あ る 瞬 間 佐 藤 容 子
「ラ・マンチャの男」でドン・キホーテと現実主義者カラスコ博士のやりとりで次の言葉があった。
「夢におぼれて現実というものを見据えられなくなったらそれは狂気かも知れない。また、現実ばかり追って自分の中に夢というものが持てなくなったなら、それも狂気と言えるだろう。しかし人間にとって一番憎むべき狂気は、その人間が、あるべき姿のために戦わないことだ。その人間が、あるがままの人生に折り合いをつけて。あるべき姿のために戦わないことだ。」という印象的な台詞で何となく記憶していた。
今から5年前の冬、私は「死」と遭遇しなければならない体験をした。何の予告もなく突然にである。
路面は、アイスバーン状態で雪が降っていた。帰路へとハンドルを握っていた前方のカーブ車線から、ダンプカーがスリップしながらセンターラインを越え、まっすぐに私の方へ向かって走って来る。衝突するまでの数秒間、さまざまなことが脳裏を過ぎった。スローモーションで写し出されたのは家族のこと・・・仕事のこと・・、そして、川柳のこと等々・・・。死を覚悟するしかなかった瞬間、自分の存在が蟻より小さく思え、どうすることも出来ぬ焦燥感と諦観、そして何ひとつ成さず逝くであろうこの人生が情けなく、無念の一言に尽きた。
歳月の流れの中で私は、死は決して遠くにあるのではなく、生と同じところに位置しているのではないだろうかとか、生と死のあいだに、もし壁があるとしたならそれは紙より薄いものではないだろうかとか、そんなどうしようもない自問を繰り返していた。
死を考えた。生を考えた。
今までのことを考えた。
「自分らしく」という言葉があるが、果たして私は何処まで自分のことを知っているのだろう。
自分らしくとは生きるとはどういうことなのだろうか。
あるべき姿のために生きていたのだろうか。
そんなことを悶々と考えていたような気がする。
そして、今ここに「泥」という名の川柳誌がかたちを成した。
三人が描いた三本の線は、太さも長さも別々でありながら組み立ててみると何故か、正三角形になった。
同等の辺でありながら鋭角を持ち決して円の中には存在しない三角形であることが分かった。
「ラ・マンチャの男」でドン・キホーテと現実主義者カラスコ博士のやりとりで次の言葉があった。
「夢におぼれて現実というものを見据えられなくなったらそれは狂気かも知れない。また、現実ばかり追って自分の中に夢というものが持てなくなったなら、それも狂気と言えるだろう。しかし人間にとって一番憎むべき狂気は、その人間が、あるべき姿のために戦わないことだ。その人間が、あるがままの人生に折り合いをつけて。あるべき姿のために戦わないことだ。」という印象的な台詞で何となく記憶していた。
今から5年前の冬、私は「死」と遭遇しなければならない体験をした。何の予告もなく突然にである。
路面は、アイスバーン状態で雪が降っていた。帰路へとハンドルを握っていた前方のカーブ車線から、ダンプカーがスリップしながらセンターラインを越え、まっすぐに私の方へ向かって走って来る。衝突するまでの数秒間、さまざまなことが脳裏を過ぎった。スローモーションで写し出されたのは家族のこと・・・仕事のこと・・、そして、川柳のこと等々・・・。死を覚悟するしかなかった瞬間、自分の存在が蟻より小さく思え、どうすることも出来ぬ焦燥感と諦観、そして何ひとつ成さず逝くであろうこの人生が情けなく、無念の一言に尽きた。
歳月の流れの中で私は、死は決して遠くにあるのではなく、生と同じところに位置しているのではないだろうかとか、生と死のあいだに、もし壁があるとしたならそれは紙より薄いものではないだろうかとか、そんなどうしようもない自問を繰り返していた。
死を考えた。生を考えた。
今までのことを考えた。
「自分らしく」という言葉があるが、果たして私は何処まで自分のことを知っているのだろう。
自分らしくとは生きるとはどういうことなのだろうか。
あるべき姿のために生きていたのだろうか。
そんなことを悶々と考えていたような気がする。
そして、今ここに「泥」という名の川柳誌がかたちを成した。
三人が描いた三本の線は、太さも長さも別々でありながら組み立ててみると何故か、正三角形になった。
同等の辺でありながら鋭角を持ち決して円の中には存在しない三角形であることが分かった。