次の日、潮風プンプンの小樽湾で初めてオールを握った。

     すごく楽しい!!こんな広い海の上。

 プールで何千mも泳いでいたって、見えるのはプール床の白線とコースロープと空ばかり。

         ボートは外国船の乗組員も手を振ってくれる。

ポンポン蒸気船も行き交う。船風が心地いい。それに何より団体スポーツ。

           みんなで励ましあえる!!!

「くぼー、ボートはいいぞ・・・毎日、ただでボートが漕げるんだ!!公園でボートを漕いだら1000円もとられるぞおー・・・・・夕陽がきれいだろう。。。毎日こんなすばらしい景色が見られるんだ。。。くぼ・・・日本一になりたいだろう!!」乙坂先生(北大出)

            日本一

      日本一・・・のそのひと言にがついた!!

        その日のことは、忘れた事が無い。

高校も、小樽RC時代もボート部員は私が入部して、6~7名体制で今でも漕友たちと小樽潮レガッタに出場して勝ち続けている。・・・お化けなおばさんたちです

         くぼー・・・日本一になりたくないかあ!

「なりたいです!!」と大きな声で自分の心の中で叫んでいた。

乙坂先生(現北海道漕艇協会顧問)の監督としての頭脳のすごさは・・・これから・・・書き残す。

ご本人は小樽潮稜高校ボート史「漢の高祖」を

以前執筆、編集されたのだけれど

乙坂先生のサプライズ戦略を書き遺すのも

マル秘で面白い!

今年も小樽でお会いできました。「オー・・・来てたかあ・・・」

今も昔も、生徒を全国一に導けるコツを熟知された方である。

その乙坂術をこれから・・・書き遺そう。

 

 

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頑張れ!北海道ボート部!

2010年10月29日 | 川柳

            北海道新聞社主催 北海道スポーツ賞

        を検索すると懐かしい記録が記載されていました。

 2・3年前に亡くなられた、母校の先輩でもあるジャンプの青地選手は、函館川柳社で事務方の大役を永年務められているNさんの義兄であるとは・・・世間は狭い!

 そろそろ、ボートのあれやこれやを書き溜めておくのも「北海道ボートの歴史を飾る一助になりはしないだろうか?」自分だけで、そう確信している。

 今、北大のボート部関係を検索しても「手記」らしいものは、記念誌にはなっているけれど、私のような暇人は「北大ボート部OB」にはいないようなので・・・ちょっと・・・さびしい。。。

けれど、ダブルスカルで元オリンピック選手、ペアの杉藤・小日向氏のブログがあったので勝手にリンクさせていただきました。   

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A5%E5%90%91%E8%AC%99%E4%B8%80

             http://talent.yahoo.co.jp/pf/detail/pp340380

杉藤氏は、日本代表のプロコーチとして活躍。

小日向氏は仕事と監督をこなしておられるとは・・・またまた・・・、大努力家のご秀才。

北海道ボート界は、北大出身のコーチが全道の高校生を指導されておりますが、

このご時勢、「水難事故」や「遠征」「合宿」等等で、ボート部の顧問教師の方々が皆やりたがらない実状があります。

 将来的には・・・北大ボート部が、北海道ボート界の重責を担っていく事でしょう。

 44年前の北大ボート部の「ハングリーな合宿生活の一部」を知っている私にとって・・・あの当時の彼らは「・・・・・・・」んんんn・・・語れない。。。

 ただ、肉体的にも、精神的にも日本を代表するハングリーさは確かにありました。

      北大ボート部に孤高さがつきまとう環境は今も昔も同じです。

40年ほど前は、「食べるものは食べていたのでしょうか?みんな細かった。。。はっきり言おう・・・嫌、やっぱり書けない。」

この当時は、北海道ボート王国とも言われ、網走市役所一般(男子)、北大・高校・小樽ローイング(女子)は強かった1971年鹿児島国体では天皇杯はいただいた。皇后杯は・・・記憶に無い。もらったかも知れない。

  若さゆえ、北海道総合点より自分たちのチームの勝利しか考えていなかった。

             天皇杯も皇后杯もおまけ的な問題。

 北海道女子フォアの記録は、一般ではまだ私たちの記録は破られていないはず。。。

     早く破ってほしいけれど・・・ボート部そのものの存続が危うい。

        頑張れ!北海道ボート部!

     1972年(1971年冬季札幌オリンピック)

【団体】

   全北海道一般男子チーム(国体)=ホッケー

小樽ローイングクラブ(国体)=女子ボート
【個人】
石川幸光(札幌中央郵便局)=ボクシング
大高優子(札幌・エルムソーイング)=リュージュ
小椋紀志子(上士幌高)=陸上
【特別賞】
笠谷幸生(ニッカウ井スキー)=ジャンプ
金野昭次(拓銀)=ジャンプ
青地清ニ(雪印乳業)=ジャンプ
加藤喜代美(東京・三信電気)=レスリング
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やっぱり北大はフロンティア精神が良く似合います。

2010年10月28日 | 川柳

           鈴木章名誉教授ノーベル化学賞受賞

 の陰に、北大触媒研究所の環境があったことも、指摘されています。その開設者が堀内寿郎元学長であったとは・・・やっぱり・・・私の勘が当りました。

 このお二人に何らかの接点がないか検索したらすぐこのような記事に出会いました。

ローマは一日にして成らず。科学者は世紀を越える・・・100年先までも「人間を成長させ育む方なのだ!」と思い知る。

日本ボート界にも、すごい功績を残されているとは知りませんでした。

(今思えば、確かに北大出身のコーチは、コーチされていても漕者を納得させるだけの科学性がありました。)

北大ボート部はその後、プロコーチ資格を(日本初)カナダで取得された元オリンピック選手でもある、杉藤氏を北大OBから輩出されました。

           やっぱり北大はフロンティア精神が良く似合います。

                  今はどうでしょうか。。。

   http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20101009ddlk01040285000c.html

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北大ボート部へ・・・愛を込めて。。。

2010年10月28日 | 川柳
      先日、札幌駅前エルプラザで

        川柳誌「極光の集い」

           に参加して参りました。

 中央で、座長をつとめてくださった石井先生。北大出身(元、S高校校長)

先日、小樽朝里の地において石井先生の句碑が建立されました。

  まだ、ご存命でピンピンしていらっしゃるにもかかわらず、これで二つ目の小樽有志による建立です。とてもすばらしいことであります。

 

 極光勉強会も食事会も終え、札幌北口駅を左手に曲がり「エルムの森(北大)」の正面に車がさしかかりました。

「そうだ!ノーベル賞の鈴木先生がいらっしゃる、北大!」

    ちょっと・・・散歩でも。。。と思いキャンパスの駐車場へと向かった。

正門からすぐ右手にレンガ風な建物の上から「鈴木章名誉教授ノーベル賞おめでとうございます!」と白地に黒文字と赤文字で書かれた懸垂幕がひときわ目立っていました。

          北海道で初めてのノーベル賞

それもアメリカの大学で研究していたころの功績に与えられたとはいえ・・・凡人の私には雲の上の出来事でしかありません。

 エルムの森をあとに、駐車場の警備員さんに「見物客が多くなりましたでしょう!」と声をかけたら「ホント・・・多くなりました。」とのこと。

   いつもなら、ここは大学なのか、植物園なのかわからない。

うっそうとしたエルム(ハルニレ)の木立の学舎の正面玄関の人の往来の多さにはびっくりしました。

 嗚呼・・・北大かあ・・・と感じつつ・・・今頃になり石狩・後志管内に住んでいた私たちは・・・なんと!北大出身者の方々に指導されて生きてきたか・・・と、自己発見をしたのです。(中学高校時代の教師に北大卒が多かった様に思います。)

鈴木名誉教授のノーベル賞を、もし故堀内寿郎氏が生きていらしたらどんなにお喜びになったことだろうかと・・・15・16・17・18・19歳あたりの若き(馬鹿紀)思い出がやんわりと・・・こみ上げ続けて来ました。

 あのー???堀内学長時代恒例の「茨戸レガッタ」前の、安全講習。そして。。。ながーいお話の・・・ボート精神のありようを・・・とうとうと・・・とつとつと・・・目を輝かせてお話されていた姿が懐かしく浮かび・・・(当時の私には・・・固いお話ばかり。)

あの、小柄な、奥ゆかしいほほえみを孤高にたたえていらした北大艇庫前でのお姿は・・・まるで。。。ホント!!えらそうでは全くなかった。

 ボート大好き人間北大学長が・・・私たちに受け継いでもらいたかった・・・精神が・・・この一週間でやっと理解が出来てきたように思います。

 40年も前、試合中の暑い中でも、背広とネクタイで北海道のボートマンを拍手で支えてくださった恩人のひとりでもあったはずなのに。今頃、気がついた。(遅いなー)

 北大が琵琶湖朝日レガッタで優勝したのもそんな時。

   琵琶湖で、「北大が優勝したよ!」「ちくしょー!・・・私たち4位なのに!」

と、腐っていてもエイトの彼らを、讃え出迎えに行かねばならなかったのも、氏が提唱するところの

             ・・・オアズマンシップでもあった。

   きっと、その日は、故堀内寿郎氏も北大0Bも選手達も美酒に酔ったことでしょう!(今でも、茨戸漕艇場に大きな写真が掲げられている。)

それにしても、無学で、無知で、無謀な私達の若さをいつも見守ってくださったご好意に、

      感動しまくっている・・・今。。。頃。

     ああ・・・エルムの森から四十年ぶりに杯

           をいただいたようなものです。

 偉大な人とは・・・この間亡くなられた日本を代表する版画家一原有徳氏と同じ雰囲気なのがなんともはや。。。

      北海道大学にもこのようなすごい方が

      活躍されていたことを誇りに思います。

         ネットで、「堀口寿郎」と検索をして、

           びっくりしました!!!

『かの・・・オアズマンは・・・その精神たるものは・・・』

        と、広い海原を見つめるように

             語ってくださったながーい「2時間」の講義。

      ネットで氏の功績が検索出来る時代。ありがたいことであります。

 キット、氏の世界的な研究成果は、若かりし頃の「ボート精神」が支えたものと誰もが疑う事は無いでしょう。

 江戸川や荒川の水も冷たい、食糧難時代の東大ボート部の思い出を胸に秘め・・・世界の未来の為に研究に日々奮闘されたのだなーと思います。

  もし今回、北大に足を向けなければ、私は一生「ボート馬鹿な北大学長」との記憶の観念のままあの世に行ったはずです。

  若気の至り・・・馬鹿気の至りはまだまだ続く

 「その節はお世話になりました」と、ウェブサイトの氏のお墓の写真の前で

             ひとり・・・つぶやいています。

 

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%86%85%E5%AF%BF%E9%83%8E

              http://summit.ismedia.jp/articles/-/202

 

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嗚呼・・・エルムの森から杯受けて(故堀内寿郎氏を偲ぶ)

2010年10月27日 | 川柳

                     先日、札幌駅前エルプラザで

        川柳誌「極光の集い」

           に参加して参りました。

 中央で、座長をつとめてくださった石井先生。北大出身(元、S高校校長)

先日、小樽朝里の地において石井先生の句碑が建立されました。

  まだ、ご存命でピンピンしていらっしゃるにもかかわらず、これで二つ目の小樽有志による建立です。とてもすばらしいことであります。

 

 極光勉強会も食事会も終え、札幌北口駅を左手に曲がり「エルムの森(北大)」の正面に車がさしかかりました。

「そうだ!ノーベル賞の鈴木先生がいらっしゃる、北大!」

    ちょっと・・・散歩でも。。。と思いキャンパスの駐車場へと向かった。

正門からすぐ右手にレンガ風な建物の上から「鈴木章名誉教授ノーベル賞おめでとうございます!」と白地に黒文字と赤文字で書かれた懸垂幕がひときわ目立っていました。

          北海道で初めてのノーベル賞

それもアメリカの大学で研究していたころの功績に与えられたとはいえ・・・凡人の私には雲の上の出来事でしかありません。

 エルムの森をあとに、駐車場の警備員さんに「見物客が多くなりましたでしょう!」と声をかけたら「ホント・・・多くなりました。」とのこと。

   いつもなら、ここは大学なのか、植物園なのかわからない。

うっそうとしたエルム(ハルニレ)の木立の学舎の正面玄関の人の往来の多さにはびっくりしました。

 嗚呼・・・北大かあ・・・と感じつつ・・・今頃になり石狩・後志管内に住んでいた私たちは・・・なんと!北大出身者の方々に指導されて生きてきたか・・・と、自己発見をしたのです。(中学高校時代の教師に北大卒が多かった様に思います。)

鈴木名誉教授のノーベル賞を、もし故堀内寿郎氏が生きていらしたらどんなにお喜びになったことだろうかと・・・16・17・18・19.・20歳あたりの若き(馬鹿紀)思い出がやんわりと・・・こみ上げ続けて来ました。

 あのー???堀内学長時代恒例の「茨戸レガッタ」前の、安全講習。そして。。。ながーいお話の・・・ボート精神のありようを・・・とうとうと・・・とつとつと・・・目を輝かせてお話されていた姿が懐かしく浮かび・・・(当時の私には・・・固いお話ばかり。)

あの、小柄な、奥ゆかしいほほえみを孤高にたたえていらした北大艇庫前でのお姿は・・・まるで。。。ホント!!えらそうでは全くなかった。

 ボート大好き人間北大学長が・・・私たちに受け継いでもらいたかった・・・精神が・・・この一週間でやっと理解が出来てきたように思います。

 40年も前、試合中の暑い中でも、背広とネクタイで北海道のボートマンを拍手で支えてくださった恩人のひとりでもあったはずなのに。今頃、気がついた。(遅いなー)

 北大が琵琶湖朝日レガッタで優勝したのもそんな時。

   琵琶湖で、「北大が優勝したよ!」「ちくしょー!・・・私たち4位なのに!」

と、腐っていてもエイトの彼らを、讃え出迎えに行かねばならなかったのも、氏が提唱するところの

             ・・・オアズマンシップでもあった。

   きっと、その日は、故堀内寿郎氏も北大0Bも選手達も美酒に酔ったことでしょう!(今でも、茨戸漕艇場に大きな写真が掲げられている。)

それにしても、無学で、無知で、無謀な私達の若さをいつも見守ってくださったご好意に、

      感動しまくっている・・・今。。。頃。

     ああ・・・エルムの森から四十年ぶりに杯

           をいただいたようなものです。

 偉大な人とは・・・この間亡くなられた日本を代表する版画家一原有徳氏と同じ雰囲気なのがなんともはや。。。

      北海道大学にもこのようなすごい方が

      活躍されていたことを誇りに思います。

         ネットで、「堀口寿郎」と検索をして、

           びっくりしました!!!

『かの・・・オアズマンは・・・その精神たるものは・・・』

        と、広い海原を見つめるように

             語ってくださったながーい「2時間」の講義。

      ネットで氏の功績が検索出来る時代。ありがたいことであります。

 キット、氏の世界的な研究成果は、若かりし頃の「ボート精神」が支えたものと誰もが疑う事は無いでしょう。

 江戸川や荒川の水も冷たい、食糧難時代の東大ボート部の思い出を胸に秘め・・・世界の未来の為に研究に日々奮闘されたのだなーと思います。

  もし今回、北大に足を向けなければ、私は一生「ボート馬鹿な北大学長」との記憶の観念のままあの世に行ったはずです。

  若気の至り・・・馬鹿気の至りはまだまだ続く

 「その節はお世話になりました」と、ウェブサイトの氏のお墓の写真の前で

             ひとり・・・つぶやいています。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%86%85%E5%AF%BF%E9%83%8E

              http://summit.ismedia.jp/articles/-/202

 

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嗚呼・・・あの万里の長城。。。

2010年10月22日 | 川柳

      この三日間、北海道恵庭、札幌、小樽とそれぞれ所用があり

   車ビュンビュン高速びゅんびゅんで

            初秋のふるさと小樽へと遊びに行きました。

 朝里ホテルクラッセで温泉に浸かり(小樽へ行くたびに最近入浴しています。露天は森林が一望できます。)

                http://www.classe-hotel.com/

築港マイカルで夕食は御寿司を食べ、次の日の昼食は石狩湾から増毛まで一望できるノイシュロスホテルで、いいんでないかい小樽日和を親友と過ごす。

                http://www.neuschloss.com/

川柳歴3年で3回連続小樽市民川柳大会でサミット賞2度、読売新聞賞と高得点を取り小樽川柳社にとっても将来が楽しみな川柳人となっている。

死ぬまで拍手と激励は怠らない。彼女の生き様、死に様の道標になってくれたのには私自身も望外の喜びでもある。

「11月1日から奈良と大阪と京都に旅行に行ってくるわ!」ミツコ

「遷都1300年だから・・・奈良は今、旬だね!」私

「京都で祇園祭も南座で見てくるの。」ミツコ

「紅葉はまだ早いけど、奈良は見ごたえがあるし、世界遺産の宝庫だし。」私

「一緒に行くNさんが10年ほど奈良に住んでいたから・・・懐かしさもあるみたい」ミツコ

「Wさんなんかは、吉備真備展が奈良で開催されたとき、わざわざそれだけを見に行ったからねエー・・・法律家は己の仕事のルーツを見なければいかん!ってね。。。吉備真備が尊敬する法律家です!っていう人もいるくらいだから・・・奈良は10日くらいゆっくり見たいね!」私

「それにしても・・・増毛まで見えるこの風景は・・・やっぱり・・・いいねー」ミツコ

「日中問題も・・・関係なくなるね!」私

「私も仕事で、中国は行ってみなけりゃわからない、万里の長城を眺めて、何を感じるかが・・・大切。って話は後輩たちにはするけどね。。。私はあのときにすごい恐いものを感じたよ・・・いろいろ・・・」ミツコ

「私はミーハーだから一箱1000円の世界一高い煙草という言葉に踊って買っちゃったし、瀋陽のデパートで日本円で2万円のカーデガンを買っちゃったし・・・。。。日本円で2万は当時の元で言えば20万に相当するかもね・・・騙されているのはわかって買っちゃったもんね。。。今でもそのカーデガンはお気に入りだけど。。。」私

「だからね・・・それが、今の中国共産党そのものなのよ!世界で一番おいしい煙草じゃなくて・・・世界で一番高い煙草で・・・売る国だもの・・・嗚呼・・・中国人は可哀想。。。」ミツコ

         嗚呼・・・あの万里の長城

        一本の木さえ見当たらない・・・

             山のあなたの空遠くまであり続ける異形

           ・・・秦の始皇帝の権力行使の人民遺産の狂要塞。

      権力と奴隷なのさ

 

 ところで話は変わり、今朝のテレビニュースで柳田法務大臣が最高検のトップに訓戒を述べ、45度の拝礼を最高検のトップがお詫びと称して深々と所作をしておりました。

吉備真備を尊敬する友人が、民主党政権になる以前に、民主党が政権取ったら恐ろしい日本になるよ!!

        と言っていた意味が今になって・・・実感してきました。

         あのねー・・・法務大臣様。

             建前だけでも

   ・・・三権分立のシステム理解してくださいよ。。。

         ビートルズのYA!YA!YA!ていうのがありますが・・・

       WAYA!WAYA!WAYA!ですよ。。。

            ニッポンを・・・!無法区にしてどうするねん

                 それさえも自覚症状がない。。。

 

「法曹界から・・・おかしい!!!って声上げないの???」って以前、友人に聞いたら。。。

「あのねー・・・法律家は頭がいいから・・・そんな国に刃向かってドロップアウトはしないの。。。刃向かったように見せて出世する道ならやるの。」Wさん

         あーホント、中国の属国にどんどん向かっています。

 中国共産党も政権争いが混乱しているけれど、習近平氏を後任の国家主席につけることで「修復を図った」ようですが・・・その反対分子がどういう反乱をまた、起こすか。。。

                   日中互恵関係の

                三幕目が始まった!!

                北朝鮮も、調子に乗っている!!

 

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日中外交のハニートラップなお話。。。

2010年10月22日 | 川柳

  ここら辺りが、日中外交の馬鹿殿御一行様が(多方面)

     または、世界中が陥った、無防備さ。。。

  「乾杯!カンペイ!!」の酒盛りあとの、顛末記。

      私たちの税金が・・・中国に流れる・・・根拠じゃないの!!!

       理性がなくなると・・・動物よりまだ、始末に負えない!

              日本もやっていたんだよねー・・・。

      特に中国は、そのやり方が巧みなんじゃないでしょうか。

         日中外交は、日中性事のツケ払いだったんだね。

          ここら辺が、 日中時事の落としドコ

            あほくさ!・・・とも言ってられない。。。

 

               有事問題は性事問題の後始末でもある・・・。

                   YAPPA/やってられまへん!!

                       

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日中デモの裏側を分析

2010年10月21日 | 川柳

           ニコニコ動画 検索

                   ↓

     10/10/20 ニュースアンカー青山のニュースDEズバリ!

     ニコニコ動画の日中デモの裏側を分析しています。

               (青山茂晴氏)

中国共産党内部の政権闘争の説には、整合性があるわー。。。。

江沢民元主席、習近平ラインは・・・・・IKEMASENU///よ!

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不是中国人日本人争!!!

2010年10月18日 | 川柳
                       不是中国人日本人争吵!!!

                http://www.youtube.com/watch?v=22INVJcLjzE

               是对中国共产党首脑和军部的示威。

             什么都中国人···日本人···大大地不同。

    和中国方面的示威的本意和,日本方面的示威的本意存在大的误差。

            中国人被中国政府欺骗是···平时的事!!

                 日本人日本政府担心没有的礼

              是示威!!并且,日本人极好

           「中国人人权!中国人和日本人都不可撒谎!」

                  ···庇护中国诸位的事

               在日本中国人的各位请发信!!

       

      中国人対日本人のけんかじゃない!!!

 中国共産党首脳と軍部に対してのデモであります。

      何もかも中国人が・・・日本人が・・・と言うのとは大いに違います。

    中国側のデモの真意と、日本側のデモの真意とは大きな誤差があります。

    中国人は中国政府にだまされているのは・・・いつものことであります!!

          日本のデモはマナーを守った抗議です。

 「中国人に人権を!中国人にも日本人にも嘘をついてはいけない!」

             と、中国皆さんの庇護をしている事を・・・

            在日中国人の方々は発信していただきたい!!

                          ↓ 

         http://www.youtube.com/watch?v=22INVJcLjzE

        川柳北海道川柳北海道川柳北海道川柳北海道川柳北海道

    習近平党副委員長に決まるいずれ国家主席になるみたい。

   

                

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だいじょうぶか・・・日本政府・ほっかいどう!!

2010年10月18日 | 川柳

     今朝10時半ごろ、M銀行亀田支店へ

向かったその銀行の正面玄関横に、ロシア人らしい男性7・8人の円陣が立ちタバコをしながら笑顔ひとつ無く神妙に会話をしていた。

      正面の交差点の赤信号を待ちから・・・その様子に・・・・

         異様な???を感じる。。。

          第六感が始動する!

「ロシア人だなー・・・」「漁師ではない・・・背の高さが高いのと・・・姿勢がいいのは軍人さんだなあ・・・」と、思い入行すると、ロシアの男性25人ほどが受付に立って為替の交換をしていた。

       こんな光景を見るのは初めて!

いい気になってその方たちに向かって「ロッスィア?」と、たずねたら「ウラズィオーストック」と応えてくれた。

 「はらしょおー!」と手を振ったら・・・笑顔もなく首を縦に振られた。

 帰り際、M銀行の頭取だった故DAIDOUJI氏がロシア人に戦前いろいろ日本人が助けていただいた事の数々の遺言を残され、函館のホテルで講演されていたのを2度ほど聞かせていただいたことを思い出した。

      日ロの大きな架け橋の方でありました。

      

                 でも、中国は沖縄の領土を・・・

         ロシアは北海道の領土を欲しいのは言わずと知れたこと。

       中ロの忍び寄る・・・軍拡の祭りの宴には・・・ハラショーはない!!!

 

              中露同盟の・・・デモンストレーション!!か?!

 

              小さいときから父に聞かされていた言葉。

       「ソ連(現ロシア)が軍艦で四方の海から攻めてきたら、

              半日で北海道は制圧されるであろう・・・。」

               いずれは、父の遺言ともなる真意。

 

                いつもそのことを想定して、

      ぞっとするほどたくさんの軍艦が

       北海道周りに配備されている

         事を・・・私たちは知っておくべきだろうと思う。

 

  函館ウラジオストック友好の日々がながーく続きますように。。。

 

    無政府時が・・・軍事的収穫時なのだから。

                       ニュース

                         ↓

【函館】ロシア太平洋艦隊(司令部・ウラジオストク)所属の対潜大型哨戒艦「アドミラル・パンテレーエフ」(6700トン)が15日、函館港に入港した。函館市によると、函館港へのロシア軍艦入港は、日露戦争前の1895年(明治28年)以来115年ぶりとなる。

 同艦隊によると、寄港は友好親善が目的。同艦は対潜水艦用ミサイルなどを装備し、乗組員334人。16、17の両日には午後1時~4時まで艦内を一般公開する。19日に出港する予定だ。

 午前11時20分ごろ、港町ふ頭(函館市港町2)に接岸した。歓迎式典で、ロシア太平洋艦隊混成部隊沿海艦隊司令官のビクトル・ソコロフ大佐は「今回の訪問で海上自衛隊との信頼、協力関係を増進したい」と述べた。

 近くの岸壁では、入港に反対する集会が開かれ、約50人が「函館港を軍港にするな」などと声を張り上げていた。

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